伯母がPPK
近所に住む伯母は、正月明けから名古屋に住む娘の嫁ぎ先を避寒地として旅立った。
名古屋での生活を楽しんでいた。
前日の夕食では、孫と同様にカレーを御代わりしたと聞く。
翌日午後、腹痛となり救急車で病院に搬送。
静脈瘤破裂ーーー手術準備中に帰らぬ人となった。 享年90歳。
自覚症状から僅か3時間。
名古屋から自宅までの深夜の移送。
葬儀の手配、親類縁者への連絡等々遺族は本当に突然の出来事でてんてこ舞い。
昨日、荼毘に。一連の儀式を済ませたが悲しみに涙する時間もなかった。
PPK(ピンピンコロリ) 参列者の多くが口にした。
「遺族には悲しいことやけど、私もこんな最後を迎えたい・・・・」
生前に葬儀会場、戒名、顔写真等々を用意していたと聞く。
賢明な伯母であった。
昨今の想い出は、我が家の愛犬ルナの良き遊び相手であった。
ルナは玄関の遙か先の伯母の足音を聞き分け、玄関まで迎えに行った。
伯母からもらったお年玉やお小遣いで購入したボールや綱を玩具箱から
引っ張り出して遊んで遊んでと纏わりついた。
懐かしい思い出となった。 合掌。
通夜の説教で『白骨の御文章』 聞き入りました。
それ、人間の
この世の
されば未だ
誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、
されば、
既に無常の風来りぬれば、すなわち
紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、
はやく
念仏申すべきものなり。
この辺のことが他人事でなくなってきた。
最近の身内、友人の訃報がそうさせるか、自身の体力の衰えを感じてか。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
その通りでございます。
厳しい現実
アヒルや合鴨に癒される・・・との言葉に、それじゃと鶏(チャボ)も飼うことにした。
15羽を池の周りに放したが一週間ほどしてから数が減っているのに気がついた。
池の周りを捜したら無残な死骸、飛び散った羽を発見。
物識りに見てもらったところ、これはイタチの仕業だとの結論。
生き残っているのは6羽となった。
生き延びたのは飛べる能力があったからとの物識りの言葉を俄かには信じなかったが
昨日、夕刻の薄明かりの中で高さ7メートル位の細枝に三羽の鶏を発見した。
物識りの言葉通りだ。

地上での夜間睡眠は命懸けだ。
自然の放し飼いに適応できるのは、鳥本来の「飛ぶ」能力を持っている鶏のみ。
鳥小屋育ちの鶏はイタチや野犬の餌食になる。
厳しいものがある。
七羽の鶏には殺生なことをしてしまった。
楽天トラベル
昨年3月から引き受けた宿泊施設「椿寿荘」の再建。
新しい顧客を求めて楽天トラベルに入稿したのが9月末。
10月から予約メールが入り出した。
シングルからグループ、家族まで幅広くご利用いただいている。
現在の評価は4.22点(5点満点)。
この評価をみて更に来客数が増えている。

9件のお客様の声がサイトにある。
その中の一件に客室廊下の端から観た景色の写真を
添付したものがある。
借用させていただいた。
全く気がつかないポイントだった。
椿寿荘の魅力を探し出せていないことに気がついた。
謹賀新年
旧暦の11月17日が本年の1月1日になる。
この日に柿本人麻呂が
「ひんがしの野に かぎろひの立つ見えて ・・・・・・・」と詠んだとされ
我が街ではこの日の早朝に「かぎろひ」を観る会が毎年開催されている。
気象条件で厳寒、夜明け、晴れが必須条件。
約1800人の参加者が早朝4時過ぎから待ち望んだが
夜明けの頃に雪がちらつきはじめ
残念ながら「かぎろひ」を観ることができず。
主催者から「また来年・・・・・」との放送に大きな溜息が出た。
<地元写真家の作品です。この時期には
かぎろひ・雲海の絶景ポイント探しで写真愛好家が急増します>

初雪
天気予報の精度が上がっていることを実感した。
「明日は山沿いで雪」の予報だった。
寝起きに庭を覗くと真っ白。
そういえば昨夜の天気予報で・・・・
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クルマのタイヤをスタッドレスに変更するのを忘れていた。
ガソリンスタンドで約三時間待ち。
冬場のタイヤの装着替えを天気予報を聞いた時点で気がついて
行動しないと・・・・
少々ボケ症状が出てきているようだ。
満開
直径15p位のピンクの大花。
茎は約5m弱。
これが「皇帝ダリア」

ご近所の新種の収集家が今夏に二本の苗を持ち込み育ててくれた。
台風18号の強風で地上3m位の所で折れてしまったが折れ目から
芽が出てスクスクと成長し、開花した。
収集家からのアドバイス。
茎は15pごとに節がある。
落花後にこの節毎に切り分けて水分を与えるとそれぞれの茎から芽が出る。
発芽率は100%だから来年は一挙に30株位になる・・・・とのこと。
誰が育てるの?
追伸
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12月12日に茎を切り分け、1週間乾燥させてミズゴケで包んだ。
収集家からサンプルをもらったが既に新芽がでている。
水分を切らさないことと、凍らさないことだとのアドバイス。
お稲荷さんの鳥居の修復完了。
この街の博学者から「お稲荷さんも大事だけどその隣の石碑も凄いよ」
とアドバイスあり。

『今日ここに 月斗の山河 霞むかな』
小生、全くというか皆目というかこの方面にはチョー弱。
「聞くは一時の・・・」の聞くこともできない事態。
長老は博学を披露。
青木月斗(あおきげっと)は晩年この街に住み、この地で没した。
近年になって彼の弟子たちがこの地に集まり月斗を偲んだ。
除幕式には全国から俳句を愛する方々がこの地に集まり
盛大なものであったと。
そして月斗の代表作を次々と詠み説明をしていただいた。
全く理解のできない分野でどうにか「季語」というものがクイズ番組で
出題されるような直感的なものでなく「風が吹いたら桶屋が儲かる」的な
深いものであることが解ったような解らなかったような・・・
更に長老は月斗の碑の隣にある石碑について語りだした。

これはやねぇ、月斗の弟子のだれやらが「かぎろひ」を・・・・・
私の若い頃にこの石碑の除幕式に列席させてもらってなぁ・・・・
イヤハヤ辛い時間がつづいたが、季節は深秋。
「つるべ落とし」がありがたかった。
修復完了
台風18号の強風で椿寿荘に隣接した高台にあるお稲荷さんの鳥居が壊れた。
壊れていた・・・・というべきか。
時間的に言えば倒壊してから数日経てから発見した。
他所のことでもあり、お稲荷さんの存在をあまり意識していなかったからだ。

「キャンセル」「キャンセル」「キャンセル」・・・電話がある度に椿寿荘の予約キャンセル。
新型インフルエンザの影響で4月頃からこの業界では不振が続いていたが幸いにも
椿寿荘は普段と変わらなかったが、この時以降閑古鳥が住みついた。
現役の頃、大阪市内の京橋にあった店舗で,大切にお祭りしていたお稲荷さん。
当時は「初恋稲荷」と称して店の顔としていたが大規模改造で撤去されて屋上の廃材置き場
に置き去りにされた。
改造後、負の出来事が重なり、改善のためにベテランの店長が着任し、矢継ぎ早の対策。
その中にお稲荷さんを屋上の最良箇所に設置して毎月祭事をおこなった。
何時しか負の出来事がなくなり、客が増え、最優秀店舗となった。
苦しいときの神頼み
神木を扱う材木屋さん、大工さんにお願いして鳥居の修復完了。
さて結果は?
椿寿荘の遊歩道を数メートル歩くだけで両手一杯にドングリが拾える。
ナラ、クヌギの雑木が豊富で季節の変化に敏感だ。
足元にはドングリの他にアケビの実がたくさん転がっている。
幼少の頃、アケビの甘さが楽しみな間食だったがこの時代では
全く見向きもされず熟して落下したままだ。

遊歩道では季節とともにいろんな自然に出会える。
来年4月で一年の変化をまとめるデータができる。
春の山菜・薬草、夏の水草、カブトムシ・ゲンジ、秋の果実類、
冬が楽しみだ。
今、湖面にはいろんな水鳥が飛来している。
二羽の真っ白なアヒルと五羽の合鴨は今朝も仲良く元気で朝食を要求している。
岸辺に人影を見かけると「ガーガー」と合唱してせかせる。
”ガー子”たちが競って朝食を食べている足元を見ると、大きな鯉が"ガー子”たちが取りこぼした
朝食を横取りしている。
二十匹はいる。
黒、白、斑の他に赤も混ざっている。
おこぼれが少ないと水面に跳ね上がって「もっともっと」と催促する。
50cmを超える鯉が銀色の腹をキラつかせて大きく跳ね、水しぶきを立てて水面に落ちる様は
迫力がある。
そしてその鯉が食べ損じた朝食を湖底で待っているのが真っ黒な大きな鯰。
鰻も厚かましく現れるというが小生は未だ確認していない。
目を遠くに向けると三十羽近くの野生の鴨が渡ってきて住みついている。
羨ましそうに合鴨たちの朝食の風景をみている。
この時間は本当に癒されると椿寿荘の従業員や宿泊客。
五羽の合鴨の放鳥がこれほどの効果があるとは・・・。
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| 朝食の時間が来た | 食欲旺盛。足元には鯉 | 食後の散歩に出発 |
追伸
この合鴨を増やす方法がないかと業者に聞いてみたら驚く返答。
「合鴨」は食するために存在する。
今回の五羽の合鴨は鴨鍋の素材にするためと思い、脂の乗った一番良さそうなヤツを選んだのに
池に放したのかと不満気。
この時期にカモを手に入れるのは鍋用と決まっているのだと。
雑草除去のための合鴨は大量に必要なので全て人工孵化で育てている。
人工孵化で成長した合鴨は産卵はするがそれを抱いて自ら孵化することができない。
来年の3月〜4月には産卵すると思うが放ったらかしでカラスかキツネの餌になるだけ。
もし産卵直後のものを見つけたら人工孵化器に入れて孵化してやるから持ってきなさい。
28日間で孵化するから。
それから一番大事なことやが人工孵化した雛鳥はそのまま水に入れたら溺れ死ぬから
絶対に水に近づけないように。
「え〜! そんなアホなこと」
親鳥が孵化した場合は雛鳥の体温を自分の羽の中に入れて体温の低下を防ぎ、水に入れ
様子を見てから少しづつ自分から遠ざけて水に慣れさせる。
疲れた様子があると自分の背中に乗せて休ませる。
「え〜!それホンマですか?」
人工孵化した雛鳥は先ずは水の入っていない水槽に放す。
そして水槽に足元が濡れる程度の水を注ぐ。
この時、足が浸かる位の水を注ぐと2〜3割位の雛が体温が低下して溺れ死ぬ。
「え〜!それから・・・・・」
うちの場合は足元が濡れる程度で一週間程は水を抜いたり入れたりして水に慣れさせる。
慣れてきたころから徐々に水位を上げて水に浮かぶことを覚えさせる。
もちろん体温の調整ができるまで親鳥代わりに大きな電熱器をいれてやる。
約一ヶ月かけて水に浮かんで泳げるようにしてから合鴨農法をやっている農家に出荷する。
これでやっと一人前になる
田植えの後に放鳥し、雑草を餌にしながら成長、田んぼの水を抜く時期にある程度成長した
合鴨を引き取り、鴨鍋のシーズンまで飼料をあたえて大きくする。
11月には脂の乗った合鴨となって皆に喜ばれる。
これが真っ当な合鴨の一生やのに池に放してどないしまんねん?
さらに追伸
北海道ではこの時期に渡りに行くのをうっかり忘れていたカモがいますな。
「へぇ」
突然シベリアから冷たい冷たい風が吹いてきて海が凍りだしますな。
「へぇ」
あの大きな海が凍るくらいやから、カモが居てる田んぼはフーと冷たい風が吹いたら
一瞬に凍ってしもうてカモが飛び立てようになってしまいますな。
「へぇ」
北海道では足が凍り付いて動けんようになったカモを稲刈りのように鎌で刈り取るのを
カモ狩りと言いますねん。
「へ〜ぇ」
田んぼには刈り取ったカモの足が残ってますな。
春になったらこの残った足の先から芽ができますな。
「はぁ」
これが「カモメ」になるんです。
合鴨を増やす方法を教えて下さい。
『This is it.』
「ナントもったいないことを!」
『This is it.』を観終わっての感想だ。
ツアーで使用される映像は完全に仕上がっているし、100時間に及ぶリハーサルが完了し、
目もくらむ様なステージ用の衣装も揃った。
何が不足だったのか?
せめてロンドンツアーの初日だけでもやって欲しかった。
二時間近くリハーサルの風景を映像で見せられたが観客のいないステージは全く
臨場感のないものだ。
『This is it.』は新曲のラブソングらしきものの曲名だが、ツアーの中で流される完成度の高い映像
では、幼い少女を主人公にした自然破壊の現状と本編最後の長いタイトルバックが流れ終わった
最後の最後に『病んだこの地球を救うのは今しかない⇒まさしくThis is it』とマイケルの提唱がある。
4年の間に何とかしなければと言い切っている。
メッセージ性の高いツアーのようであったが全く残念なことになってしまった。
満席に近い客が劇場内の照明が点灯するまで立ち上げることがなかった。
何か未だ出てくるのではないかと期待する様子だった。
小生も通常は映画の最終のタイトル画面になれば立ち去るのだが今回は最後まで座っていた。
お陰でマイケルのメッセージのシーンに出会えた。
Love lives forever.
とのことだ。
帰りがけの歩き方が少々すり足になっていることに赤面した。
やはり風と水
台風18号の直撃。
やはり蕎麦栽培の先達の忠告通りのこととなった。
8月15日に播種して9月15日は花盛りとなり
真っ白な蕎麦畑が結実とともにチャコールに変化していく最中
「蕎麦の大敵は@水 A風 Bイノシシ」の
@とAが同時にやってきた。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
とはならないのが蕎麦。
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| 播種後3日で芽が出る | 白花が絵になる | 大敵にダウン |
今朝も起き上がりを期待して蕎麦畑にきたが写真の通り。
さてどうするか?
田舎暮らしで一番厄介なのが「お付き合い」。
長くこの街を離れていた間、父母がどの様な「付き合い」をしていたのか
解らないまま引き継いでしまったというかそういうことになってしまった。
母からは祖父、父共に永い間、地域のあらゆる役を引き受けてきたので
小生の場合は少々休みをとってもいいのでは・・・と言うが毎年のように
各方面から「あなたの祖父、父親はいろんな役を引き受けてくれた。
あなたがここに戻ってきてくれたのでまたまたよろしく頼みます」などと言われる。
そして今年は氏神である八坂神社の役を引き受けざるを得ないことになった。
10月の三連休は役のメインイベントである御供餅つきと太鼓台の巡行、最終日夜の
御供餅の神前お供え、その後にこの御供餅を境内に撒く『御供撒き(ごくまき)』で
秋の祭典を終える長い三日間となった。
御供撒きは100人を超える参内の氏子の集団の中に直径6〜8cmの小餅をどんどん投げ込む。
この街の秋の一大イベントだ。
多分五穀豊穣を祝い、神へのお礼の儀式だと思うが参加している人の大半が
農業従事者ではない。
儀式と現実との乖離は大きい。
三日間を要するこの役回りがいつまで続けられるのだろうか?
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| もち米を蒸す | 餅つき | 交代で餅つき | 二台の臼を使う |
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| 女性が餅をまるめる | 6p位の大きさに | 大きさは不ぞろい | 乾燥する |
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| 太鼓台の巡行 | 神社前を出発 | お昼はおにぎり | 子供たちもおにぎりで満足 |
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| 祭典 | 手作りのおにぎりは旨い | 御供餅撒きを待つ境内 | 御供餅 |
ボチボチ食べごろ!
あきのの里も稲刈りが終わり新米のシーズン。
水加減が少々必要だがやはり新米は旨い。
近隣の「水稲合鴨農法」で役目を終えた合鴨5羽を譲り受けた。
除草剤を大量に使う現状の稲作ではなく、合鴨に雑草を食べさせる
農法で、役目を終えた合鴨は冬場の合鴨鍋の食材として第二の
役目を果たす。
「もう一月位で脂が乗って食べごろや」

椿寿荘前の大池に放した。
先住民の2羽のアヒルと仲良くやっていけるかと心配したが
翌朝、アヒル(いつしか「ガー子」と呼ばれだした)を先頭に
扇型で湖面を泳ぐ姿に安堵した。

餌の少なくなるこれからのシーズン。
野犬やたぬき、きつねに襲われないように祈る。
「食べごろや」
9月22日、久方ぶりに擬似讃岐ウドンスタイルのチェーン店「つるまる」に入った。
入り口に『60歳以上の方に梅入りおにぎり1個プレゼントします。9月23日まで』とあった。
きつねうどんとプレゼントとなる梅入りおにぎりをセルフトレーに入れてレジに。
「かけうどん 280円
きつね 50円
梅入りおにぎり 130円
合計で460円です」
「梅入りおにぎりはプレゼントでは?」
「敬老の日のプレゼントですので60歳以上の方のみです」
「2年ほど前に還暦を過ぎました」
「本当ですか?・・・申し訳ありません。無料とさせていただきます」
店のレジ担当者の判断で無料か有料が決まる
100円、200円の低単価商品を扱うビジネスで130円のおにぎりの
有料OR無料は非常に大きなもの。
もっと誰にでも解る、できる判断基準を示すべきだ。
60歳という年齢を明示にしているというが、現場ではどの様に60歳か
それ以上か以下か判断しているのか、或いは判断するのか?
小生の場合は、60歳以下に見て貰えた事に多少うれしくはあった。
しかし、或いorもしかしてレジで何事もなく、或いはスンナリと「おにぎりは
プレゼントですので合計330円です」と言われたときは・・・
130円・・・・????やはり支払う
「つるまる」さんへ
判断基準、ポイントみたいなものがあれば是非公開してもらいたい
追伸
多民族国家である米国を旅行していて一番感じるのは判断基準が明確に
なっていること。
最近はあまり求められなくなったが以前は(以前というのは小生の場合、約30年
〜10年位前という意)酒類を購入するときに必ず「IDを見せろ」と年齢を明示した
ものを求められた。
子供料金と大人料金が存在する交通機関やアミューズメント施設。
親よりドデカイ身体をした子供連れ。
電車や遊園地、映画館のチケット売り場や、入り口で「この子は未だ小学生」
と言い子供料金を支払う親。
日本国内では良くある光景だが子供は傷つく。

米国では明快だ。
写真の通りでだれが見ても解る。
政権が変わり全ての基準が見直されると思うが、「誰にでもできる、誰にでも解る」
判断基準作りが必要だ。
自然に逆らえず
8月15日に大蕎麦の種蒔き。
「鬼は外!福は内!」と3反(約900坪)の荒畑に播種。
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| 8月7日に荒畑の草刈 8月15日の午後2時から みんなで種蒔き |
それから3日で芽が出て 9月7日には背丈が60センチ チラホラと花がつき始める |
9月17日には満開に 蕎麦の成長力には驚く |
当初の予定ではかぎろひの里に秋が訪れ、雑木林が様々な紅葉に染まる。
自然の秋色の背景に真っ白な蕎麦の花が浮かび上がる。
素晴らしい自然のアートを・・・と楽しみにしていたのだが、
9月19日 満開となってしまった。
『ちゃうがな、ちゃうがな、どもならんがな』
(先程まで桂枝雀の「貧乏神」を聞いていたので・・・)
「違う、違う、どうしようもないな」
背景の雑木林は全く秋を感じさせずに青々としている。
『段取りよう、いかんもんでんなあ』
「計画通りに行かないものですねえ」
平成9年の中秋の名月の下、生後三ヶ月の子犬がやってきた。
小生は大型のレドリバーとか柴犬のような散歩で引っ張ってくれる犬を望んでいたが
妻、子供たちは短足、胴長、尻尾なしのケッタイな格好のコーギーを選んだ。
名前も小生を除いて全員で『ルナ』と決めた。
満月の夜だったのでロシア語の『Luna=月』⇒ルナ
当時の人気バンドのLUNA SEAからも「ルナ」の響きが良いとなった。
★『Luna』とは何語か?ご指摘をいただいたが
最終的に命名者である長女の言う「ラテン語」とします。
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| 生後三ヶ月 寂しい一夜 | 「おあずけ」の訓練中 涎一杯 | 庭の花が好きだった |
6人家族の中で自分の位置はどこにあるのかを良く理解する犬だった。
賢いというか要領が良いというか、何時の場合でも瞬時にその場の中に
自分の位置を理解して皆に可愛がられた。
就職から結婚で長女が去り、長男・次男も就職就学で実家を去った。
必然的にルナの位置がN0.4になったのだが、実はこの計算がルナには
当てはまらなくなった。
子ども達が去った後の寂しさからか母・妻がルナの位置をNo.2にしてしまった。
(ちなみに小生がNo.1だと思ってはいるが・・・ ルナはそう理解していた)
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| LLBeanの名入りソファに 長女と | サンタの衣装が似合う | 門扉を挟んで友達とボール遊び |
そして小生の2回目の東京単身赴任に伴いルナがNo.1になることになった。
「お嬢」になった。
この頃から彼女の体形が変化しだした。
綾小路きみまろの中高年への毒舌
「ダイエット〜 犬の散歩で 犬が痩せ」
で、笑いが取れるのだが、ルナの場合は「犬も肥え」てしまった。
週に1日か2日にNo2.になり切ることと、夏休み、正月、春休みの各1週間程
子ども達と孫たちが実家に戻ってきたときに最下位になることが理解できる犬だった。
ただ少々時間を要したのは孫との付き合い方だったようだ。
以前の家族構成には全く存在しなかったのに突然現れて自分より上位にいる。
耳を引っ張られる、馬乗りされる、抱きつかれる、・・・・・ 抵抗するとNo.1から厳しく叱られる。
「君子危うきに近づかず」がルナの考えた行動であった。
「最近、姿を見ないが・・・・」と聞かれることが多い。
当方の答えを聞いて絶句する。
そして「寂しくなった・・・」と一言。
朝・昼・夕・晩と通勤/通学/散歩で定期的に行き来する人たちに愛想を振り撒いていたようだ。
ご近所の方々にも「ルナちゃんのお陰で癒されました・・・・」とたくさんのお悔やみをもらった。
確かにチョコチョコと庭に出て行って門扉を挟んでボールを遣り取りしたり、頭を撫でてもらったり
する姿を良く見た。
客が来ると瞬時に付き合い度を理解して、鳴き声の大きさを変える。
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| ルナ専用ソファ | 孫たちと | 今ルナは好きだったおもちゃ、 ぬいぐるみ、写真、花に囲まれて眠る |
訃報を聞いて、いつもルナにオコズカイやお年玉をくれた方々から花をいただいた。
火葬後の遺骨は、ルナが好きだった部屋でたくさんの想い出の写真と好きなお友達と
好きな花に囲まれている。
母と妻が線香の火を絶やさない。
近いうちにみんなに愛想を振り撒いた庭の片隅に、花に囲まれた墓を作ってやるつもりだ。
別れ
腹水が溜まるとガンの末期
ルナの腹は大きく膨らみオシッコが出ずに苦しい
昼前に静かに眠っているのでそっと覗くとウンチとオシッコ
気がつく毎に庭まで抱いて行き、ウンチとオシッコをさせたが
立つことができず・・・ まる二日、我慢をしていたのだろう
やっと出た
今までこんな粗相をすることはなかったがスッキリしただろう

ルナとの別れを悟った
外出している妻や遠くに離れて暮らす子どもたちにメール
「ルナ危篤」
子どもたちからはいろんな願いが届いた
風呂につれて行き、汚れた身体をシャワーで洗ってやった
それから約2時間後 妻の帰宅と少々の別れの時間を持つと
同時にルナは逝った
昨年は元上司の誘いで長崎の街を訪れたが、今年は一人で街歩き。
元上司は遠い昔の学生時代、通学途上の豊島区に「南長崎」駅があり、3年前に転職を勧められた時に
「その会社は南長崎所在」の言葉でてっきり都内のつもりでいたという大きな勘違いだったがこの長崎に来た。
契約期間が過ぎて近いうちに長崎を去る前に「旨いものを食べさせてやる」の誘いで長崎に。
三軒ほどハシゴをしたが長崎の食は旨い。
「鯨」の専門店がたくさんあり、鯨を食する文化が今も生きている。
幼少の頃、我が家の食卓にも鯨があった。
父・祖父は会社帰りに大丸の食品売り場で「鯨のベーコン」を買ってきて、それを肴に飲むのが楽しみで
あったようだ。
小生は「コロ」が好物だった。
ただ皮の部分が嫌いでいつも食べ残すので「もったいないことをして・・・」と叱られたものだった。
冬の「関東煮き」(=カントダキと読む)が楽しみだった。
「おでん」ではない。「関東煮き」だ。
近所の魚屋には「コロ」が山積みされていた。
今年は久方振りに長崎市内を一人歩きした。
長崎は路面電車を利用すれば少々の歩きと300円で殆どの観光地を巡ることができる。
路面電車は全線均一100円。
観光客用に一日乗り放題で500円のチケットも発売されているが、販売窓口が限られており
電車内では購入できない。
5路線があり本数が多いので待つことなく利用できる。
路線間も乗換券を運転手からもらって路線の乗り換えが無料。
この方法を使うと小生は300円で殆どの観光ポイントに行ける。
しかしこの全線均一100円は安い。
いや、安すぎる。
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| 超低床新車両に乗る | 揺れが激しいので停車中に撮影 | 走行中は「リトルダンサー」になる |
古い車輌に混じって時々最新の車輌が来る。
高齢者・身障者にやさしい超低床路面電車とうたっているが乗ってみるとトンでもない。
愛称が「リトルダンサー」というらしいが、乗車してみるとその揺れの激しいことが解る。
皆手すりにつかまってその揺れに耐えている。
お年寄りは着席しないと揺れで立っていられないと思う。
この車輌は早急に入れ替えたほうが良い。
長崎の石畳のレールに車輌構造が合っていないのだ。
乗客が揺りまわされているサマが「リトルダンサー」なのだろうか。
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| もっともっと目立って欲しい | 修学旅行で千羽鶴を残していく 学校がたくさんあった。素晴らしいことだと思う。 修学旅行がディズニーランドは再考必要 |
日曜日のミサの時間に訪れた いい経験をさせてもらった |
終日、歩き回ったが実におもしろい街だ。
司馬遼太郎の幕末シリーズに登場する人物・場所探索。
長い鎖国時代の名残り。
前職で福岡にて一年間駐在したがその時に巡回で度々訪れた店舗。
(情けない姿になっている。早く姿を消して欲しい)
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| 出島は完成した | 大変な坂の上にある さだまさしのバックバンドでもあった(?) |
五島列島へはやはりフェリーが 必要。福岡駐在当時釣りにも行った |
稲佐山では毎夏にさだまさし・加山雄三の無料コンサート。
昨年で最後になったとか。
NHK−BSで放送されたものを録画して残している。
毎回、さだまさしと加山雄三の音楽談義が面白かった。
「旅人」のコード進行で突然B♭が来るのだが、当時コピーするのに
このコードに行き着くのに苦労した話が出る。
全く同感だった。
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| 市内のどこからでも望める | 全く面影なし。恥ずかしくさえあった | 食は長崎にあり |
1974年から度々、妻の実家があるこの街を訪れている。
1982年の長崎大水害でこの街は大きく変わったと思う。
市内の至る所が傷ついた。
平面の少ない都市。
復旧によって道路の拡張、利水治水について思い切ったことができたと思う。
クルマでの移動が大変楽になった。
捨てたものが多かったとは思うがクロネコヤマトのCMにあった通りの
坂と石段の街並みにあった妻の実家にもクルマ移動が楽になった。
高齢化の中で必要なことだった。
中島川に架かる橋も流れる水も美しい。
(余談 わが町の宇陀川は水量、汚濁が小生が幼少の頃の川とどんどん
離れてゆく。 河川と呼ぶより溝川に等しい状況だ)
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| 数多くの石橋が架かる中島川 | 本当に水が美しい 鯉は人懐っこい | めがね橋も健在 |
しかし長崎の街は面白い。
蕎麦の種蒔き
8月15日午後3時から蕎麦の種蒔き実施。
今日のためにやったことは伸びに伸びきった雑草の始末
約800坪の農地
背丈ほどの雑草を刈り倒すのに通常の草刈機なら4人で終日作業
の見積もりをもらった。
予想外の費用
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| 手入れをされていない荒地 | 初めて草刈機を操作の友人 | 一時間程で楽々使いこなす |
早速、牧場経営の友人に牧草刈り取り用の草刈機の貸し出し依頼
これは強力な味方。
二人交代で僅か3時間で草刈完了
やはり持つべきものは友人だ、などと勝手なことをいいながら
である。
もちろん手伝いの男性も小生より年上で3年前まで営業マン。
農作業経験ゼロ
この荒地に「鬼は外、福は内」と蕎麦の種を撒いた
10人で僅か1時間
遅れてきた人は出る幕無し。

そして1週間後の状態は写真の通り 5p位に成長していた
これから1週間で20cm位に
後は「イノシシ、水、風」の被害がなければ順調に育って大粒の本当の国産蕎麦が
できる。
成長途中の10月には真っ白な花を咲かせる
畑横の雑木林が紅葉する
これを背景に写真撮る
芸術の秋も実証される
末期でも愛想

点滴をしているのは我が家の愛犬ルナ。
腹水が溜まり、息も絶え絶えの状態なのだが、これまでの生き方を変えない。
注射針を固定するための切開手術の最中も終了後も獣医に一生懸命に
お愛想をするのだ。
「ルナちゃん。気を使わずに楽にして・・・・」と獣医。
年齢から考えて外科手術はせずに・・・・
苦しい、悲しい決断をしました。
がんばれ! ルナ!
今年は奈良県での開催となった。
7/25〜8/10の間に椿寿荘も出場高校の選手たちの宿泊先となった。
我々にとっては非常にリスクの高い泊り客。
リスク @新型インフルエンザが蔓延する状況下でもし椿寿荘での宿泊予定高校から
発病者が出るとキャンセルとなる
A宿泊高校の競技での勝ち残りが宿泊日数に連動する
競技に敗退した時点でチェックアウトとなる
各競技が1週間を競技日数としているので一応1週間の仮予約となる。
初戦敗退となると選手たちはがっくりだろうが、こちらはもっとがっくり。

<勝ち抜いてもらいたいと心を込めたカンバンを設置>
7月25日夕刻着の第一陣は「弓道」競技出場の高校生たち。
”違う”
第一印象だ。
近隣の高校生と全く異なる。
何が異なるのか。
言葉遣い、立ち居振る舞い等々「できている」
先生に強制されるのではなく自然体なのだ。
もちろん今回の試合にかける気持ちも卓越している。
「極めたい」
彼らの口から絶えず漏れていた。
更に翌朝からの散歩の時間には各自が持参の掃除道具を手に。
一周一`の溜池周辺のゴミは全て彼らが処分した。
先生たちの生徒たちとの距離間が非常に良い。
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| 東京農大付属高校 | 凄い集団だ | 女子の部優勝 |
先生たちは2年生のケアに重点を置いているように思えた。
1年生の面倒と3年生の間に挟まって一番辛い立場なのだそうだ。
東京農大付属高校の女子部⇒優勝
納得のいく試合結果だ。
”違う”
優勝高校の匂いだ
第二陣はサッカー競技
やはりどこか違う。
先生のサッカーに必要とする体力の作り方は凄かった。
生徒たちに徹底して「メシ」を食べさせることなのだ。
朝晩は一人当たり4合の白飯を食べさせる。
これがサッカー選手に必要な体力の源になる。
炭水化物が90分間の体力勝負に勝つ。
初日に「メシ」を一人2合分しか炊かなかったことで大変なご迷惑をかけた。
先生に呼びつけられ「メシ」の効果について説教を受けた。
ひたすら御詫びするしかない。
40分をいただいて追加の「メシ」を炊いた
この体力づくりで既にセレッソ大阪に2名のプロ選手を送り込んでいる。
先生の確固たる体力づくりの理論が正しいことが今回証明された。
岡山玉島高校 準々決勝へ進出。(当日宿泊先変更で他所へ移動)
第三弾はフェンシング
オリンピックで日本人初のメダル。
太田選手の出身高校は平安高校たっだ。
その平安高校が第三週にチェックイン。
やはり”違う”
先生は全く体育系を感じさせない温和な方だった。
生徒たちとの距離がいい。
来年の夏、ここで合宿しましょうか?
先生の目は既に来年を見ていた。
やはり優勝は「違う」
『縁起の良い宿泊先』との風評がたった。
三競技の出場高校が上位進出、そして優勝。
7/25〜8/10の間、高校生が一人もいない宿泊しない日は僅か1日だった。
婚活パーティー
奈良県では「結婚ワクワク子どもすくすく県民会議」で、少子化対策の一環として「なら結婚応援団なら出会いセンター」
が開設され、結婚を希望する独身男女の出会いの場となるイベント情報を提供している。
イベントの会場として椿寿荘の婚活パーティー企画を提案し、7月4日〜5日の一泊二日で実施。
10名位の参加者があればと思っていたが、当日の参加者は15名となった。
16時から受付開始
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| 玄関前の柱に七夕 | お越しいただいた方に短冊 願い事を吊るしてもらう |
婚活パーティー参加者も願い事 |
大広間での自己紹介ゲームでいよいよ婚活パーティー開始。
18時からは料理長が悩み抜いて作った婚活パーティーメニューでディナー。
日頃は和食中心の会席料理が椿寿荘の売り。
今回は洋食、しかも食欲旺盛な世代で量の予測ができない。
料理長が笑顔になった。
全ての盛り皿に「おいしい」「うまい」の声が上がった。
前菜からデザートまで全てに箸がつけられ高評価を得た。
20時からはホタル観賞
少々蒸し暑く、月は雲間に
絶好のホタル乱舞の気象条件になった
いつしか参加者はペアとグループになりそれぞれが闇夜に消える
ホタルの数は夜が更けるに従い急増し、身体に纏わりつく。
みんなの戻りが遅いので少々心配になり、小生も数十年ぶりにホタルが乱舞する川辺へ。
毎夜に宿泊客をホタル観賞にお連れしたが、出発時と戻ってこられたときの顔つきの違いの
原因が解った。
闇夜に乱舞するホタルの光、身体のアチコチに纏わりつくホタル。
足元で休憩するホタル、踏み潰さないように立ち止まる。前に進めない、後戻りできない。
幻想的な世界。出るのは感嘆詞ばかり
(来年は是非ご自身であの感動の時間を味わって下さい。ご案内します)
パーティー参加者が闇夜から戻ってきたのは21時過ぎ
いよいよパーティーはクライマックスへ
ウッドデッキでキャンドルの灯りの中でのドリンクサービスタイム
一時間余り歩き回った後のドリンクは最高だ
22時から大広間で盛り上げイベントスタート
今回のパーティーでキューピット役を引き受けてくれた小生の幼馴染の立道さん。
彼女が扮する「バルーンおばさん」の登場で会場はヒートアップ
巧みな話術は全員が自分自身を自分の言葉で表現する場に変えた。
アッと言う間の一時間
「バルーンおばさん」の退場時間

23時 パーティー終了
名残惜しく会場に残る参加者
翌朝9時に全員のアンケート集計
幸いなことにワンカップルが誕生の結果となった。
「少子化対策」へはまだまだ程遠いが、このカップルが到達することを願う。
10時になった。 チェックアウトの時間が過ぎたが誰も去ろうとしない。
「婚活パーティー」
少々貢献できたかな。
♪♪♪柱のキズはおととしの 五月五日の背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ・・・・・・♪♪♪
椿寿荘のホームページでこのイベントの詳細をを報じた。
絵は動かないし本当に面白味のないホームページなのだが読者がいた。
千葉や横浜在住の方からイベント参加するとの連絡と宿泊予約をいただいた時は
一瞬「ほんまか〜」と我が目を疑った。
千葉のお客様はこの街の出身で懐かしさに動かされての1日限りの里帰りと
お聞きした。
インターネットの力を知らされた。
それとやはり今回も応援していただいた地元の方々に感謝感謝。
餅つきのための道具類はもちろんのこと、もち米、米粉、あんこ等々、前日から全てを準備をしていただいた。
当方で用意したのはガスコンロだけだ。
そして本番で、自分自身が全く何も知らないことを思い知らされた。
粽に使用する茅の葉には雌雄があって雌の茅の葉を使うということだった。
草むらを歩いた時に、茅の葉で足や腕が傷つけられた経験があり、この葉を素手でつかんで加工するのに
なぜ傷つかないのかと質問すると
こんなことも知らないのかと失笑された。
餅つき、茅で包む、イグサで縛るなどの作業で約2時間、お楽しみいただいた。
もちろん出来上がった粽を茹で上げて食していただき、残りをお土産にお持ち帰り。
しかし、餅つきは盛り上がるイベントだ。
ペッタン、ドスン、飛び散る打ち水。
掛け声も大きく、老若男女何らかの形で全員参加。
出来上がったらその場で食す。
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この盛り上げる餅つきイベントを 11月7日か8日に新米を使用して実施することと
今年の年末31日にお鏡餅を作ろうとお約束した。
3月26日(木) 椿寿荘は再開しました。
たくさんの方々から本当に真心篭るご支援をいただきました。
当NPO法人の理事の方々からは知恵、汗、カネはもちろんのこと、これまでの人生で
培われたあらゆる財産、そして何よりも、一番大切な時間を費やしていただいた。
是非、この地への旅を思い立ってもらいたい。
ちょうど定額給付金の12000円でご夫婦で一泊二食プランをご利用いただければ
幸いです。
「ちんじゅそう」その2
「椿寿荘」前の池を「本郷溜池(ほんごうためいけ)」と呼ぶ。
農業灌漑用水として貯水されているが、数年前に宮奥ダムが完成したので
現在はその役割は果たしていない。
堤防への加圧を軽減するために貯水量を少なくしているので水面が下がっている。
小生が中学・高校生の頃には、進級毎に春の体力テストとして桜の花が降り積もった地道を、
冬は寒中マラソンとして霜柱や降り積もった雪道を体育担当教師の吹く笛に追い立てられて走らされた。
また、親はもちろん、近所の大人たちからは「溜池で遊んだらあかん。絶対に泳いだらあかんで。
仰山の人が死んだ」と厳しく聞かされた。
辛い・キツイ・怖い思い出のある溜池で、学校を離れてからは全く近寄ることも無かった。
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そして今日、観光と地域の散歩道として整備された周遊道を初めて歩いた。
「落ちたら死ぬで〜」と脅された池の淵には丸太を模したコンクリートの柵が設けられ、ところどころに広場も
あって小川が流れている。
周辺の山には民家は一切無く、溜池に流れ込んでいる山水の水路は澄み切っていて冷たい。
高見台もあり、東屋もある。
鉄骨作りでちょっと不満はあるが、うきみ堂もある。
その昔は木製でかなり老朽化していたことを覚えている。
桜の木はかなり枯れ果てているが春にその全容を見てみたい。
歯抜けのところにはみんなで桜の植樹をしたいと思っている。
ソメイヨシノなら3年ほどで開花するとのことだ。
一周で1km。
普通なら15分ほどで回ってしまう距離だが、今日は1時間が過ぎていた。
池に泳ぐ鴨や鵜、上空に鳶。
遊歩道には鹿の糞。
海抜400m近いと思うがいい空気が漂っていることが実感できる散歩コースだった。
ウッドデッキから西側を覗けばあの「又兵衛桜」がみえる。
四月になれば見事な枝垂桜を鑑賞できる。
「又兵衛桜」は、大阪冬の陣・夏の陣で戦って傷ついた豊臣方の後藤又兵衛が、この地の本郷温泉で
その傷を癒すために湯治に来たとされ、温泉に浸かりながら眺めたのがこの桜だとされる。
椿寿荘の温泉はこの本郷温泉を源泉としている
友人・辻田氏からは本郷温泉「若返りの湯」としてはどうかと提案されている。
今回、温泉の成分分析を専門家にお願いをしている。
是非、「椿寿荘」に宿泊してもらいたい。
「ちんじゅそう」と読む
『椿寿荘』=「ちんじゅそう」と読む。
長寿を祝うめでたい言葉「大椿寿」に因んでつけられたものと記されている。
1971年(昭和46年)5月に、老人の福祉向上と健康維持に寄与することを目的として
設立された公営の保養所で、37年間、この大宇陀の地で「離れ座敷」として大きな役割を果たしてきた。

http://www.chinjyusou.jp/
そして、昨年の5月に平成20年度末で椿寿荘の閉館、取り壊しが決定された。
廃止の理由は
1.利用者数の減
2.収支の悪化 平成19年度に単年度赤字に転落
3.施設等の老朽化
4.職員の高齢化
取り壊し決定の情報が流れて、地域の老人会や自治会が「椿寿荘存続の陳情書」への
署名をつのり、12000名の署名が集まり(宇陀市人口36000人)、県知事に嘆願。
「運営を引き受ける法人があれば、建物、備品一式無償贈与。土地は年間30万円で賃貸」
存続への条件提示がなされ、県内での公募となった。
年末に書類審査、年明けにプレゼン。
そして先週、県から一通の連絡文書。
「公募審査委員会において審査の結果、椿寿荘の建物等を譲渡し、土地を貸付、引き続き活用いただく
事業者として選定しましたので通知します」
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| 建物前の溜池。池の外周は 一周1qの遊歩道。森林浴に! |
溜池の土手に設置されたウッド デッキ |
デッキからは宇陀の絶景が 望める。正面は秋山城跡 |
2ヶ月の間に人・物・金を整え、4月の「又兵衛桜」の最大のピークに間に合わせなければならない。
忙しい2009年が始まった。
あらゆるアドバイスを求めます。
また、是非一度お越しいただきたい。
昨年の風邪が何時までも完治しない。 咳、鼻づまりで本当に辛い。
市販の風邪薬を購入して服用したが、少々の睡眠薬が練りこまれたメリケン粉を丸めただけなので
全く効かない。
副作用で数人が死亡した事件以降、日本国内ではピリン系の風邪薬は市販されなくなった。
製薬会社と厚生省の馴れ合いで「風邪という病名はない」と言いながらメリケン粉を「風邪薬」として
市販する。
詐欺行為に近いがコンビニに置くとか置かないとか、薬剤師の指導がいるとかいらないとか、いかにも
効き目がありそうな振りをする。
毎年の米国行きの目的のひとつはピリン系の風邪薬の購入。
安い、よく効く、何時も命懸けで服用するので服用量が少なくなって体によい。
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| ホットドリンクやカプセル、塗布タイプ等いろんな種類があるがタブレットタイプが効く | 500円玉と同じくらい。 約6o厚。就寝前に二個を水の中に放り込む |
シュパーッと凄い泡立ち。タブレットはどんどん泡になる。頃合を見計らって一気に水を飲む |
効果覿面! 一晩熟睡で大汗を出して風邪の症状が治まった。
床払いをすると急に遠出をしたくなったが、外は大粒のボタン雪が降りしきり、積もりだしている。
しかし、一月余り内に篭っていたので思い立ったら止まらない。
妻の専用車としているレッドのパジェロミニに乗り込み、吹き降りの中を走る。
アウトドア派を自称していた。
その昔、スバルのレオーネ、そしてパジェロと乗り継ぐ。
悪天候の中を走ったことを思い出した。
この軽のパジェロミニも4WDでタイヤもスタッドレスを履かしている。
久方ぶりに山中を走りたくなって東吉野村の林道へ入り込んだ。
山中はさすがに人影、車影はなく一人舞台。
15cmくらいの新雪の中を走りまくった。
パジェロミニもなかなかのもので急坂をバックで駆け下りて直ぐに前進に切り替えてフルアクセル。
ものすごい雪煙が上がる中を突き切って坂を登る。
テレビでスタッドレスタイヤのコマーシャルをよく見るが氷の上でもピタッと停止する。
あのシーンを試してみようとやってみたが滑る滑る。
山肌にあたってやっと停止した。
谷側だったら危ないところだった。
久しぶりに冷や汗をかいた。
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| 4年前にヤフーオークションで 落札したパジェロミニ。 |
新雪の東吉野村の林道入り口 付近。 |
こんな山奥にも既製のガードレール。 吉野杉のガードレールにすべき |
「まっ、何かあればケイタイで連絡して引き上げてもらえば良い」と思っていたが
行き先も告げずに外出したので、念のために自宅に電話をしようとケイタイを取り出し
画面を見てびっくり。
【圏外】
エ〜! 冷や汗にプラスして超大冷や汗が出た。
先程まで走り回っていた轍を横目に、【圏外】が消える場所まで這うが如くにそろりそろりと
山を下りた。
帰り道は遠かった。
この冷や汗が原因か、またまた風邪の症状が出始めた。
アホにつける薬はない。
もう一年?
前日から特集番組が始まり、1月17日のニュース番組は午前5時46分の地震発生時刻に黙祷を捧げる
風景を流す。
14年前のこの時間、小生は大慌てで都営新宿線瑞江駅に駆け込んで地下鉄に乗り込む。
電車が地上を走行する区間で、当時は未だ普及していない携帯電話で自宅に状況確認。
揺れは凄かったが特に被害はないとの返事と「怖かった」の一言。
何時ものことであったが東京の地下鉄のトロトロとノンビリ動くスピードにいらいらしていた。
乗換駅の馬喰横山で遂に我慢できずに地上に出てタクシーに。
運転手に関西のニュースは?と問い最新の情報を聞く。
運転手もノンビリしたものでいつもの早朝より少々寒いとの天気の話題と神戸の地震のニュースが
同じレベルで答えとなった。
しかし会社に到着し、既に出社されている社長、副社長が自ら記入されたホワイトボードの情報
をみて驚愕した。
早朝で出社者が少ないので次から次に出される指示にてんてこ舞い。
幹部が揃ったところで緊急会議が開かれ、この地震による被害状況を把握するのにやはり現地に
行かねば!とのことになったが、東京・大阪の交通手段が全て停止状態につきヘリコプターをチャーター
して移動することに決定。
川さん、東原さん、大原さん、長岡さん、岩谷さん、大道さん、永田さん、そして小生が二機のヘリコプター
に分乗して神戸へ。
着陸許可が得られず、最終的にハーバーランドに着陸。
液状化現象で地面がヌルヌルの道を歩いて神戸大橋を渡り、三宮のセンター街に着く。
携帯電話を持てるだけ持ってきたが道中の連絡使用で既に半分は電池切れ。
(当時のケイタイの電池は5分位使っていると高熱を発して持っていると熱くて熱くて右左と持ち手を替える
必要があったし、30分くらいの使用で電池切れとなる)
残りの携帯電話を使ってセンター街のダイエー各店舗の被害状況を実況中継。
ゼントハウスは3階部分が潰れて4階建てのビルに。
女館は2階部分が崩れて・・・。
三宮店は傾いていて余震の程度によっては倒壊の可能性・・・
売上げ高が初めて一兆円を超えた時の大イベント「一兆吉兆」を実施したセンター街の巨大なアーケード
も完全倒壊。
余震の続く寒く不安な夜をハーバーランドの店舗で過ごした。長田町周辺は未だ火の手が上がっていた。
翌朝はその長田店へ。
ダイエーの店舗は火災を免れていたがアーケード街は全焼、アーケードを支えていた鉄骨はグニャグニャに
曲がっていた。
全く連絡のできない状況の中で自宅から徒歩で、自転車や単車で、午後には東京からバスで大阪まで来て
徒歩で神戸入りした本部のスタッフ連中が続々と長田店に。
昨夜から三食抜きで長田店に着いた東京からの応援者には、一昨日の食堂の残り物の御飯を使って焼き飯
を作ってやった。
(一昨年立ち寄ったハワイの店舗に勤務している社員から「あの時の焼き飯はおいしかった」と12年目に
礼を貰った)
小生が商品部に所属したときにバイヤーの手解きをしてくれた大先輩の遊佐さんにもキツイ作業をお願いした。
荷受場のシャッター前に水やインスタント食品を並べて100円玉一個と交換した。
東京の本部より連絡があり「夕刻にパラボナアンテナをバーバーランドに届けるので設置の応援を
するように」指示があり、長田店からハーバーランド店に戻る。
電話は全く通じず、持参した携帯電話の電池もほとんどが電池切れの状態。
NECの通信衛星を使って東京/大阪の通信を確保することになったのだ。
東京から大阪・八尾空港までヘリコプターで移動。
そこから直径1メートルのパラボナアンテナを背負って神戸まで徒歩で到着した久保さん、島田さん。
彼らを伴って寒風の吹きすさむハーバーランド店の屋上へ非常階段を伝って登る。
島田さんの指差す方向にパラボナアンテナを設置。
ヘッドホンをつけて電子音を頼りにアンテナの方向を微調整。
「ピンポーン」
遂に最大音量をゲット。
アンテナ設置完了。
地階の事務所に設置した電話/ファックスにケーブルを接続し初通信。
僅か1回線だが電池の残量を気にしながらの通話から常時通話できる状態になった。
通信衛星の凄さを初めて知った。
ただ通話の時にかなりのディレー現象があり慣れるのに少々の時間を要した。
その昔、海外中継放送の時に見た日本のスタジオと海外のスタジオとの会話で音が遅れるあの状況と同じ。
通信回線確保に伴い、本社の各部署からの連絡が続々と入り、受ける我々は8人で電話前から動けず。
「電話は止めてファックスに切り替えよう」皆の合意。
しかしファックスも直ぐに用紙切れになる。
東京/関空で大阪へ、自転車で森さんが来てくれた。
この二日間殆ど寝ていなかったので彼にファックス整理をお願いして段ボールで作ったベッドで
眠る。
あの時のメンバーはどうされているのか?
毎年この日になれば思い出すのだが・・・
お元気ですか?
デジカメ一眼の力
先月の「日経ビジネス」「日経おとなのOFF」等にキャノンのEOS-50DのCMページがある。
そこに銀座マロニエ通りにあるビルの写真が掲載されているがこれは小生の弟が撮影したものだ。
弟はプロのカメラマンでもなければセミアマでもない。
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| 日経ビジネス | EOSのCMページへ |
小生は学生時代に、カメラ・DPE店でアルバイトをしていたことがあり、店のオーナーからカメラの
手解きを受けた。
使ったカメラは小生がゼンザブロニカでオーナーはあの
ハッセルブラッドだった。
古墳や遺跡が今日ほど騒がしく言われなかった明日香に点在している「石」を撮影した。
オーナーから「被写体をじっくりと観て、自分なりの構図を描け。絞りだ、シャッタースピードだは
テクニックであって何時でも誰でも直ぐ覚えられる。肝心なのは絵作りをどうするかを自分で考え
出すことが一番大事」と教わった。
数年後にオーナーが撮影した「仏足石」がコダック主催のコンテストで優勝し、賞金額が当時では
破格であったと後々に知った。
なぜ記憶していたかというと「AppleU」という個人でも使えるコンピューターが日本でも発売される
ことになり、手に入れたから一度触りに来ては・・・とオーナーからの電話があった。
就職して5,6年目に自分の給料で購入したクルマが「ホンダ・シビック」で当時50万円強だったが
この新車でオーナー宅へ行った時にAppleUの値段を聞いたら「そのクルマと同じ位。優勝賞金で
購入した。多少の上乗せはしたが。
これからは個人でもコンピューターが必要になるのでクルマはやめてAppleUにしては・・・」と
言われたからだ。
なぜ弟の写真が掲載されたのか正月の宴の中で大いに盛り上がった。
EOSの新商品発売イベントで約一時間の座学と一時間の実習に参加して撮影した一枚。
貸し出しのデモ機で使い慣れていない。
今まで馬鹿チョンカメラの軽いものを使っていて重いデジカメ一眼は初体験。
少々カメラを弄った小生は、従来の一眼レフで背の高い被写体を撮る場合、下から上まで全てに
ピントを合わせるテクニックが必要で、それが良かったからとか、影の出し方良かったから等々
テクニックの良さを選考理由にした。
しかし弟の答えを聞いてびっくりした。
そんな面倒なテクニックは全く必要なかった。
ただシャッターを押せば誰でもこのレベルの写真は撮れる。
選考はビルの両脇の並木の配置が非常に良い構図になっているからだったと。
35年前にカメラの手解きを受けた時に何度も何度も教えられた絵作りだった。
今のデジカメ一眼はテクニックを必要としない。
余計な回り道をせずに撮りたい被写体を自分のセンスでどんどん取り込む。
どんどん取り込んだものをじっくりと絞り込む。
絞り込んだ気に入りの一枚をプリントアウトする。
従来とは異なる写真の楽しみ方を教えられた。
小生もデジカメ一眼に触れてみようと思っている。
我が家のお雑煮
平成21年1月1日(木)午前9時 全員食卓に揃う。
昨夜は除夜の鐘が鳴り終わるまで全員で語り明かした。
ビールは1ケース、酒は「久保田」を一本軽く飲み干した。
頂き物の高級ワインも一瞬に空瓶となり、飲み損ねた者はコルク栓の
移り香を嗅ぐ。
酒好きの家系なのだが小生だけが下戸。
風邪で体調不良だったが小生も最後までお付き合いをしてしまった。
所変われば・・・・でお雑煮が今朝話題となった。
我が家では正月専用の器を使う。
小生の母がここに嫁いで来た時にはもうこの器があったと話す。
ざっとだが63年以上前から使われていることになる。
男用と女用に区別されており大きさと色が違う。
男用は大きめで色は朱、女用は小さめで色は黒。
箸は箸袋に名前を書き、三が日の間箸袋入りで使う。
名前書きは当主の仕事だが今年も母にお願いをした。
雑煮は餅を焼いて少々の焦げ目のついたものを器に入れ
味噌仕立ての汁を注ぐ。
小芋、豆腐、人参、雑煮大根が煮込まれている。
お餅は汁椀より取り出して取り皿に移し、黄な粉を塗して食べる。
この黄な粉も白色ではなく黄緑色のものを使う。
| 黄な粉は正直言って美味い | 味噌仕立ての雑煮 これも美味い | 女性用の雑煮器 小型でクロ |
当たり前のことと思っていたが長崎で生まれ育った妻はこの雑煮にびっくりし、
弟の嫁は横浜育ちで同じくこの雑煮にびっくりだったという。
長崎、横浜はスマシ汁とのこと。
数年前までは母と妻が雑煮を作ったが今では妻と弟の嫁が作る。
長女の婿も広島育ちでやはりスマシ汁なのだが結婚してからは正月休みを
この地で過ごしており、今では味噌仕立てに慣れたようだ。
| 正月二日目はなぜかスマシ汁 そして三日目は味噌仕立てに戻る 男用の雑煮器は大型で朱色 |
小生を除いて男連中は元日の明け方まで酒を飲んでいたのに、早速新年の
お神酒として早くも白鶴の金箔入りが1本空いた。
どっちの夢
つるべ落としと謂われるがこの頃の夕暮れ時の早いこと早いこと。
夕方の帰り道、ちょっと寄り道でコンビニに入り、直に外に出たつもりでも陽は沈み暗い。
自宅前で喪服姿の知り合いに出会った。
暗い中での喪服姿なので見過ごしても失礼ではなかったが 「お通夜帰り? 何宅の?」と何気ない挨拶。
返ってきた答えにびっくり。
ご近所もご近所、数軒の前隣だ。
しかも小生より一歳若い幼馴染の名前。
母、妻に尋ねると全く情報がなく、通夜が終わったことも知らない。
現役時代は自宅を離れての生活が長かったので今でもご近所付き合いは母の役割としている。
暗い中でのほんの一瞬の出会いでの挨拶代わりの会話で知りえたことだったのだが
何かの縁で・・・と思うと、居た溜まれず「俺が今から通夜に行く」と家を飛び出した。
確かに喪中の黒幕。
通夜と告別式の場所と時間が書かれた張り紙。
そして懐かしいアイツの名前が。
時間は過ぎていたが通夜の場所へ。
ここも懐かしい。
何時も一緒に遊んだご近所のお寺だ。
残っていた知り合いに詳細を尋ねたら昨年4月に胃がん摘出、そして先般急に体調を崩しそのまま・・・。
大学卒業後、長くこの地を離れ今は京都で住居を構えているのだが、長男であるので本宅のあるこの地の
寺で葬儀をすることになったとのこと。
葬儀写真を見て「あれ〜、去年一度会っているのに・・」
50年近く前の幼馴染みと終日一緒にいたのに気が付かなかったのだ。
「清坊(キヨボー)」と呼んだ。
木造三階建ての巨大な屋敷。
その離れに「信夫(ノブオ)」が住んでいた。
もう一人背高のっぽの「中出(ナカデ)」がいた。
同年齢で小学校当時は一日中一緒にいた。
その中に一歳年下の「清坊」が入った。
彼は昆虫博士で夏休みの宿題時だけでなく四六時中いろんな昆虫採集をし
標本作りをしていた。
あの当時、今のような標本作りの便利な道具は揃ってはいない。
全て手作りであったが見事に昆虫の生き姿を再現し、標本を作っていた。
それに蛇の収集も時々やっていた。
蛇が活動する夏場は、彼のズポンのポケットにはいつも蛇が入っていた。
標本はもちろん脱皮した皮もいろいろあった。
小生も当時は蛇を捕まえて尻尾を持ってくるくる回して放り投げることもしていた。
(今はとてもじゃないができないが)
「清坊」は蛇博士でもあった。
それに切手収集も凄かった。
当時、絶対に手に入らない憧れの「月に鴈」「見返り美人」「写楽」をもっていた。
旧家だったのでいろんな郵便物があり、知識と実物をみせられて溜息をついた。
ある日、我等の遊び場所である長山に登り、小枝から飛び降りた時に足元に竹の切り株があって
足を突き抜いた。
大怪我である。
これが「清坊」だったか「ノブオ」だったかが思い出せない。
みんなで担ぎながら山を下りた。
小生も大声で泣きながら友を支えて歩いた。
みんな大声で泣きながら歩いた。
長かった、大量の血が怖かったのか。
目が覚めた。
久方ぶりに夢を見た。
しかも7歳くらいから12歳くらいの間の過去の夢だ。
起き上がったベットの上で、今までに見た夢の中にこの当時の夢を見たことがあったかなあと思案した。
確かに最近、夢をみることがなくなった。
畑仕事をしていると夕食を食べ終える頃に眠気が来る。
横になると同時に熟睡状態になるので夢うつつの時がなくなったからか。
歳か?
今までみた夢は今日から先のことが多かったように思う。
楽しみやら期待やらちょっと不安やら・・・・全てこれから起こる、或いは起こって欲しいことが夢に現れたと思う。
「これから先のこと」自分の将来に対する希望か。
今回のような幼い頃の夢はみた覚えがないのだ。
特に7歳くらいから13歳くらいのことは全くといっていいくらい思い出したこともなかった。
夢をみることが少なくなってきたことと、これからどっちの夢が多くなってくるのか・・・
夜明けまで考えてしまった。
翌日、告別式に行った。
長くこの地を離れていたのと急死で連絡が行き届かなかったのか参列者の少ない寂しい葬儀だった。
この寺も「清坊」と遊んだ場所だったなあ。
墓地で夏の夜に肝試しもしたなあ。
ここまでにしておこう。
もう少しの間はどっちかというと過去の夢より、明日の夢をみたい。
自宅での居場所はやはり自分のデスク前になる。
1970年に衝動買いした超大型の木製両袖デスク。
購入した時点で既に中古物だったが天板が畳一帖(90cm×180p)の広さで、引き出しも丁寧な手作り。
雨が近づくと引き出しの木部が湿気を感じて膨れ上がり引き出すときに重くなる。
木地を生かした透明ラッカー仕上げの重厚なこのデスクを模様替えしたのは15年ほど前だった。
4人がかりで重いデスクを庭に運び出し黒色のペンキを塗った。
引き手金具はピカピカのブロンズだったが黒色にあわないので白色のプラスティック製に付け替えた。
かなりがんばってDIYをやった。
38年間、付き合ってくれた机なのだが最近、この机の角に膝をぶつけたり、自分自身の物忘れが原因なのだが
確かここに置いていたのに・・・イライラと探しものをしたり、・・・とお恥ずかしいことが連続した。
机には何の罪もないのだが何だか急にこの机の大きさや、好んでペイントしたブラックのカラー等々が凄く嫌に
なり出した。
還暦を迎えたし、リタイアもした。
「エ〜ィ、この際気分一新、デスクはもちろん書棚も全て新調しよう」

ブラックからホワイトにカラー変更、書棚は現在の半分の小型にし、過去のいろんなしがらみのある書類や
パンフ等全て廃棄した。
懐かしい、想い出のあるものが大半であったが残り少ない寿命から勘案して、思い切って捨てた。
今日現在、新しいデスクと書棚に大分慣れてはきたが、今になって思い切って捨てたものの中に必要なものが
あったような気がし、捨て去ったことを悔やむことが度々ある。
思い切りの悪い自分だと自虐。
書棚の「物」を少々捨てただけなのにこの有様だ。
これからもっともっと捨て去らなければならないものが一杯あるのに・・・・・
情けないことだ。
「命」を捨て去る時がどんどん近づいているのに。
追伸 古い机は友人が引き取ってくれて作業台として活躍中

休養期間中の畑
今年の7月は今までに経験のない天候だったと近隣の農家が言う。
確かに朝は7時過ぎから30度を超し、夕方5時過ぎまで続く。
さらに11時過ぎから3時位までは35度を超える。
そして40日間も一滴の雨も降らず・・・・大変な夏だった。
この異常気象は農作物に様々な影響を与えた。
先ずは高温度のために病害虫の発生が少なく大豊作になったとのこと。
それは良かったですねとは言えないのだ。
大豊作は市場価格の大暴落となり収入減に。
更に結実の時期が例年よりも2週間ほど早くなり、旬と呼ばれる時期に作物が収穫できなかった。
早い時期にキュウリやナス、スイカが大量に収穫されて店先にタブつき、大安売り合戦。
そして盆の時期には収穫するものが何もない状態。
小生の畑では幸いにも井戸水が枯れることがなく、2基のポンプを使って朝晩に充分な水分を補給させることが
出来たので例年通りの収穫時期を維持できた。
しかも暑さのお陰でトマト、スイカは糖度が上がり、上々の味となった。
プロの農家が早々と旬物を収穫し終えた後に収穫が出来たので思わぬ値段で引き取られた。
運と偶然が重なった。
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| スイカは糖度12度以上だ! 美味い |
ハイブッシュ種の大粒 ブルーベリー 今年初めて結実 |
アイボリーの大輪花が見事! オクラの花は本当に美しい |
120本の苗が3カ月間 甘い実をつけた |
久しぶりに幼・小・中・高とずっと一緒に過ごした友人と話した。
来月開催される同窓会への出欠について迷っているのだ。
(小生は既に欠席の返答をしている)
話題が当時の教師のその後に移ったとき、突然、国語の名物先生のことを思い出した
既に他界されたとのことだが、独特の語り口で「徒然草」の原文を読み上げ、独自(当時の
文部省の指導要領通りだったのかも?)の解釈で解りやすく説明をされた。
小生は「名物教師」の語る「徒然草」にかなりの影響を受けた。
多分、団塊の世代は「徒然草」の序文を暗記しているのではないだろうか。
あの『つれづれなるままに、日ぐらし、硯に向かひて・・・・・・・・』だ。
還暦を迎えると同時に、高血圧と原因のはっきりしない目まい。
少々の迷いがあったが「徒然草」で吹っ切れた。
当時、名物教師の授業で感動した「徒然草」の一文。
少々危なげないが未だに暗記している自分に驚いた。
『あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、
いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。
命長ければ辱多し。
長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、
夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る
心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。』
名物教師はこれを解釈し最後に「・・・・と言った兼好法師は68歳まで生きた」と笑いをとった。
またまた休日早朝4時。
ぐるぐる回り出した。
枕元においた冷水で血圧降下剤を飲む。
血圧計を取り出し計測。
びっくりである。
「130の84」
医者の目指している(小生は関心がない)標準値になっている。
しかし目まいが・・・・
一体どうなっているのか。
定期診断時に今回の状況を伝え、小生が懸念している薬の副作用説を問うたが、答えは
「高血圧が原因で目まいがおこるのではない。
何か原因があって目まいが起こり、
その結果として高血圧になっている。
薬の副作用等ではない、以前から言っている通りだ」
高血圧に関する書籍はもちろん、ネットで大量の情報を入手をし、近隣の素人医師たちのご意見も賜った。
何とかジュースやら多少の食養生もした。
担当医の処方箋に基づいた大量のくすりも朝昼晩と服用した。
確かに血圧は標準値になった。
しかし目まいは起こる。
休養期間中に行政から「メタボ診断」受診の案内がきた。
指定の医療機関で4種類の検査を受けた。
検査料金3700円を支払った。
検査の結果「メタボ該当者」になった。
体脂肪や腹部周りが大幅に標準値を上回っているからだ。
行政から万歩計を貸し出すのでそれを帯同して毎日計測するように促される。
「解ってる。急に腹が出たのではない。ずっと昔からこの体型だ。
これで生きてきたんだ。これが俺の標準値だ」
怒鳴ってしまった。
長い休養【その2】
隣町に「グランソール奈良」という人間ドック専門の病院がある。(http://www.grandsoul.co.jp)
リゾートホテルをおもわせるような・・・・等々話題の建物なのだが、近隣に居ながら覗いたこともなかった。
確かに商業施設ではないので「ちょっと」と気楽に立ち寄る場所ではない.
今回の高血圧の原因調査を機会として「グランソール奈良」へ。
「脳」に限っての検査だけでよかったのだが、前々からどのようなものか興味があったので人間ドックの
コースを選択した。
正直なところ建物、検査機器は堂々と並んでいるが、運営や受診者とのコミュニケーション等は一般の病院
での検査と全く大差はない。
ソファーの少々値のはるものがゆったり配置されていたり、順番取りや無料駐車券発行機や支払い窓口の
雑踏がないくらいが小差か。
予約時の電話の応対や検査当日の受付〜各部屋への案内、部屋の備品のセンス、検査室の待機場所や椅子、
検査服への着替え場所のロッカーや貴重品管理、検査技師の受診者とのコミュニケーションのレベル、食事の
内容、支払い窓口の応対、送り出し、検査結果連絡は10日程後に佐川急便で・・・・どこをとっても合格点に至る
ものがない。
所謂、「ソフト」がないのだ。
くすぐるものがない。
確かにパンフレットやホームページには『おもわせるような』と表示されている。
リゾートホテルとは言い切っていない。
あくまで『おもわせるような』なのだ。
具体例
宿泊用の部屋に配置されたタオルは「ハナエ・モリ」と刺繍されたド派手なものだ。
検査技師はあくまで検査技師であって検査機器のオペレーションが主業務
詳細説明を受けなかった我が尊敬する津崎兄イはMRI検査の最中に自ら緊急停止をさせた。
閉所恐怖症が持病と伝える機会がなかったと言う。
ということでリピーターにはならないであろう。
肝心の「脳」の検査は他の検査結果と共に10日に自宅に送付されてきた。
《異常なし》
MDCT従来のCTでは、検出器が一列なのに対して、MDCTは四列で検出するので、 より広い範囲を短時間で撮影することができる。最小スライス厚1.25mmまで 再構成することが可能で、より細かい病変まで発見できる。 |
MRI放射線を使わず、体の水素原子の共鳴を利用して画像を作る。身体のどの 部位でも撮影ができ、造影剤を使用せずに、血管を撮影することが可能で、 動脈瘤、血管狭窄、脳梗塞などの診断に優れている。 |
RI(核医学検査)少量の放射性医薬品を注射し(被爆量は少なく胸部X線写真1〜2枚程度)、 ガンマカメラで投薬後の体内分布の様子を画像にします。特に臓器の血流と 、機能についての情報が得られ、脳血流・心筋の血流・代謝やがんの移転、 骨の異常などの診断に使用されます。 |
長い休養【その1】
昨年の8月23日、信号待ちで停車しているところに、”アホなオッサン”運転のクルマがぶつかってきた。
俗に言う「オカマをほられた」OR「オカマされた」のだ。
ただこの ”アホなオッサン”が数あるクルマの中からわざわざ小生のクルマを選んで追突してくれた。
そのお陰で高血圧の症状を発見できた。
損害保険会社から一応の検査を受けて欲しいということで、事故現場から近くの総合病院へ直行。
午後3時過ぎであったが偶然にも整形外科の医師が在席し、ムチ打ちを中心にレントゲン検査。
特に異常はなし。
ただ、予備的に実施した血圧検査で、「異常に血圧が高いが専門分野ではないので後日内科の診断を
受けたほうがよい」とのアドバイス。
翌日から内科で定期診断。
そして160〜210の間を上下する血圧。
小生自身は全く大したこともないのでこのままでも・・・・と思っていたのだが、担当の内科医が130を目標に
薬と自己管理で血圧を正常値にしましょうと病人扱いを始める。
今年4月、突然の強烈な目まいがあり、初体験のことだったので、対処方法が解らず救急車のお世話になったが
その後の定期検査で特に異常はないとのことで日常生活に戻った。
今年の7月の天候は雨が全く降らず連日気温35度を超える猛暑の日々となった。
毎朝5時過ぎに起床し、約2時間、畑で水遣り。
水遣りを終える頃には既に太陽があがり気温も30度を超える。
夕方は5時過ぎに水遣りを開始するが、焼けた地面への水遣りで、地面からムッとする蒸気が上がる。
息苦しいのだ。
そして先般、2回目の強烈な目まい。
前回同様、休日の早朝の出来事。
医療体制最悪県である奈良県に住まいする現在、こんな時間帯に異常事態が発生すると対応ができないので
家族がパニくるのだ。
今回は血圧降下剤を服用し少々の我慢を一時間くらいしていると平常に戻った。
前回の初体験の学習効果がでた。
しかし原因が解らない。
内科医は「血圧が高いのが原因ではなく、何か原因があって血圧が高い」と言い、その何かを特定するために
耳鼻科と脳の検査を勧める。
耳鼻科の検査は結構面白いもので「クイズ・タイムショック」のように椅子に座った状態で回転やら逆周りをする。
耳から水を入れたり鼻からエアを吹き込んだり・・・・・・次から次から面白い検査が続いたが圧巻は「歩行」検査。
1分間、目を閉じて同一場所で足踏みをする。
1分後、目を開けると最初の立ち位置と全く異なる場所にいる自分にびっくりする。
「異常の原因はこれか!」と思いきや
「全く正常です」と医者。
目をつぶって一定場所で足踏みをすると必ず他場所へ移動するのが正常の状態。
耳鼻科では「特に異常なし」となる。
いよいよ原因は「脳」か?
花盛り
畑に黄色が目立ちだした。
スイカもトマトも黄色の花盛りとなったのだ。
花は実をつける。
たくさんの花はたくさんの実となる。
畑の黄色は豊作の前ぶれ。
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| 露地栽培のトマトは今が 花盛り。楽しみ、楽しみ! |
何の花? にんじんの花 | これは栗の花 | ブロコッリーの葉には青虫が 花盛り? 困ったことだ。 |
早朝に目が覚める。
嘗てはこの時間帯にはNHK−BSが大リーグ中継をやっていた。(過去形)
やっていたのだが1昨年あたりから平日午前中の時間帯に録画放送することが多くなり
遂に松坂の病み上がりの出場試合も午前9時からの録画放送となった。
なぜライブで放送しないのか?
衛星放送の役割を全く果たしていない。
早朝の視聴率を気にしているか?
視聴率は民放のCM料金設定のためあるので番組の良し悪しではない。
リアルタイムに大リーグの中継することが衛星放送の役割であって、既に試合結果が
解っている試合を録画放送しても視聴率アップに繋がることはない。
松坂の復帰試合結果は民放の早朝番組で放送されている。
ニュースを伝えるのはNHKだけではない。
現状の使い方を継続するなら衛星放送の電波枠を早急に国に返還するべきだ。
今のままでは宝の持ち腐れの状態で、この電波枠を活用する能力はNHKにない。
衛星放送と地上波放送の使い分けを明確にする必要がある。
また録画放送で安易に間延びした時間枠を消化することはやめるべき。
先日から目が離せないのがTBSの「UEFA EURO2008」の早朝の中継だ。
リアルタイムだ。
毎朝4時前後に起き出して眠気眼で試合を観始めるが直に興奮状態になる。
あれはサッカーとは呼ばないと思う。
「日本とバーレーン」のサッカー中継を楽しみにしたが「EURO2008」を毎朝見続ける中での
この試合は全く別の球技のように思えた。
雨中の試合であったがチンタラとした緩慢な動きや、吉本バリの大袈裟な照れ隠しのジェスチャー。
中継が始まった前半の途中で視聴をやめた。
サッカーとフットボールの違いか?
北京五輪の放送も同様になりそうだ。
派遣選手の選考基準をグローバル基準にすべき。
「差」を知るべきだし、知らせるべきだ。
大切な税金を使うのだ。
日本人全てがリアルタイムにまだまだ発展途上ということを認識する授業料だ
箱物行政の最終処理方法が指定管理者制度。
わが街にも立ち行かなくなった物件が多数あり、特に赤字の目立つもので本来なら
閉鎖するか取り壊すべきなのだが、どちらも費用が発生しマイナスが増加するとして
最終的に民間に運営委譲をして赤字減を図る制度。
公募をして公平性を前面に出してはいるが、最終決定の明確な基準とそれにいたる過程が
公開されておらず肝心のところで少々胡散臭さが残る制度でもある。
わが街の物件でやはり納得の行かない制度運用が散見されるので、いづれ公開質問をしようと
思っている。
今回はここまで!!
身長167pで体重は現在75kg、そしてウエストが84p。
メタボの典型状態だ。
自分のため、そして同じ体形の方のために菜食をと思い立ち、毎日毎食時に
手軽に食せるサラダの素材として「ベビーリーフ」の栽培を始めた。
この時期は葉菜類の成長が早く、播種してから朝晩の水遣りをきっちりすれば約4日で発芽。
10センチ位に成長したものを刈り取り食する。 約3週間から4週間で収穫できるのだ。
現在15種類を栽培。
常時8〜10種類を混ぜてサラダとなるように成育速度を合わせるのがちょっとしたコツ。
小生は播種をトレーで行い、発芽してある程度成長したものを定植している。
少々手間なのだが収穫に伴なって発生する空きスペースに直播をして発芽〜成長を
待つよりも、トレーである程度成長したものを定植する方が次の収穫までの時間短縮ができる。
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| トレーに播種 | 1週間位で発芽 | 畝の空きスペースに定植 | 3週間で収穫可能 |
一週間に一度、1kgを袋詰めにして2件のレストランに配送。
55g前後を単位に袋詰めして地元の直売所で100円で販売しているが、好評。
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| 朝採りしたものを袋詰め |
ちなみに今直売所に出荷しているのは
新タマネギの赤と白の2種類
糖度が9度近い甘いミニトマト
早朝に収穫する朝露の付いた超新鮮レタス
7月になれば
新ジャガイモ(キタアカリ⇒黄色。軟らかいのに煮崩れしないし甘味があり人気)
イタリアン・トマト(2種類。生食用と加工用)
中玉トマト(キトサンを利用した有機栽培で全量をキトサン栽培の専門店に出荷)
ピーマン
オクラ
が出番を待っている。
本格的に農業を始めて5年目となるがやっと自分のスケジュールと作物の成長が上手く合うように
なってきた。
おもしろくなってきた。
今年はトマトの畝の間にバジルやイタリアンパセリ等のハーブ類の畝を作り播種した。
トマトの成長と共にハーブ類が成長。
おいしいトマトが実れば実るほどそれを狙ってたくさんの虫が寄り集まる。
このトマトに寄り集まる虫たちがどうもバジルの葉の匂いに弱いらしく、バジルの匂いのする
トマトには寄り付かなくなる。
反対にバジルに集まる虫たちはトマトの匂いが嫌い。
ということで共に成長させてみてはどうかとの話を聞いた次第で、書物を読んで「共栄作物」という
言葉を知った。
共栄作物 カタカナでは「コンパニオン・プランツ」
このコンパニオン・プランツを集めてみようととりあえずハーブの種を手配した。
今日現在で21種類。
直ぐに播種する。
畑にたくさんのコンパニオン(?)がいれば毎日が楽しい。
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| ハーブの畝と両側にトマト | 集めたハーブの種 |
どの程度の効果があるのか未知数だが、農業関係の書物にはいろんなコンパニオン・プランツが紹介されている。
「病害虫が減り、土がよくなる」と記されている。
こんなありがたい話は滅多にない。
先般、救急車のお世話になる際に、自宅周辺ではサイレン、ライトを停止して欲しいとお願いし、来る時も
小生を運び出す時もそのようにしていただいた。
早朝でもあるのでご近所への配慮と共に、恥ずかしさがあったためだ。
しかし、年寄りの多いこの田舎街では早起き人口が多いのだ。
いつの間にか「救急車が当方自宅前に来た」ということよりも、「誰が救急車に乗せられたのか?」が
話題になっていたようだ。
(あれほど気を使ってサイレン・ライトを停止してもらったのに・・・・)
しばらくは84歳になる小生の母親・・・ということで落ち着いていたようなのだが。
結局はどこからか小生が高血圧で倒れたことがバレてしまった。
救急車のお世話になったその翌日から普段通りの生活をしていたので全く問題のない状態だったのだが
数日後には日頃はご挨拶程度の方から、通院先の病院名を聞かれ「高血圧なら○○病院が良い」との
アドバイスをいただいた。
この日を切っ掛けに多数の方々から同様の質問とアドバイスをもらう日々が続いた。
各病院の医師の名前まで知らされた。
その医師の出身大学やら経歴まで精通している方もおられた。
そして最近では疲れた日の楽しみでもある「あきのの湯(大宇陀温泉)」の露天風呂。
ここでもいつの間にか常連さんとの会話が高血圧に関する話題に集中し始めた。
さらに畑まで乗り込んできて症状を細かく質問する方が多くなってきたのと高血圧対策の話を
延々とした後に、ご自身手作りの高血圧に効くという健康飲料や市販の飲料を持参。
果ては秘伝の漢方の処方箋を手書きで。(わが街は薬草の街としても知られている。徳川家康の直轄の
薬草園が存在し、藤沢薬品(現アステラス製薬)の発祥の地でもある。
生家は「薬の館」として往年の薬問屋の保存がなされている)
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| 薬の館 | 毎食後に飲む大量の薬 |
お越しいただいた方々の血圧に関する知識の豊富さ深さには本当に感心する日々だ。
血液に関する分析項目、項目毎の正常数値、血圧降下剤のメーカー別品名、血圧に関する優秀な(?)医師と
病院名、高血圧に効く独自の健康飲料等々。
しかし、小生が毎月1回の定期検査に行くこと以外は、全く今までと同じ生活を続け、彼らが毎度のように
知りたがる小生の日々の血圧の変化とか月一回の検査時での血液検査の数値結果等々全く記憶も記録も
持っていないことで、話題が繋がらずがっかりさせる状態が続いている。
オムロンの血圧計を勧められて枕元に置いているが計測することもない。
朝食代わりにもなる量の薬と頂き物の各種健康飲料も、眺める程度になってきて在庫過多。
来月くらいからは定期検診も止めようと思っている。
イチゴが命取り
昨年の11月初旬に定植したイチゴが成熟の時期となった。
畑に近づくとイチゴの甘〜い香りが漂ってくる。
この匂いにつられて鳥が集まりだした。
特にヒヨドリの大胆さに腹立たしくなりイチゴの畝全体を覆う防鳥ネットを設置した。
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このネットの効果は絶大で殆どの鳥たちはイチゴを食することを断念したようである。
小生が朝夕にこのネットの中に入って熟した真っ赤なイチゴを収穫し始めると周辺の
木々や電線にたくさんの鳥がとまって、おこぼれに預かろうと待つ。
不出来なイチゴをネットの外に投げ出すと我先にと飛び降りてくる。
ところがこのヒヨドリだけは許せない。
少し目を離すと この5cm角のネットを突き抜けてネット内に入り込み、半年も要して
成熟したイチゴの一番熟したものを食いちぎって行く。
5cm角の空間を羽を体につけて嘴を中心にして突き抜ける。
小生が追いかけると少しホバーリングして勢いをつけてネットから外に逃げる。
命懸けでイチゴを食べに来るというより、かなりの知恵をもっているようで
防鳥ネットはヒヨドリには全く役に立たない。
と思っていたが昨日の昼、畑からギャーギャーと鋭い鳴き声。
防鳥ネットにヒヨドリが引っかかっている。
周りでは安否を気遣う仲間のヒヨドリがギャーギャー。
この鳴き声、聞きようによっては子供を虐待しているかのようにも聞こえるので
これは大変と、なんとかネットから救い出そうとするがヒヨドリが鋭い嘴で攻撃してくるので
ネットから取り出すことができない。
徐々に体力を失くすヒヨドリ。
助け出すのを止めた。
何でこんな危険なことをしてまで・・・・と思うが、12月のケーキ用としてハウス栽培が主流になった
イチゴ。
露地で栽培する農家がなくなり、この時期に露地でイチゴを作っているのは近隣では小生のみだ。
しかし露地栽培のイチゴのこの香り、この甘さを一度知ってしまったら忘れられない。
ヒヨドリが命懸けで食べに来るのは納得できる。
ひよどりの こぼし去りぬる 実の赤き 蕪村
ギター手元に
還暦の祝金で念願のギターを手に入れた。
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| ボケ始めの小生 | 還暦の印に赤いリボン |
学生時代、キャンパスや京都・御所の木陰でたくさんのグループ゚が
ギターを抱えてPPMやらブラフォーのコピーをやっていた。
小生もその一人だった。
就職してからはギターとは縁遠くなっていたが、社内で、学生時代に憧れだったギターを
数本持って、今までに接した事のない楽曲を弾きこなす人物に出会った。
いずれ小生もあのギターを持ちたい・・・・・と思い、小金ができる度に楽器店を
覗いてみたが、踏ん切りがつかなかった。
古いYAMAHAを引っ張り出して手入れして何とか自分を誤魔化してきたが、妻や子供たちの
勧めもあり、やっと決断した。
かび臭く、変色した楽譜を開いて青春時代の想い出の曲を弾き歌う。
殆どの曲のコードが譜面を見ることなく思い出され、イントロの旋律まで弾ける曲もあった。
歌詞はもちろん全て覚えていた。
恐ろしいことだ。
ボケの始まりは「最近のことは直ぐに忘れるが、昔のことはヨ〜ク覚えている」とのことで
小生も少々ボケ始めている様だ。
初めての救急車
夜中の三時ごろだった。(草木も眠る丑三つ時・・)
のどの渇きで目が覚めた。
今までに無い事だった。
ベットから起き出してとりあえずキッチンに行き冷蔵庫のドアを開けたときだった。
冷蔵庫が突然, 左側に傾き出した。
あの時のことが一瞬思い出された。
平成7年1月17日の深夜、仮眠のためにハーバーランドの店舗の2階階段の踊り場に
ダンボールを並べて横になろうとした時、大きな余震があり咄嗟に階段手すりにつかまった。
恐怖心があった。 今も忘れない。
ところが今回は冷蔵庫ではなく自分自身が傾いていることに気づいた。
目をつむってみると頭の中身がグラグラと回っている(気)。
何事が起こっているのか全く解らない状態が続いたが、とにかく地震ではないことだけは解った。
大声で叫んで家人を起こすことも考えたが、とにかくベットへは戻ろうと動き出したが目に入るもの
全てが左側に回って行くのでそれに逆らおうとする力が働いて、前に向かって進めない。
これではベットに戻ることはできないので、四つん這いになって進んで近くのソファーに横になり
一体どうなっているのか考えてみたが全く答えが出ない。
30分間我慢してみたが通常に戻らない。
意を決して再び四つん這いになってベットに戻り、妻を起こした。
「今までに経験したことのない状態なので病院に行きたい」と言い、救急センターに連絡して病院を
探してもらったが見つからない。
もし見つかったとしても、今の状態ではクルマを運転して病院へ行くことが出来ない。
情けないことだが「救急車に来て貰おう」
待つこと20分(自分では1時間位に思うくらい長い時間だったが妻は直ぐに来てくれたと言う
搬送先が未決定だということで少々待ったが自宅から15分くらいの病院で受け入れOKとのことで
いよいよ救急車に乗り込む。
手を借りてベットから起き上がろうとすると先程よりも強い目まい。
救急隊員が持ち込んだベットに乗り移ることもできず全てを彼らに委ねた。
情けないことだった。
乗り移ったベットの背中にあたる部分が何か冷たい金属か木材のようで寒さに震えた。
毛布を掛け、ころび止めのベルトを締められベットから待機中の救急車へ。
救急車内は天井しか覚えていない。
両サイドに蛍光灯、センターには500Wくらいの大きな白熱灯が設置されていた。
小生が寝ているベットの左側に2名の救急隊員が座り、右人差し指先に何か解らないが
クリップをはさみ、左の腕では血圧測定。
無線で救急センターに連絡。
小生の氏名や生年月日、現在の症状、今測定した血圧・・・ただいまより出発」
同じく長い時間に思ったが、 約15分ほどで救急病院に到着。
「血圧上が220、下が160」
血圧降下剤の投与で30分で目まいがなくなった。
初めての救急車であったが本当にお世話になった。
この75キロの重量物を手運びし、クルマの中での診断、励ましの言葉、
ありがたいことだった。
救急車のお世話になることのないように健康管理をしよう。
次にお世話になるのは霊柩車になると思うがこちらの方はどんなにお世話になろうと
車内の状況や乗り心地などお知らせすることもお世話になったお礼の言いようがない。
新作が楽しみ
遂にあの「インディージョーンズ」の続編が公開される。
Holllywoodの映画館に大きな看板が吊り下げられた。
ハリソンフォードも60才の後半になっているが、どの程度のアクションがあるのか
日本での公開が待ち遠しい。
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| May.22になっている | 「A NEW RIDE COMING 2008] |
ユニバーサルスタジオの3Dアトラクション「Back to the future」も取り壊しがほぼ終わり
新アトラクションの「THE SIMPSONS」となる。
どのようなアトラクションなのかこの秋には初体験しようと思っている。
ドジャース
幼少の頃から野球は好きだった。
というよりも、あの頃は庭球のフニャフニャのボールと竹棒があれば暗くなるまで遊べたのだ。
5時を過ぎると仕事を終えた近所の大人たちが小学校の校庭に来てボールを高々と打ち上げてくれて
子供たちはそれを追って走り回った。
何時の頃からか解らないが「夕焼け小焼け」のチャイムが5時に鳴り出し帰宅を促したが、大人も子供も
日没がその日の終了だった。
商店街の夏の大売出しはガラポン券付。
特賞は甲子園までバスで送迎する「阪神・巨人戦」
母からもらったガラポン券を持って一目散に抽選会場へ。
祈る気持ちでガラガラとハンドルを回す。
ポトンと落ちる。
当選のカラー玉が出たときのあの感激は忘れられない。
西岸良平 「三丁目の夕日」の世界だ。
今でもビッグコミックの特集を読むと涙が滲むことがある。
85年のバース・掛布・岡田の3連続ホームランからスタートしたあの時の阪神タイガースの強さは
凄かった。
野球は実に単純なのだ。
投げて、打って、走る。
空白の一日やら10人目の野手やら訳の解らない手法で野球をするチームが勝つ状況になり
プロ野球の面白みが無くなると同時に、阪神タイガースの長期低迷時代に入り、プロ野球への興味を失った。
そんな中、BS放送で大リーグの中継が始まり、ライブで観れることになった。
嵌まってしまった。
野茂やイチローは日本ではゲテモノのように扱われていたがBS放送を通じて彼らの活躍を知り
やっぱり野球というのは実に単純なゲームなのだと確信した。
今回もロスで入国するなりレンタカーでドジャース球場へ。
明日からのパドレス戦のチケットを購入し、その後久方ぶりに最上階の座席で
グランドの整備作業風景を眺めていたら、老人が隣に座り「日本人か?」と問われた。
彼は野茂の活躍した頃を年代に沿って話してくれた。
黒田はどの程度の投手だったのか?彼の知りたかったことのようだが充分な知識と語学力が
ないので伝えられなかった。
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| 昼下がりのドジャーズ球場 | 黒田のTシャツ山積み | 50周年記念のヘルメット型 ラジオをもらった |
観戦中の小生 |
翌日からの三連戦は夜7時45分試合開始。
黒田は打ち込まれ、斉藤も守りきれなかった。
その翌日、同じく途中で逆転されたままの負け試合となった。
ヤンキースからドジャースへ移ったトーリ監督の采配が見ものだったがヤンキースの
ような強烈な打撃力がない。
今は地区で一位の成績だがこの打撃力では最終はどうなるか?
50周年を迎えたドジャースは連日54000人を超えるファンが入場し、大いに盛り上がっている。
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| 早々と入場として | 練習風景を観る |
21世紀に入ってから阪神タイガースの戦い方が大きく変わって、面白さが戻ってきた。
投げて、打って、走る
誰が見ても解る単純なゲーム。
今年は阪神タイガースの戦いぶりと大リーグの混戦状態で楽しみが増えた。
還暦
4月4日 誕生日。
遂に満60歳・還暦
世間ではいろいろと祝いをするようだが、当家では常々、小生の誕生日に特別な
ことはしないように言っているのでこの日も平常通りとした。
その昔、子供たちが小遣いを持ち寄って購入したポーチを誕生日プレゼントとして差し出した。
その時に子供たちに言った。
「このポーチはお父さんの趣味に全く合わない。
だからこのポーチは捨てる。
余計なことでお金を使うな。
気持ちだけで良い」
骨身に滲みたのだろうか、それ以後は全くプレゼントはなくなった。
夕食に母が赤飯を炊いた。
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| ずっしり入った祝い袋 | 還暦祝いの文字 |
そして妻が二つの包み物を差し出した。
一つは子供たちと妻、
もう一つは妻の実家である長崎の母や兄弟姉妹。
「前々から欲しがっていたギターを手に入れて下さい」の一言。
泣けた。
山中湖へ
車検を終えたクルマの調子を確認するのに何時もの事だが遠出をする。
今回は富士山麓の山中湖畔に引越しをした友人宅を訪問することにした。
朝5時に自宅を出発、天候は時々ミゾレとなる氷雨が降りしきる。
西名阪道路を過ぎる頃から曇り空に、伊勢湾道通過時は強風、東名に入ると
小春日和で時々小雨、浜名湖周辺から桜が鮮やかとなり静岡に入って茶畑の緑が。
残念ながら富士山は厚い雲に覆われて見えない。
御殿場ICを出て山中湖への高速道に。
そして少々長めのトンネルを抜けるとアッと驚く猛吹雪の山中湖半に午前10時に到着。
道程5時間程の間の急激な天候変化に対してクルマは全く問題なく快調な走り。
伊勢湾道では強風の中で150`/時速を軽く出してしまうほどだった。
友人・佐藤氏が待っていてくれた。
積雪10センチはあった。
約4年間、与論島で短パン姿で過ごした環境から、この厳寒の富士山の裾野に
引っ越してきたのだが、僅か4ヶ月ほどでこの天候に適応しているようだ。
与論島の自宅に伺ったときは地中海風の真っ白なデザインの家で庭先が砂浜、
サンゴ礁に囲まれた海の色は時間ごとに変化。
朝らしき時間に起き出して海に潜り、モズクを刈り取って持ち帰る。
適当に皿に盛り付け、この地方独特のモズク用ドレッシングをぶっかけて食する。
彼は早速冷たいビールをグイグイ。
小生は彼の秘蔵のCDを流し聞く。
・・・・悠久の時を過ごせた。
この山中湖半の自宅は白樺や唐松に囲まれた三階建てで、大きなガラス窓から
富士山が望め、裏庭を通り過ぎれば彼の趣味であるテニスクラブ、表通りを少々歩けば
同じく趣味のクルージングが可能な山中湖だ。
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| やはり良い音が鳴り響く | 家具職人手作りのギターケース | 3階吹抜けから2階を見る | 炎は見るだけで暖かい |
2階リビング中央に配された薪ストーブが全体を暖める。
薪ストーブの炎は視覚的にも暖かさをプラスする。
リビングには垂涎のギター数本が湿度管理のできる別注のケースに眠っている。
ギターを次々取り出し、引き比べをさせてもらった。
それぞれのギターの謂れやここに至る曰くを聞いたが、それを抜きにしてやはり
数十万円のものと数百万円のものの違いは明解だ。
2〜3階への吹き抜けが音響を深くしている。
いい館(やかた)を手に入れたものだ。
昼食に蕎麦を所望したら雪が深いので現地に行けるかどうかわからないがとのことだったが
我がクルマで難なく到着できた。
蕎麦の種蒔きから刈り取り、蕎麦打ちまでやり出して3年がたったが、やはり旅する先々に思いもかけない
食べ方や味付けがあり、この山中湖畔の「天祥庵」もなかなかのもので蕎麦文化の深さを知らされた。
先般、都内のラーメン屋で一杯のラーメンとワインで3時間を過ごしたという佐藤氏だが、小生が至って下戸
であり、話題不足のためにこれほどの場所でこの蕎麦文化を語れない。
一時間少々がやっとのこと。
もっと勉強せねばと思い知らされる時間と場所だった。
しかし途中にもっと考えさせられることがあった。
富士通のファナックの本社・工場のことだ。
日本の技術力・製造力を支えるロボット技術を持った本社・工場のその異様さだ。
日本人の心のふるさと、富士山。
その富士の裾野の東にファナックのサティアン、裏にはオーム真理教のサティアンがあることだ。
この富士山を世界遺産にと申請を繰り返す方々にはっきり言おう。
このファナックのサティアンがある限りそれは許されないことだと思う。
今回、富士の裾野に広がる大自然の中に全く染まらない異様な色使いの工場群が広がる「ファナック通り」
と呼ばれる異次元の世界を走った。
一企業の悪趣味がこれほどの罪をばら撒いているのに何の措置も執らない山梨県。
大自然を視覚的破壊をすることを許すのか、少々の事業税・固定資産税を得ることのどちらをとるのか。
富士山は山梨県に存在するが本件は一県の問題ではなく国の問題でもある。
このサティアンに対する姿勢が、富士山の世界遺産認定への最低条件だ。
問題とされるゴミ処理なんかと比較できない大罪だ。
夕方の5時。
一泊していけば・・・京の茶漬けかな?・・・・の佐藤氏の誘いを辞退した。
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| 「ぶっかけ」甘味の焼き味噌と 辛味大根が食を進める |
「天祥庵」の古家入り口で | ファナックのサティアン群 | ♪♪富士は日本一の山♪♪ |
クルマに乗ると同時に突然、付近の雲が流され雄大な富士山が全容を現した。
約5分間くらいだったか。
再び富士はその頂を雲の中に隠した。
10月8日 御神輿(我が地元では「太鼓台」と呼んでいる)巡行。
この一週間は秋祭りの手伝いであっという間に過ぎ去った。
その最終日に大型と小型の2台の御神輿を街中引き回す。
小生が幼少の頃はこの大きな御神輿を屈強の男たちが担ぎ上げて練り歩いたが
15年くらい前からこの御神輿に台車をつけてゴロゴロと引き回すものになった。
理由は簡単。。
他所の例に違わずこの街も若者の転出が続き、小生が若者と呼ばれる立場だ。
3万人近い活気のある街だったが、今や8千人余りの老人中心の街となったのだ。
御神輿を辞めてしまった街も多くあると聞くが我が街は何とか今年も御神輿を出せたと
皆が喜んでいた。 微力だが小生も多少役に立ったようだ。
御神輿の組み立て等々準備段階から、太鼓を敲く。この敲き方(リズム)に特徴がある。
小生は幼少の頃から聞いているので今でも直ぐに敲けたが、初めての子供たちや他所
からの転入者にはなかなかこのリズムが体得できない。
祭りの当日、朝からこの太鼓の音が聞こえてくるとウキウキした。
懐かしい想い出だが、今、この歳になっても変わらない。
巡行を終えて御神輿の片付けの最中に、平成9年9月 「杉良太郎」の舞台公演
「平手酒造・大利根囃子」を思い出した。
杉良太郎さんについてはTV番組や流行歌は知っていたが舞台は初めて。
凄い!の一言だった。
江戸・神田お玉が池の千葉道場で千葉周作の高弟が杉さん演じる平手酒造。
周作の妹(?)と恋仲となり、末は道場の跡取りとも言われて絶好〜調〜。
二人が語らいながら歩くお玉が池淵に聞こえてくる祭囃子。
それはそれは楽しく、ウキウキするその祭囃子。
平手酒造は時折、変な咳を繰り返す。
そして千葉周作はこの咳が労咳と察し、平手酒造に修行を止めて休養すること
を勧める。
この勧めを素直に受けられない平手酒造。
千葉周作への逆恨みとなり療養するどころか酒に溺れて行く。
坂道を転がり落ちて人生のどん底で悶える平手酒造の前に、騙され騙されて同じくどん底
人生を歩く女と巡りあう。(葉山葉子さんが演じていた)
二人がやっと癒しあえる時間を持てるようになり、励ましながら今一度坂道を登ろうと
決した日、女はまたまた騙されて平手酒造をおいて去る。
最後の支えを失った平手酒造。
更に酒に溺れて笹川繁蔵一家に転がり込む。
そして浪曲・講談でお馴染みの天保水滸伝「利根川べりの大喧嘩」に。
一宿一飯の恩義から笹川一家の用心棒となって飯岡介五郎一家の手下をバッタバッタと
切り倒すが労咳の悪化と深酒で万全でない平手酒造。
物陰に隠れた三下の繰り出した竹槍で下腹を刺されて致命傷に。
何時しか喧嘩は収まり舞台には平手酒造が倒れている。
舞台中央に一本の枯れ木が立っている。
平手酒造が最後の力を振り絞ってこの枯れ木に這い進む。
舞台上の距離で僅か3メートル位だが杉さんの演技力の真骨頂長。
じっくりじっくり這い進みこの枯れ木に上半身を委ねる。
この這い進む時間、観客のほうが息苦しくなる。
劇場内1500人の観客がいるとは思えない静寂。
遠くからかすかに祭囃子が流れてくる。
あの江戸・お玉が池淵で人生の頂点にいた時に聞いたあの陽気な祭囃子だ。
全てを失い、そして今、命さえも失いかけている平手酒造。
同じ旋律だが何とも悲しく寂しく響くことか。
観劇している小生はもちろん殆どの観客が涙ぐんでいる。
この祭囃子をしばらく聞き流していた平手酒造。
最後に搾り出すセリフが
「祭囃子って寂しいものだなあ〜」
スポットライトが絞り込まれる速度に併せて緞帳が降りる。
いい芝居だった。
来年のこの時期 流れてくる祭囃子に、幼少の頃と同じく
ワクワク・ウキウキとなる自分でありたい。
フラッシュメモリー
東京・単身赴任中の辻田氏よりフラッシュメモリーが郵送されてきた。
中身は辻田氏がこの大宇陀の地に訪れたときのスナップ写真だ。
40枚余りの写真をスライド形式で流し見していて「ハッ」と思った
ものがあったのでご紹介しておきたい。
辻田氏のデジカメは一世代前のもので液晶画面も画素子も低いが
これほどの写真が撮れるなら一眼レフのちょっと上級クラスのものを
使ってみてはどうかと勧めている。
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| 又兵衛桜 一般的な構図だが桃の花のピンクと老齢の枝垂れ桜のピンク、そして僅か70数年しか生存しない人間の並びが良い |
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| トリミングすれば・・・面白い素材 | 人工物の直線と自然の曲線の対比が良いと思う |
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又兵衛桜の朝もや 朝もやの中でシャッターチャンスを待つひとたち やはり一眼レフの上級機 が欲しい。フィルターを活用すると朝もや自体を画像に使えたのに・・・。 |
又兵衛桜は被写体として面白いがその周辺に存在するものとの対比が良い。
時間帯別の又兵衛桜の姿、天候別の姿、開花から落下への時系列別の姿等々、
三百歳を超えるこの枝垂桜のたくさんの写真愛好家の作品を見るが、辻田氏の
捕らえ方も良い。
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| 朝もやを巧く表現できないか |
この他には織田信長の次男・織田信雄の居城であった秋山城に行った様で、
水墨画的な絵作りに興味がある。
いろんな捕らえ方、またテクニック等自身の経験の集大成としてカメラを通して
表現できる素材がいたるところに在るこの街。
次回のフラッシュメモリーが待ち遠しい。
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| バカチョンカメラで・・・! すごい!! | 城山の対極にある西山の月 |
ハローウィン
もう10数年前になると思う。
「フリーズ!」と言われたが、意味が解らず、動き出した途端に銃で射殺された事件を
覚えているだろうか。
米国に語学留学していた日本人男子学生が、ハローウィンパーティーに招待された友人
宅を間違えてこの惨事になった。
パーティー好きのあの国でちょっと理解できないのがハローウィンパーティーだ。
10月のウィークエンドにディズニーランドに行くと18時前に退場させられる。
入れ替わってナントも表現のしようのない衣装を纏った子供たちや親たちが
入場してくる。
恒例のハローウィンパーティーが開催されるのだ。
スーパーマーケットではハローウィン用の大きなカボチャが山積みされる。
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| 一個が100円位 | どこでも山積みだ |
拙宅も毎年この時期には女房が玄関先からハローウィンのグッズを飾る。
自作のものもあれば旅先で購入したものもあるが、毎年毎年何かが増えている。
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今年はあのカボチャを作ってみようと種から苗を育てたが、植え替えのタイミングを
失して枯らしてしまった。
来年は大量に植えて庭先でハローウィンカボチャのディスプレイをしてみるつもりだ。
いろんな顔のデザイン集や張り刻む道具類は手配済み。
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目、口、鼻等々カボチャを刳り抜くのが 簡単にできる道具類やいろんな顔の デザイン集が販売されている パーティー用の子供の衣装はレースや スパンコールを使ったヒラヒラ・ハデハデ のものが$20〜$30位 |
来年こそはハローウィンカボチャを育てる。
カボチャを使ったディスプレイの参考事例を多数保存していたが、見つからない。
この数日、イライラしているのだ。
こんなことが多くて自分自身に腹が立つ。
先般、何気なしに血圧計で測ってみると上220、下160で脈拍51と出てビックリした。
最近、どこの公共施設の休憩所に置かれている自動血圧計だったので、故障でも
しているのだろうとは思ったが念のため2,3箇所の自動血圧計で試してみたが
ほぼ同様の数値がでた。
「フリーズ!」した。
『瓢箪から駒』ならぬ『カボチャから血圧』となった。
続く・・・・・・血圧騒動へ
ハクサイ完売
8月21日火曜日 酷暑
朝8時 既に30度近い気温になっていた。
この地域のハクサイ定植時期としては一ヶ月早い今日、素人量産農家をスタート。
準備したのは超早生の苗で播種後約65日で収穫できるというものを1800苗。
JAから1苗約10円で購入。
シルバー人材センターから2名のベテランを派遣してもらって3人で2時間少々で定植完了。
この時気温は30度を超えていた。
「こんな天気の中で定植して大丈夫か?」と何度も中止を勧められたが作業続行。
そして、定植完了した苗を見ると、あの生き生きとしていた苗が、全て脱水状態で
半ミイラ化して真っ白になっている。
その日の夕方、約2時間を要して全ての苗に散水したが、焼け石に水とはこのことか。
散水開始した箇所はもう全く水気のない状態となっている。
再度、夕暮れの中で散水実施。
全滅を覚悟したが翌朝、約2割弱の立ち枯れで止まった事で「よ〜し!」
何かがムラムラムラっと動き出したのだ。
翌日も既に30度を越えている。
雨は全く期待できない。
津崎兄イに久方ぶりに相談、良きアドバイス得た。
しっかりと『水を遣る』ことだ。
昨夕の散水は正しく『水を撒き散らかした』だけだった。
二回目も『水で濡らした』だけだったのだ。
異常な状況の中で定植したのであれば普段のことを踏襲するだけではダメだ。
何でも一緒だ! 目に見えることだけではだめ。
水をかけるだけではダメ。水で濡らすだけではダメ。
ハクサイは口がない。文句は言わん。
しっかり『水を遣る』をやったかどうかはハクサイが答えを出す。

出荷を始めて10日目の昨日、120ケース(720個)をJAに、約650個を奈良・南大阪の
スーパーに納品した。
今年の長期の異常気候で地元はもちろん、この時期に出荷する産地からの出荷がなく
近年稀に見る高値で引き取られたと聞いた。
しっかり『水遣り』ができたこと。おかげで8割近い成育。そして思いがけずの高値。
う・・・ 満足じゃ!
枝雀
相変わらず朝5時前後に目が覚める。
朝起きに関して目覚まし時計は全く不要だ。
春先は4時前に起床し、朝ぼらけの中でレタスの収穫と出荷作業をした。
朝7時に出荷して朝食をとる。
充実した一日のスタートだった。
この時期は特に畑作業はない。
起き出してゴソゴソと動き回っては妻に迷惑を掛けると思い、彼女が起き出すまで
低ボリュームでテレビを観ながら出来るだけ寝床で我慢する。
この土曜日も同様で朝5時過ぎからテレビのスィッチオン。
ところが平日とは違い,定番の番組がないのでチャンネルサーフィン。
NHKの「関西思い出シアター」で久方ぶりに枝雀を観た。
5:15〜5:50の番組だが、枝雀をやるなら「つぼ算」よりもやはり「代書屋」をやって
欲しかった。
ボケと突っ込み、所作とシャベクリが絶妙で枝雀落語の真骨頂だと思っている。
しかし、この芸をもってしても師匠である米朝はんに追いつけない、追い越せない。
偉大な師匠の芸の域に何を持って追いつくのか?
たどり着いたところが、あの枝雀の芸だったと思う。
顔相を百面相の如くに変化させ、立ち上がったり、ひっくり返ったりと大袈裟な所作。
シャベクリに独自の振り付け。
枝雀の芸ができたのだ。
が、本人はこれを邪道だと思っていたのではないか
枝雀が小米の時代に朝日放送ラジオ「ポップ対歌謡曲」の水曜日担当だった。
小生は水曜日が仕事休みの時が多く、昼過ぎの30分間のこのクイズ番組が楽しみだった。
桂春蝶、吾妻ひなことの三人の掛け合いはオープニングから熱いもので、一問のクイズ出題
もないままで時間切れとなることなど始終。
そこには百面相もなければ、大袈裟な所作もない。
ラジオだから姿形は全く関係なしで笑いがとれた。
生き生きだったが、枝雀を襲名してから何かおかしくなってきた。
マクラもだんだんヒステリックなもの、ストイックなものだった。
「人間はなぜ立っていることができるのか?
呼吸をしているからだ。
前の方に倒れそうになると息を吐き出してその抵抗で元に戻る。
後ろに倒れそうになると息を吸い込んで元に戻る。
それが証拠に、息を止めたらドテッと倒れる」
と実演をして見せるのだ。
息を止めると顔面が赤くなりダウン。
その倒れ方は異常だった。
藤本義一が直木賞を得た「鬼の詩」を思い出す。
主人公は桂○○(思い出せない)。 人気の出ない落語家。
突飛性で何とか芸を繕う日々。 そして天然痘を患う。
残ったのは顔一面に出来た天然痘の後遺症である膿んだ箇所の凸凹のケロイド。
突飛性の追求の果てがこの凸凹にいろんなものを差し込んでブラブラさせて笑いを取る。
挙句は口の中に電球を入れて頬の痘痕から洩れる明かりをみせたり・・・。
30歳そこそこで逝く。
枝雀にこの「鬼の詩」が重なった。
追伸
米朝はんの弟子でなかったら死を選ぶことはなかったと思う
「鬼の詩」を読み直そうと倉庫の中を探し回ったが見つからない。
いらいらしてきたので血圧を測ってみると180、144で脈拍53、
どうも早起きは体に悪い。
火入れ
我が街、大宇陀(おおうだ)は海抜380m、四方を標高1248mの高見山をはじめとする山に
囲まれている。
寒暖の差が大きく四季の変化、昼夜の変化が際立っている。
真夏でも昼は30度以上、夜半には20度前後となり過ごしやすい。
”関西の軽井沢”と呼ばれもしている街だ。
長く続いた温暖な気候も11月の半ばを過ぎるとそれなりの気温となり、今朝は突然の初霜と
なった。
野外に放置している農業用の軽トラの前面ガラスが凍て付いた。
いよいよ冬の始まりだ。
この冬はクリスマスイルミネーションを全て中止し、この畑小屋でゆっくりと来年の作付けを
計画したり、最近疎遠になっている活字との付き合いを再開することにした。
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| ベーコンをベースにした野菜スープ いい香りが部屋中に充満した。 |
畑小屋の周りには一冬分の薪を積んだ |
快適に過ごせるように、この初霜が降りた今日、「火入れ」と称して今冬初めて薪ストーブの
使用を開始した。
薪ストーブのガラス越しに炎をみるだけでも暖かさを感じるが、点火してから約半時間位で
ストーブ全体、そして煙突から発散する輻射熱が体を包む。
薪ストーブの上には「ル・クレーゼ」の鉄鍋、中身はこの畑で収穫したジュガイモ、キャベツ、
ブロッコリー、タマネギ等々をスープ煮。
やっと「スローライフ、スローフーズ」の入り口に立った。
「・・・だった」?
全国紙の一社の記事に対して、皇太子殿下よりご指摘があったとの記事。
新聞記事の中に『「勤労感謝の日」は「新嘗祭」であった』とされているが、宮中をはじめ
日本各地で「新嘗祭」は年間行事として執り行われているとのご指摘である。
その通りだ。
小生も先般この「新嘗祭」に地区の代表として参拝した。
「五穀豊穣に感謝し来年もまたよろしく頼みまっせ」と神主の詔があり、全員が神の祠に
二礼二拍一礼をして、玉ぐしを奉納、御下がりの白濁の酒をお神酒として全員で回し飲み。
約2時間ほどの行事であったが「新嘗祭」は厳かに執り行われた。
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「だった・・・」ではない。
同日の記事の中に大豆の自給率が大きく取り上げられていた。
僅か5%だ。
大豆を原料とする食品は日本人の骨格を形成する基礎食材だ。
他国に行くと最初に感じる香りがあるが、この国の香りは納豆の香りだ。
それほどの重要な大豆を一部の利権商社による輸入に頼りきっている。
スーパーの豆腐売場、納豆売場でそれぞれのラベルの表示を見て貰いたい。
「不二家」「吉兆」「マクド」等々の偽装などは目くそ鼻くそのレベルだ。
何が「国産100%」の大豆使用だ。
味噌はどうだ。醤油はどうだ。
しかも輸入大豆の他に現地で製品化されたもののなかに、遺伝子組み換えによる発がん性
物質を大量に含んだ醤油が流通している。
今年も年末が近い。
年越し蕎麦。 残念ながらこれも自給率5%だ
蕎麦打ちをしようと3年連続で蕎麦作りをしたが、11月末に脱穀のために製粉会社に持ち込む
と、大型海上輸送コンテナが横付けされている。
中国やカナダの表示が大半だが、製粉化された工場内の製品袋には日本国内の有名蕎麦
チェーン名と国産蕎麦100%の表示をした袋が山済みだ。
脱穀機を通って粉になると国産になる。
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| 刈り取った蕎麦を乾燥中。まもなく製粉工場に持ち込み粉にする。 たくさんの方々に国産100%の蕎麦を食していただきたい。 差し上げます。 |
今や日本人の主食となった小麦。
同じく100%に近い輸入物。
しかしほとんどの製品は国産小麦使用を大きく表示している。
これらこそ完全な偽装だ。
新嘗祭を過去の行事とするのではなく、この日を新たな「新嘗祭」として自給率アップを
国策として図らなければ「油断」が「食断」となってしまう。
「勤労感謝の日」・・・・アホか! 働くのは当たり前だ。
この日は「新嘗祭」であって、かつては「勤労感謝の日」だったとしたい。
老兵去る
久方ぶりに東京へ旅した。
毎年数回、海外への旅は継続しているが、東京は3年ぶり。
近鉄上六駅から空港リムジンバスで伊丹の大阪空港へ。
毎週末に繰り返した行程だ。
そしてJALカウンターにて搭乗券発行時に10列か20列の座席を希望する。
当日に、この列の空席があるとは思ってはいなかったが口癖になっていた。
ところが20Aなら空いていると。
ウ・・・・ンと一呼吸。これは幸先良い。
(20列のCかDだったら最高だったのだが)
20列Aの搭乗券ゲット。
一番後から搭乗して、一番先に降りる。
当時、東チョン族の間でゴールデンシートと呼んでいた。
それが10列か20列のC席かD席。
ジャンボには550席前後の座席があるが乗降は左舷の前方二箇所のドアのみ。
後方の窓側の座席だったら降りるのに20分以上要する。
乗り継ぎのバスや電車には確実に一便遅れとなってしまう。
航空機は左舷から乗降する。
各空港のフィンガースポットは左舷にセットできるように配置されている。
これは船の接岸の国際ルールが左舷とされているものを踏襲したからだ。
JAL機に乗り込んで最初の一歩で小生の大きな誤解に気がついた。
乗り慣れたあのボーイング747(ジャンボ)ではない。
2本のフィンガースポットの後方を利用すると2階席への上り口が正面にあるのに
目の前にないのだ。
さらに乗り込んだ付近の座席は乗り慣れたグレーの3列席ではなく、アイボリーの
広幅の2列席なのだ。
やっと気がついた。
毎週金曜日の夜、日曜日の夜に東京・大阪を利用した約12年間、それは前方の機体が
2階建てになったボーイング747=通称ジャンボだった。
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| 小生が現役の頃にお世話になったジャンボ。 この数年で殆どが引退していた。 |
JALの主流機となったボーイング777 通称「トリプルセブン」という |
今乗り込んだのは、ボーイング777(トリプルセブン)だった。
双発のエンジンで胴太の機体がジャンボとほぼ同数の乗客をこなす。
トイレ位置とか、ビデオ画面の配置、ギャレー位置等に少々不満があるが
座席の座り心地は良いし、どでかいエンジンは安心感がある。
それより何より、機体はもちろん座席に至るまでその薄さだ。
これなら中途半端な壊れ方はなく、確実に完全に破壊されて瞬時にあの世行きが
できる。
この3年間でジャンボ機の殆どが引退し、今はトリプルセブンが東京・大阪を飛んでいる。
国際線のジャンボもほんの数機が運行しているだけで、これも近い時間に引退となる
とのこと。
寂しい限りだ。
小生が現役を去ってから、同様にジャンボ機も現役を去った。
俺たちの時代は終わった。
老兵は去るのみ。
イルミネーション
十数年前、実弟が駐在先のロサンゼルスから持ち帰ったクリスマス・イルミネーション。
2mを超えるツリー、等身大のスノーマン、万華鏡のようなライト類。
魅せられた。
弟から譲り受けたイルミネーションをベースにそれからは毎年10月末前後に
米国に買い付けに行くことになった。
情報源はインターネットとロスの「茜茶屋」オーナーの木村さん。
ご自宅周辺のスーパーや専門店にクリスマス用品が陳列されたら即Eメールで
写真・解説付で情報をいただいた。
インターネットではイルミの時期の世界の街角に目を凝らした。
この情報を元に買い付けるものを決めて旅立ち。
一週間位の滞在でバンタイプのレンタカーに詰め込めるだけ積み込んで空港に戻り
JALカウンターへ。
大変な荷物の量だったがラストロの大型コンテナボックス2〜3個に押し込む。
幸いにも小生JALグローバルメンバーだったので特典にプラスして無理に無理を言って
規定重量として乗せこむ。
当時はJALの米国内から関空への直行便があり、女房が関空までパジェロの後部座席を
取り外して迎えに。 荷物は全てパジェロに収まる。
(今はJALは関空と米国との直行便を廃止したため、成田経由で伊丹か関空となる。
荷物は全て成田で受け取り、この全ての荷物をあの狭い成田空港のロビーを横切って
一番隅っこの国内線乗り継ぎカウンターまで行く。
成田のカートは本当に使い辛い。
エスカレータに乗せられるように変な小細工をしてあり、本来の荷物を乗せる部分が
少ない。
米国では山積みすれば2台のカートで移動できたが、成田なら4〜5台のカートがいる。
これを一人で移動させ、そして再度伊丹行きの便に乗せこむ。
本当に大変な面倒なことをさせられている。 関空への直行便の復活を!!)
飾りつけは11月に入って好天気の日には朝から暗くなるまでやる。
点灯は毎年12月1日の夕方5時過ぎ。消灯は9時にしていたがこの2,3年は10時か11時位
まで延ばしたというか、延ばさざるをえなくなった。
そして2004年から自宅のイルミにプラスして公共の公園内でイルミを取り付ける依頼を
受け、2006年まで3年間、どうにか遣り抜いた。
昨年はマスコミの力を思い知らされることとなった。
毎年、ちっちゃな記事では紹介されていたがこの2年は特集記事の中に取り上げられた。
その結果、毎晩交通渋滞となり、ご近所からのクレームに対する対応で、想定外の気遣いと
出費も重なり、家族に大変な苦痛となった。
ーーーーーー今年はイルミは全て中止とした。ーーーーーーーー
毎年12月1日に点灯していたので、常連さん(?)から「どうなったのか」との問いかけを
連日受けているが「今年は中止」の一言で門を閉ざしている。
この3年間、10月の買い付けスタートから翌年1月末の片付け完了までの4ヶ月間、肉体的
な疲労にプラスして多大な心労が重なったが、今年は開放された。
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毎日増えている。 玄関やピアノの上、書棚 昨夜からは階段に。 何時の間にこれだけ・・・ 『光子コレクション』だ |
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今年からはイルミは皆様方にお任せして、当方は「アウトドアからインドア」と称して家の中
での飾りつけにシフトした。
いままで女房が手作りしたものや行く先々で手に入れたものを部屋のあちこちに飾り付けた。
インドアは夢空間となっている。 孫たちの里帰りが待ち遠しい。
10月から「スローライフ」に戻りつつあります。
寒暖の差
この時期になってやっと海抜380mの場所の気候になってきた。
朝5時過ぎに起き出すが1〜3度位。
多分今週中にも0度となるのは確実だ。
野外に駐車している畑用の軽トラのガラス面は真っ白に凍りついている。
10時頃から気温が上がり始め12時前後から14時過ぎは15度〜18度。
15時過ぎから少し気温が下がり始めて、17時には陽は暮れ、気温は5度〜
3度位まで急激に下がる。
我が畑はナイター設備をしているのでゆっくり片づけをしていると18時過ぎに
軽トラの前面ガラスは今朝と同様に真っ白に凍りつく。
この時期にダイコンの収穫をすると1週間毎に甘さが増してくることが実感できる。
殆どが水分のダイコンは、この冷え込みに反応して糖度を上げて凍らないように
自己防衛を始めるのだ。
ダイコンが辛いと感じるのは暖かい時期、地域で収穫されたもの。
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| 甘〜いダイコン | 薬味用の辛味ダイコン | 脱穀機 |
寒暖の差が大きい時期、地域で収穫されたものは甘い。
短冊に切ってスティックでポリポリと食する。
これは実に美味い。
皮むき器を使ってダイコンを縦にスライスする。
一本のダイコンを大胆に皮むき器でスライスすると大きな皿に真っ白な山盛となる。
これを豚シャブ用の肉を出汁にした鍋に手づかみで投げ入れる。
出汁の中に入ったダイコンは一瞬に透明になり、箸で一掴み位になる。
ポン酢や味噌タレで食する。
これが『ダイコン鍋』だ。
ダイコン1本の山盛スライスは一瞬になくなる。
いたって簡単な調理だがこの時期のダイコンの美味さを満喫できる。
是非、試してみてもらいたい『ダイコン鍋』
注意点としては山盛りのダイコンを食べて満腹になるが、何しろ消化が良いので
夜中に空腹になること。
ジャスターゼの効能を実感する。
今日から乾燥させていた蕎麦の脱穀を始めた。
昔ながらの脱穀機をお借りしたが、蔵の中に保管されていたもので3〜4十年は
経っている。
脱穀した蕎麦には未だ葉や茎、ごみなどが相当混じっているので、「唐箕」を
使って選別する。 「唐箕」・・・ナント読みますか?
これもご近所の蔵に眠っているものを借りることにしている。
今年は石臼を手に入れたので自宅の年越し蕎麦はこの石臼で製粉する。
既に薬味用の辛味ダイコンは寒暖の差で年末を悟り、良い塩梅に育っている。
ビニールハウス
2年前に友人たちの応援をえて、幅6m×長さ16m×高さ5mのビニール張りハウスを建てた。
今夏は昨年に続いてミニトマトと中玉トマト、イタリアントマトの三種類を栽培した。
トマト栽培を専業にしているプロ農家のビニールハウスが近くにあるので、昨年、今年と度々覗きに
行ってプロ技を真似ることで今夏は多くの収穫を得た。
ただ、プロと小生の違いが明確になったことは定植の時期が全く異なること。
小生もご近所の家庭菜園も全て、ホームセンターがトマト苗を売り出すとそれを購入して定植する。
ぼちぼち食べごろという時期に家庭菜園のトマトは梅雨の雨にさらされて殆どがチ〜ン。
(枯れる)
梅雨の雨を避ける工夫した家庭菜園と小生のようなハウス作りのトマトは夏の盛りに完熟したトマトを
収穫することが出来る。
今夏の小生のトマトは糖度13〜14度と果物と同等の糖度を得た。
夏のハウスの中は早朝か夕刻でないと暑くて作業できない。
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ところがプロは暑い時期にはトマト作りをしない。
小生や家庭菜園の素人が収穫できる時期は、誰でもどこででも収穫できるので市場価格が安すぎるのだ。
プロは7月末ごろに播種、8月には土作り、その間に苗が育って50〜60pになっている。
しかし、水は遣らない、肥料も遣らない。
ヒョロヒョロとやせ細ってかわいそうなくらいの苗。
プロは「トマト苗はいじめ抜いたものが良い」と言う。
「いじめ抜く」とは大変なこと。
「いじめ」は人間社会ではたいへんな問題になっているが、トマトの世界では問題にならないのか。
とにかく「いじめ抜かれたトマト苗」はそれはそれは哀れな姿だ。
そして、素人のトマトがあちこちで枯れ始めた9月頃から、プロは一挙にこの苗を土作りの終わったハウスに
定植する。
「いじめ抜かれたトマト苗」は水を得た魚のようにグググ〜ンと成長を始め、3週間位で実をつける。
涼しくなった時期に終日ハウス内でトマトを収穫。
この時期には素人のトマトは市場から姿を消し、プロの独占する世界になる。
出荷価格を明示すると問題があるので控えるが、この2ヶ月の出荷時期の差は5倍〜10倍の価格差になる。
来夏はこのハウスを生かしてプロの出荷時期に合わせられるようにノウハウを身につけたい。
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ということで今冬はハウス内でホウレンソウとチンゲンサイを栽培中で、このパターンで2回転、その後に
トマトを・・・と計画、実行中だ。
余談だが、ハウス内はホウレンソウとチンゲンサイが光合成で発する湿気と酸素が充満している。
しかもハウス内は暖かい。
出来立ての酸素と湿度が風邪を寄せ付けない。
適度な湿度は体に良いことを確信した。
手は荒れないし、唇のひび割れもない。
今冬はハンドクリームもリップクリームもいらない。
家の中に加湿器を備えることをお勧めする。
薬代や病院通いの余分時間や治療費のことを勘案すれば加湿器の一台くらいは安いものだ。
旧暦11/17未明
『東(ひむがし)の野に かぎろひの立つ見えて
かえりみすれば月かたぶきぬ』
万葉歌人の第一人者と言われる柿本人麻呂が、持統6年(692年)の冬、軽皇子(後の文武天皇)
のお供で阿騎野の里へ狩りにやって来た際に詠んだ歌だとされ、これが旧暦の11月17日の未明と
推測されている。
一昨年は2005年12月18日未明、去年は2007年1月5日未明、
そして今年は2007年12月26日未明が旧暦の11月17日未明となった。
この日に催されるのが「かぎろひを観る会」だ。
今年で36回目ということからなかなか歴史のある催しだが、肝心のかぎろひを観ることができたのは
数回だということ。
小生も地元にいながら全く縁がなかったがこの2年は連続して厳寒の早朝に「かぎろひ・・・会」に参加した。
場所は小生の畑横の小高い丘で「かぎろひ公園」
無料でふるまわれる甘酒、イモ汁、葛湯で暖をとりながらその瞬間を待ったがかぎろひという
現象を観る事はできなかった。
母に言わせれば毎冬、度々見ているということと、いろんな写真雑誌や地元の写真家・吉田春秋氏、
写真家・上田安彦氏(氏の写真集「炎と雲海」には初秋の雲海と厳冬のかぎろひがみごとに撮られて
いる--撮影データが公開されているがミノルタ9xi,レンズはAF24o、絞りは15.6,モードは約5分)の
写真から推測すると、旧暦の11月17日に限らずに毎朝空を見上げることで近々には遭遇できると
思っている。
インターネットにはかぎろひに関する多数のサイトがあるが、「ゆ〜でぃあ」というサイトには催しの写真や
かぎろいが掲載されていると同時に、かぎろいの設定日に関する異論が記述されている。
http://www.geocities.jp/udatiiki/kagiroi1.html
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| 小生の畑裏の丘がかぎろひ公園 | かぎろひ公園 ここで夜明けを待つ | 上田安彦写真集 光村推古書院発行 |
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旧暦との付き合いが少なくなっているが農業には旧暦の方が役立つことを知った。
先般の皇太子のご指摘があった「新嘗祭」等、旧暦を見直すことも必要ではないか。
先日、福田首相が訪中した際に、胡錦濤国家主席への第一声が「年末のお忙しい時期にこれほどの・・・」
と言っている。
情けない。
中国は旧暦。正月は春慶節で2月だ。
西暦と旧暦を並列に利用することによって、新規のビジネス枠が増える。
別項にある「2月のラスベガス」に記したがラスベガスの2月は中国人に制覇される。
同じことはこの国でも可能だ。
年末・年始
東京に単身赴任中の辻田氏より、蕎麦打ち用にと作努衣が届けられた。
ありがたいことだ。
早速、この作努衣を着用して新蕎麦を打った。
約三時間をかけて30人分。
『薬草の里・大宇陀産 長生き蕎麦』
のラベルを貼って、友人・知人宅に届けた。
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結果的には「海老で鯛を釣った」と母に言われることになってしまった。
日頃しないことをしてしまって、自分では予想もしない返礼が来てしまったのだ。
大晦日は地元の氏神である八坂神社の篝火を担当する役割となり、火のお守りで神社境内で年越しとなった。
祖父・父がこの八坂神社の神事に深くかかわったことは母からはもちろんのこと地域の方々もよく聞かされる。
小生の代になって一切の係わりを断ってきたが、輪番制ということで参画せざるを得ない状況だ。
断りの口実に母も口を揃えて「祖父、父が小生の分も含めてやってくれたので・・・」と言うことで通してきたが。
年越しの参拝客が途絶えた1月1日午前2時、開放されて自宅へ。
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1月1日 午前7時起床
久方ぶりにこんな時間まで寝た。
庭を見るとうっすらと雪化粧。
昨日の朝から断続的に降り始めた雪。
積もることはないと思っていたが昨夜は篝火の側にいたので気がつかなかったが、相当な冷え込みだったようだ。
やっと冬が来たと感じだ。
今日は午前中に一族全員で地元の温泉「「あきのの湯」へ行く予定。
60歳の年の始まりだ。 スローライフ・スローフードのスタートだ。
位置づけ
豚の格好をした犬というか、犬のような豚というか、とにかく我が家の「ルナ」は超肥満体になった。
彼女は1997年(平成9年秋)、中秋の名月の日に生後3ヶ月位で我が家に来た。
名前は「月=ルナ」とした。
当時では大変珍しいコーギー種で胴長、短足、尻尾無し(生後直ぐに尻尾を輪ゴムで縛って壊死
させると聞いた)。
非常に賢い(と言うか要領が良いと言うか)犬だ。
小生も母も女房も子供たちもおり総勢6人家族とルナの生活だったが、冷静に見てルナの家族内の
位置づけは下から三番目だったと思う。
そして長女が去り、長男が去り、次男が去り、小生が二回目の東京単身赴任で去った。
下から三番目だったルナは何時しか我が家でトップの位置にいることになったのだ。
この頃から急に体形が変化し始めた。
週末に自宅に戻ったとき、この要領のいいルナは、小生に対して絶対的な服従を腹を上向きにして
寝転がる形で表現した。
食事の時も小生が躾をした通りにダイニングのドアの外で我々の食事の終了を待ち、ドアを開けて
「よし」の声を出すまで絶対に動かない。
時々、側に呼んで「オスワリ」をさせ、「オアヅケ」と声を出してルナの鼻の上に好物のミカンを一切れ置く。
この状態を数分続けるとルナの口から涎がタラタラ。
母や女房からは「そんなかわいそうなことをして・・・・」と早く「よし」をと懇願される。
急な用件で夕食時間に遅れることがあり、二人が先に食事を始めているときにダイニングに入った。
ルナは二人の足元を行き来し床に落とされた食べ物を漁っていた。
急激な体形の変化の原因が解った。
小生不在の食事の時間は母と女房の足元に鎮座し、二人が競争して食べ物を床に落とす。
そして床に落ちたものがなくなったら、鼻で、或いは前足で二人の脚を突付いて催促するまでに
なっていた。
小生がリタイア後は家にいる時が増えてルナは下から三番目の位置だが、上からはナンバー2。
小生不在のときはナンバー1の位置を確保したが小生を絶えず意識した振る舞いとなった。
長女が出産し、盆と正月、それに時々突然の里帰りをするようになった。
そして長女と孫が滞在中はルナの位置づけが今までに経験のない位置づけとなり、場合によっては
完全に無視される位置づけにもなった。
女房は孫の世話に没頭し、長女と孫を最優先する生活が始まる。
起床時間から就寝時間まで、もちろん三度の食事時間も孫を中心として回る。
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| 耳を引っ張られても耐える | 無理やり好き好きされても |
ルナは経験のない位置づけに遂にノイローゼとなり、吐き気と下痢となる。
長女と孫が去ると今までの静寂が戻り、ルナは小生だけをマークするだけの気ままな生活に戻る。
途端にノイローゼは治るのだ。
そして最近、この孫が歩き回り、走り出し、テレビの幼児番組を見始め、DVDでディズニーアニメを
見始めた。
小生の部屋に入り込み(ルナは絶対に入れない場所だ)、小生のテリトリーを乱す。
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| 朝起きてキキララ | 昼でもキキララ | そしてキキララ |
「泣く子と地頭には勝てぬ」
遂に小生もルナと同じ位置づけになった。
ルナとの違いは小生には最悪の場合の避難場所(畑の小屋)があるのが救いだが、少々の胃痛と
睡眠不足を経験した。
正月が過ぎ、長女・孫が去り、今までの生活が戻った。
途端にルナと共に元気が戻ったが、もう二ヶ月足らずで春休みか・・・・
もう13年か?
前日は深夜まで飲み会とカラオケ。
こんな翌日は誰よりも早く出社する。
この日も同じだった。
5時起床。
熱いシャワーを浴び、時計替りのテレビスイッチON。
BSで「深田久弥の百名山」再放送が流れている。
そして地震情報が流れる。
何かを感じた。
地下鉄駅に走る。
6時50分、会社の11階のオフィスに着いた。
普段、この時間なら小生が点灯するのだが当日は既にフロアが明るい。
シーンとした一画で大ボスとボスがホワイトボードを前に何か書き込み始めていた。
小生を加えて6名となった。
ボスより「フロア中のホワイトボードをここに集めろ!」
たたみ一枚分のスペースがあるホワイトボードをいくら運び込んでもすぐに文字で埋め尽くされる。
緊急連絡用の携帯・自宅に次々と電話をする。
繋がればボスに取り次ぐ。
その間にホワイトボードを探し回って持ち込む。
30分位一人でてんてこ舞いだったが7時半には多くのスタッフが出社し、手隙となった。
並んだホワイトボードにびっしりと書き込まれた阪神エリアの地震情報。
東京・浜松町で情報集めをしているだけでいいのか! 大ボスの声
二機のヘリコプターをチャーターして現地入り決定し有明のヘリポートへ。
8人が指名され神戸に飛び立った。
今朝と同じく大変寒い朝だった。
搭乗した全員が足からの冷えのために尿意をもよおしたが、パイロットから紀伊長島のスパーガーデンで
給油のために着陸することになったのでそれまで我慢をするように言われた。その時間の長かったこと長かったこと。
単身赴任先から持ち帰ったものは殆ど開封せずに畑の小屋の倉庫に詰め込んでいる。
今日は薪ストーブの前で1箱開けてみた。
当日、出社時に着て行ったのは「エドワーズ」のウール100%のチャコール。
シューズは「ロックポート」、コートは見当たらない。
この格好で現地入りした。
寒かった神戸。
現地でずっと着込んでいたのはハーバーランドのスポーツ用品
売り場でちょっと失敬した「アディダス」のベンチコート。
このコートに包まってダンボールを敷布団にして寝た。
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<現在のアディダスのロゴマークとは異なる懐かしいもの>
震災からひと月が過ぎ、一区切りとして記念の品として配布されたネクタイピン。
たくさんの想い出が出てくる引越し専用の段ボール箱。
残された時間が少ないのだ。
早く処分しなければ・・・。
テレビでは13年前を語り継がねば・・・と繰り返している。
ヘリで現地入りした8人とあの時以来、話すこともなければ、会うこともない。
語り伝えることがないのだ。
何かに攻め立てられあの混乱の中で淡々と職務を遂行しただけだった。
苦い思い出だ。
暦の通り
旧暦について今までは気にもしなかったが近隣の農家の方々との会話に
しばしば旧暦の何々・・・・と出る。
この一月は旧暦に基づいてたくさんの行事があった。
「七草かゆ」を食する。
「どんど」の火をもらって帰り、それで小豆かゆを食する。
その小豆かゆを柿の木に食べさせる・・・覚えているか?と母に聞かれた。
そう言えば幼少の頃、父に連れられ柿の木畑に行き、父がナタを振りかざし
「なるか、ならんか」と柿の木に怒鳴り、ナタを振り落とす。
木の表皮が少々切り込まれたところに、小豆かゆを注ぎ込む。
未だに何の呪いだったか解らないままだが、 久方ぶりに父との思い出に出会った。
もう何十年も放置したままで手入れを怠った柿畑は朽ちたものが多く、残っていても巨木となって
柿の実があっても簡単に収穫できる高さではない。
鳥のデザートになっているようだ。
そして「大寒」。
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| お馴染みの畑の雪景色 2008年度版です |
自宅庭の紅梅 あと一月位で 芽を出す |
自宅玄関屋根の積雪 |
朝、おもてに出てびっくり。
約10cmの積雪。
当分、農作業はできない。
ゆったりと骨休みにして、父の想い出にしたってみよう。
スローライフ、スローライフ、
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常夏の与論島から昨年晩秋に山中湖半に移った友人が
送ってきた大寒の日の富士山
高値安定?
昨年の8月23日の昼前、この日も大変暑かった。
赤信号で停止中の小生の愛車後部に軽トラックがドス〜ン。
俗に言う「オカマ」をされた。
低速度の追突だったので小生の体調には何の変化もなかったが事故立会いの警察官から
一応病院で検査を受けた方が良いとのアドバイスがあった。
近隣の病院は殆どが午前中で診察を終了していたが、唯一、S病院で「鞭打ち」の検査をする
整形外科医が30分以内で来れるなら待つと言っている・・・・と警察官。
親切な警察官だった。(名札がなく胸元に「J-0000」の数字、広島弁、身長180p位、体格良い)
早速、S病院に駆け込み、診察、レントゲン撮影と触診で特に問題なしの結果となった。
ただ、最高血圧220mmHg,最低血圧129mmHg,脈拍46bpmで、血圧が超異常。
事故の直後につき興奮していると思うので30分くらいここで横になって安静の後、もう一度測ろうと
いうことに。そして再計測したら202,129、46と殆ど変化なし。
「血圧の件については再度、内科医に診察を受けるように。この血圧は危険な状態ですよ」」と整形
外科医から話があった。
帰宅後、早速インターネットにて血圧に関する情報収集。
確かに、脳血栓(=死亡)の危険性を指摘する情報が多い。
●ラッキー、ラッキー●
どうせあの世へ行くなら「P.P.K」(=Pin,Pin,Korori)でと思っていたので最適の症状になった
ことに喜んでいたら、「ピン、ピン、コロリ」の確率よりも「ピン、ピン、ヨイ、ヨイ」の方が多いらしいの
情報もあり、内科医の診断を受けることに決めた。
9月8日に内科で初診
やはり204,129、48で事故後2週間を経ても超高値安定。
内科医から120、85位に落とさないと危険との指摘があり、ここぞとばかりに「P.P.K」であの世行き
の可能性を確認すると、残念ながら小生の年齢、体格から見て「ピン、ピン、ヨイ、ヨイ」の半身不随とか
寝たきりとかの可能性が大との回答。
治療としては薬の服用ということで
10月19日より一日一錠 アムロジン錠⇒血管を拡げて血圧を下げる⇒服用開始
オムロンの血圧計を購入して自宅で計測
約一ケ月間の平均184、120、49で推移
11月13日より一日一錠 アムロジン錠の継続服用
新規に一日一錠 ディオバン錠⇒高血圧症を治療する⇒服用開始
約一ヶ月間の平均173、105、50で推移
12月14日より一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
約一ヶ月の平均158、102、49で推移
1月10日より 一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
新規に一日十粒 エパデールS600⇒血栓ができるのを抑える⇒服用開始
約一ヶ月の平均156、102、50で推移
依然として高値安定している状態だ。
2月7日より 一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
一日十粒 エバデールs600の継続服用
新規に一日二錠 ぺザトールSR錠⇒中性脂肪を下げる⇒服用開始
スーパーバッグの中サイズに一杯詰められた一か月分の薬
支払額7,940円也
今、その袋を見ながらどうするか考えているところだ。
次回の検診で更に薬が増えると朝食代わりの量になる。
このまま継続するのか、全て止めて今まで通りに過ごすか。
もう一度220までもどして「P・P・K」の確率に賭けるか。
思案六歩だ。
一日おきに雪が降る。
テレビの天気予報はほぼ100%近く当っている。
畑の雪が根雪の状態。
全く農作業が出来ず、作業計画が大幅に狂っている。
計画では今頃耕運を終わって堆肥を入れる作業が完了していることになっている。
昨年末にまたまたトラクターを譲り受けたので早く試乗してみたい。
このトラクターは10年位前のもので、現在使っているトラクターは30年前のもの。
小生にとっては最新式のトラクターとなる。
確かに便利な機能が一杯ついている。
マイコン作動方式で、耕運の深さや水平を保つモンロー(?)等々その機能を早く試したい。
「スローライフ」「スローライフ」と言い聞かせるが、スケジュール通りにこなせていない事で
いつの間にかイライラ虫が騒ぎ出す。
テレビの天気予報を真剣に視るようになった。
いつもは「予報は予報」と参考程度で聞き流すことが多かったが、今年になって天気予報番組を
チャンネルサーフィン(?)することが増えた。
気づいたことだが、その昔、気象庁が一手に天気予報をやっていたころはネクタイ姿の
公務員スタイルおっさんが、姿・形・しゃべり方に権威を持たせて、確率の悪い予報を如何にも
確率の良いが如くに見せかける、詐欺師的なものだった。
昨今の天気予報の民間開放で天気予報番組は実におもしろい。
特に我が街の山の一角に気象観測用の装置が設置され、ここから発信されるデータに基づき
予報される番組が増えたので、身近な予報番組となった。
ネクタイ族の天気予報管が姿を消し、根本さんやら、半井さんらの女性予報士が主流となった。
ただ残念なのは相変わらず、計測数字最優先の予報が重視されていることだ。
米国に行く機会があれば是非、毎朝、テレビの天気予報番組を視てもらいたい。
終日、天気予報しかしないチャンネルもあるが、日本のようにモーニングショー的な番組のチャンネル
も多数ある。
これらのチャンネルはそれぞれ本当に工夫を凝らしているが、どのチャンネルもデータに基づく数値と
各ポイントのスタジオ外のキャスターの体感を合わせて放送している。
体感温度と温度計の数値は一致することはない。
高層ビルの乱立するニューヨークでは”地上”の数値と体感を伝える。
日本でも高層のビルや高層マンションが増えた。
同じニーズがあると思う。
とにかく根本さんや半井さんらの予報なら大きく外れても許される。
我が街の予報を大きく「はずれ」にしてもらいたい。
名古屋にて
今年になって名古屋に月一で行くことが続いている。(1月、2月の2回だが)
この大宇陀の地から名古屋へは約二時間足らずの行程。
我が家からクルマで約10分で近鉄榛原駅。
榛原駅からは名古屋行きの近鉄特急を利用する。
東京単身赴任時代は時々利用させてもらったが新幹線に乗り継ぐ場合、ホームが両端にあるため
少々の距離がある。新幹線は殆ど定刻の運行をしているが、近鉄はいつも到着遅れ気味で乗り換えに構内を
駆け抜けたことが度々あった。
今年の2回もやはり遅れ気味だったが、名古屋どまりの急ぐ旅ではない。
イライラしない。イライラしない。
駅前の高島屋、東急ハンズは話題になったので何回か買い物にも立ち寄ったので、今回は同じく駅前の
新ビル「ミッドランドスクェア」をぶらぶらした。
12月に東京で立ち寄った「ミッドタウン」とどうしても比較してしまうが、トヨタショールームがあるかないか
くらいの違いか・・・・という評が名古屋人に一番喜んでもらえるのではないか?
とにかく、名古屋の東京化は形振り構わずの様だ。
(ミッドランドスクェアの方が東京よりも先にオープンしたのだが・・・)
バブル時代には駅前に「パルコ」があるか、「リクルートビル」があるか、最近では「スタバ」があるかが
「東京化=都市の象徴」という流れがあったが、そのトップが名古屋。
しかしちょっと方向が違うような気がしてならない。
広大な平野面積をもち、恵まれた港湾があり、天候には年中恵まれる。
日本国の真ん中に近い位置にあり、日本の歴史を変えた人物が多く出た。
ミニ東京化ではない新たな都市がつくれないものか?
名古屋が持っているあらゆる環境が全く無駄な方向に使われているようで残念だ。
地下鉄の乗降案内が5ヶ国語で行われているのにも驚いた。
ゴーゴーと鳴り響く車内で流れる英語、スペイン語、韓国語、中国語、日本語のアナウンス。
先般の名古屋万博の名残だと思うが、これが国際都市化か。
どこか違うことが気にかかる。
「改善(カイゼン)」
地元トヨタの手法が持て囃されるているがカイゼンは所詮カイゼンだ。
元があってのカイゼン。
コロッケの五木ひろしは面白い。
しかし五木ひろしがあっての面白さだ。
新たなコンセプトではない。
所詮物まねの域だ。
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ミッドランドクスェアと同棟のトヨタビルのエレベーターには本当に笑ってしまった。
二階建てエレベーターだ。
二階部分の箱は永遠に最下位フロアには着かない。
「カイゼン」とはこのレベルに過ぎない。
世の中、効率だけでは成り立たないのだ。
やはりこのままでは通過都市名古屋に変わりはない。
品格?
今回のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故後の両関係者の対応態度を
テレビ報道でみていると、今流行の「品格」とはどのようなものかというのが良く理解できる。
潮焼けをした70歳を超える漁労長が海の上で鍛え上げた声量と、自分の言葉である千葉弁で応対をする。
片や1400億円の最新鋭艦の艦長と海軍の幕僚長、背広組みトップの三人。
この三人の応対の映像と音声はそれはそれは貧相なものだった。
水の中で屁をこいたような(関西ではこのような例えをする)御詫びの声と、凡そ礼になっていない礼が
貧相の源だ。
海の上でどれほどの声を出してきたのか、軍人としてどれほどの訓練をしてきたのか。
この三人の応対に基本的な疑問を感じた。
小生も学生時代に海に憧れてディンギーを操ることを覚えたが、教えてくれた友人とのヨット上での会話は
その距離僅か1メートル位だが怒鳴り合いに近いものだった。
風を動力とするヨットでさえ水上を渡る風音、艇がきる水音が声量を必要とする。
それと水面から乱反射する太陽光の照り返しは強烈で、陸上での日焼けとは全く異なる肌焼けとなる。
大声量と潮焼けは海の男の証であるが、この三人に全く無い。
そして一番肝心の「礼」の姿勢が全く出来ていない。
「馬子にも衣装」とはよく言ったものだが、金ピカの制服と金ピカの帽子被ってクルマから降りて歩く姿は
絵になっていたが、「清徳丸」の船長宅での家族への謝罪、そして漁労長への御詫びで馬脚を露わした。
きっとあの焼酎焼けは官官接待の結果であり、猫背に近い「礼」の姿勢は艦長昇格試験の受験勉強のためか
ゴマすりの手もみ姿勢が長かったのかと映像を見ながら想像した。
「品格」を考えさせる好材料だ。
作業服姿と方言の漁労長と、金ぴかの三人組みをどうぞじっくり観察してもらいたい。
板底一枚で地獄を生き抜いてきた漁師が仲間のナビのデータを基に、良く通る声量でしかも味のある
千葉弁で理路整然と事故の状況を語る。
金ピカの連中はまともな礼も出来ず、海の男と思えない肌色で、ダサいメガネをかけて(温度差の激しい海上
ではメガネは不適、最悪でもレイバンのサングラスなら許されるか)、2分前やら10分前やら緑や赤の灯りを見た
やら・・etc。
水の中で屁をこいた声で何を語っているのか。
挙句の果てには泣きだ。
情けないことだ。
なぜ衝突時に飛び込んで救助しなかったのか?
二次災害を防ぐためだったというが、国民の命を守るために起こる事態に身を賭するのが仕事では
ないのか?
こんな言い訳が通るなら消防隊員が身を賭して救助に行くのは何なのか。
地位や金ピカや肩書きなどは「品格」に全く関係ないことがよ〜く解る。
日本海軍の軍人の品格とはどういうものか?
まもなく始まる大河ドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎)で答えをみつけよ。
追伸
数十年前になる。
東急ハンズの井谷さんと西宮ヨットハーバーから淡路島へのクルージングをやった時のこと。
午前中の艤装に時間がかかり出航が遅れた。
更に当日は運悪くベタナギの状態でわれわれのクルーザーは全く動かない。
そして海のラッシュアワーが始まった。
九州行きの大型フェリーが猛スピードで通過する。
次々とタンカーがすり抜ける。
こんな状況の中で彼らは上手く我々のクルーザーを避けて航行してくれた。
夜9時過ぎに淡路島に無事到着した時は九死に一生を得たという言葉がぴったりの心境だった。
警告と怒りの警笛を何度も何度も聞いたが、ベタナギで全く動けない我々を上手く避ける大型船の船長に
感謝をした。
ラッシュアワーに自動運転とは考えられないことだ。
金ピカの三人が今後も海に生きるならディンギーから出直してはどうか。
土作りスタート
永い冬だった。
今冬の降雪の回数と量は、記憶にあるのは小生の小学生の頃の思い出にしかない。
幼少の頃、この大宇陀の地にもスキー場なるものがあった。
親が買ってくれたものだったか縁者からの借り物だったか思い出せないが、スキー板やスキー靴を
もって張り切って家を出たが、スキー場にたどり着くまでの雪道で体力を使い果たした苦い経験がある。
近所の先輩に連れて行ったもらったので弱音を吐くことも出来ず、寒空の中で我慢をして帰りを待った。
当時、出回りはじめた日清のチキンラーメンをそのままバリバリと頬張り、雪を食べて胃に送り込み
胃袋の中でラーメンにして空腹を満たした。
この悪経験が未だにスキーが好きになれない原因だ。
「お水取りが終わると春」の言葉通りに突然という位のスピードで雪がなくなった。
今年ももらいもののトラクターが一台増え、試運転のつもりで連日、土お越しにつかっている。
10年くらい前のクボタのトラクターだがこの畑では最新のものになった。
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天地替えといって畑の土をひっくり返す。
表層と中層の土を反対にするのだ。
地中にあった土を表面に出して日光消毒をする。
そして良い野菜をつくるためにモミガラ、米ぬか、乾燥鶏糞を混ぜ込んで堆肥とする。
この秋からは更に枯葉を醗酵させた堆肥を加える。
去年は牛糞を2トンも混ぜ込んだ。
近所の農家の方々からも「良い土になった」と言ってくれる状態になった。
「良い土壌に良い野菜が育つ」
今年はより生食に近い調理で食べる色々なサラダ菜やトマト類を中心に作ることにしている。
時々、出荷可能な作物の生育状況をお知らせしますのでご入用の節はメールにてご連絡下さい。
重要書類が来た
(差出人)社会保険庁 社会保険業務センター
封筒には
@年金の手続きをされるみなさまへ 折りたたみ式の6ページ
A全国社会保険事務所所在地一覧 同じく折りたたみ式の6ページ
B年金請求書 印鑑押印箇所が8もある15ページ
C老齢更生・退職共済年金受給権者支給停止事由該当届 ペラ一枚
の4部が入っている。
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それぞれの用紙の文字のフォントやポイントは全く統一性がなく特に斜体・太字・突然のフォント変更等、
実に読み辛い。
パソコンのワープロ機能を覚えたての時のように、知っている機能を全て試した文章作りになっている。
所謂マスターベーション型文書という典型もの。
倒壊に至った会社であったが社員の教育には熱心な会社であった。
文書についても新入社員のときから厳しく仕込まれた。
今回手にしたこの重要文書なら即座に書き直しを命ぜられたことは間違いない。
社内ではなく社外に出てゆく文書だ。
しかも数十年に渡って預かった金についての案内文書だ。
誰がチェックし、この文書の発送を許可したのか?
こんなチンドン屋みたいなチラシ文書を公文書とする管理体制では、今回の5000万件の問題が発生するのは
当たり前だ。
全ての仕組みを見直すことが必要だが、体質的に無理な気がする。
別組織への早急な切り替えの時だ。
とにかく冒頭に記したように小生も年金生活者の一人となる。
60歳支給の損得やいろんなアドバイスを掲載しているNIKKEI BPの記事が参考になった。
いろんなジャンルに分かれているがセカンドステージのコーナーがこの種の件では役立つ。
毎日、新しい情報がメール配信されるので皆さんも一度覗いてみては・・・
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/
白梅紅梅
温暖化だとか異常気象だとかナンダカンダと言っていても当家の白梅紅梅は例年通りに開花した。
ここ数年は植木職人にお願いして勢いを回復させる手当てをしてもらった。
やっと結果が出てきたようで花の数が多いようだ。
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| 樹齢は100年以上の紅梅 | 勢いが回復しない白梅 | このコケをどうするか? |
植木屋さんから、日頃の手入れは幹についたコケを取ることといわれているが
ワイヤーブラシで擦る作業は結構な力仕事。
今年は未だ一度もやっていない。
庭先には早くも写真や写生する人が来ている。
手入れが悪いとかこのコケが良い等と話す声が聞こえる。
この時期には庭に出ないことにしている
最後の言い訳!
《言い訳は止めよう! 狼おじさん!それ何回目!》
昨年末くらいから滅茶苦茶言われっ放しだ。
ホームページもブログも全くメンテナンスせずに既に一年半が過ぎ去った。
本当に何と言われようと申し開きは出来ない
この間に、たくさんの方が何度も覗きにきてくれたのは解かっていた。
解かっちゃいるけど出来なかったのだ。
「またまた!言い訳は止めよう!」と罵声をあびせられるのは承知の上で言わせて
もらいたい。
これからリタイアする多くの方々の為にも今一度言わせてもらいたい。
最後の叫びとして吠えさせてもらいたい。
諸君はスケジュール表をお持ちか?
小生は現役の30数年間、手放すことはなかった。
リタイアして一年目は「晴耕雨読」を貫くぞ!と強い意志を持って新人性をスタートした。
もちろんホームページのメンテナンスも事ある毎にやった。
現役の時に計画していたことを行動に移したのだ。
やりたいことをやりたい時にやった。
スケジュール表など必要なかったのだ。
全て現役のときに考えた計画通りだ。
満足感はあった。
一年はあっという間に過ぎ去った。
そして満足の跡にあの虚しさも残った。
祭りの後に来る「あの虚しさ」と同じようなものだ。
そして二年目の正月に新しく届いたスケジュールノートを手にした時から
突然今までと同じ人生に戻った。
スケジュール表の空きの日々を埋めていくことを始めてしまったのだ。
余計な仕事を引き受けたり、無理矢理作業を入れ込んだりしてスケジュール表が
埋まっていく。
空白の日々が少なくなる毎に充実感を覚えた。
スケジュールを消化する毎に満足感があった。
一日が終わったことを実感できた。
それはそれはとんでもない忙しさだった。
新人生の三年があっという間に過ぎ去った。
そして
「現役の時よりも今の方が忙しいのではないか?
スローフード、スローライフはどこへ?」
と皆に言われるようになった。
気がつかなかったのだ。
「虚しさ」「空しさ」(=寂しさ)を忙しさで紛らわしていたのだ。
決められた時間の中での生き方、共通の単語が通じる仲間と群れる生き方、
30数年繰り返した起床から就寝までの生活習慣の繰り返しの生き方・・・・
楽な生き方に戻っていたのだ。
リタイアするということは生き方を変えることなのだ。
決して今までの延長ではない。
今までの生き方を踏襲することは残された時間からの単純な引き算人生だ。
最後に残された自分自身の時間。
これじゃあまりにも侘し過ぎる。
残された時間をどう生きていくのか。
社会に出て行った時のあの感動=足し算人生を再びスタートするのだ。
やっと気がついた。
リタイア後の新人生とはバイブルのように持ち続けたスケジュール表を捨て去ることなのだ。
垣内丸(かいとまる)とは?
最近、グッと一杯やるようになった。
今までは、奈良漬で深酔いするほどの下戸であったが「アサヒスーパードライ」をテレビCM
のようにグ・グ・グ〜と呑めるようになった。
喉の渇いた夕食前に少々の「アテ」で呑む。
旨い。
そんな至福の午後8時頃、ご近所の一人住まいの女性より
「帰宅すると玄関先に大きなヘビがいて、家の中に入れないので助けてほしい」と
電話ーーー受話機を取った女房が「ヘビ〜・・・・・」と震えながらその受話機を小生に
手渡す。
まるで受話器の中にヘビがいるような持ち方をしている。
女房は大の昆虫・爬虫類嫌いで、当家にはテレビCMで観る全てのスプレー殺虫剤がある。
日ごろは、「キャ〜」という女房の悲鳴を聞くなり小生は即、熟睡状態の狸寝入りをする。
何を隠そう小生も女房以上の怖がりで特に「蛾」が全くだめだ。
「蛾」という漢字を見ただけで二の腕にジンマシンが出る。
そんな小生になんでこんな電話を・・と思いながらもとにかく直ぐに行くと返事。
長袖、長靴、軍手をつけての完全装備で現場に駆けつけると、物珍しさと恐い物観たさで
20人くらいの人だかり。
確かに敵は玄関横のガスメーターと配管に巻きついて舌をぺろぺろと出して小生の人相を
窺っている。
遠巻きの20人余りのギャラリーは口々に蛇の処理の仕方を大声で伝えてくる。
「頭を掴め!」「尻尾を持って引っ張り出して振り回せ!」「毒蛇やで〜」
意を決して蛇の尻尾をつかんで引っ張るとまったく動かない。近くで見ると体長1.5m、結構
黒色で重量がありそう。
引っ張った手を緩めると蛇は突然ガスメーターのパイプを昇り始め、ドタ〜ンと地面
に落ちた。
「キャー」「ギャー」・・・・騒然となる。
小生はどうにか逃げ出さずに現場に留まることができた。
そして火事場の底力の如く蛇を掴んで前の道路に放り出した。
蛇は暗闇の中に消えた。
さて、それからが大変だった。
ご近所の長は「なぜ、捕まえて食べないのか? あれほど旨い物はない」と
昔の食糧事情話に。 特に蛇が多い場所には雉が多いのは、雉の大好物が蛇だという
話に。
確かに最近、大きな雉が道路を横切るところを見た。
そして、物知りの長が突然「先ほどの蛇は絶対に殺してはだめだ。あの蛇は「垣内丸(
かいとまる)」という蛇。
昔はあの蛇が各家の物置や蔵へ入り込み、ねずみの繁殖を抑えて備蓄の食糧や大事な
ものを守ってくれた。
私の家の2階は、穀物を貯蔵していたが、夜中に天井を這う蛇の音を耳にした。
途端にねずみの運動会がなくなり、しばらくの間は静かな夜となった。
町内、地域内のことを昔は垣内(かいと)といい、ねずみを追いかけて各家を廻る蛇は本当
にありがたいものだった。 昔の人はこの蛇を「垣内丸」と呼んで大切にした」と。
ということで この蛇が「垣内丸」ならまたまた私があの怖い思いをしなくては・・・。
できれば「垣内丸」でないことを願うばかり。
後日談
畑小屋の棚からカップが落ちてきた。
そして、並べてあるカップの間からあの「垣内丸」が顔を出して小生を見つめている。
それ以後、小屋の中のネズミの被害が全くなくなった。
昼寝用の大事なクッションがねずみに齧られ何とかしなければと思っていたときだった。
「垣内丸」が実話になった。
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天井から飾り物のカップが落下してきた ので、びっくりして上を見上げると あの垣内丸が舌をペロペロさせながら 小生を睨んでいる。 |
2月のラスベガス
[ありがとう」から「謝謝」へ
2007年2月13日から1週間を女房とラスベガスで過した。
この4年間は年に2〜3回ラスベガスに来た。子供たちも2度3度といろんなルートで
連れて来たし,気のあった友人・知人と何度もこの街を探求した。
ほぼ全てのホテルを廻ったと思ったら、あのスターダストやニューフロンティアは爆破され、
更にサーカス・サーカスも近々に爆破して全く新しいホテルを建てる。
もちろん昨年オープンしたウィンもアネックス、ベネチアンもアネックスを近々にオープンする。
あのトランプの金ピカマンションもまもなくベールを脱ぐ。
どんどん変化するこの街の魔力にいつも呼び寄せられている。
航空運賃や宿泊費用の一番安い2月のこの時期、ラスベガスが閑散とする2月は入手が
難しい人気のショーのチケットもほとんど当日購入できるし、レストランも待たずに入れる。
ところが今回は、宿泊予約が出来ない。全て満室。 どうなっているのか。
何があるのか全くわからないまま旅立ち。
そして、現地マッカラン空港に下り立って呆然とした。
黒人と中国人に制覇されている。 通常なら5分もあれば中心街に到着するのに、大渋滞
で全く動かない。
一時間近く要してキャンセル待ちのホテルへ。 更に1時間待ちでチェックイン。どうにか
寝場所は確保できた。
道中の各巨大カジノホテルの壁面を見て、何が起こっているのかやっと解かった。
バスケットボールのオールスターゲーム2007が今年はこの街で開催されることだった。
18日(日)にオールスターゲームが実施されるが既に各カジノホテルでいろんなイベントが
開催されており、ホテル間を移動するファンの群れで歩道は溢れかえっている。
とにかくMGMのライオン、ニューヨークニューヨークの自由の女神までバスケットボールの
ユニフォームを着せられている。
とにかく度肝を抜かれるPRだ。街の建物の外観は全てオールスター。
スタープレーヤーを追いかける黒人ファンの群集。
プレーヤーたちはもちろんだがファンまで2メートルを超える大男ばかりで
興奮するより怖かったというのが本音だ。
そしてカジノホテルのロビーとショッピングモールには更に驚かされた。
そうか。2月18日は春慶節だったのだ。
豚の飾り物や爆竹の巨大模型やとにかく中国の正月の飾り物が至る所に。
急成長の中国の富裕層が大挙してラスベガスに来ているのだ
もちろんバスケットボールの中国人スター姚明(ヤオ・ミン)のオールスター出場もある。
ベラージオのイベント広場も中国そのものだ。
小生としては建物の雰囲気とは全く似合わないと思ったがここまで徹底してディスプレー
されると何やら中国の街角にいるような気がしてきた。
さらにショッピングモールの有名ブランドショップのディスプレイも全て中国。
日本ではここまでやらないし、日本独自のディスプレイは許さない有名ブランドショップも、
ここでは全面中国色。
そこまでやるか!と感嘆。
昨年の2月にもこの街にいたがここまでの徹底度はなかった。
ラスベガスの中国人向(風)ディスプレイの違和感は随所にあったが、何故世界NO.1の
集客力がこの街にあるのか納得した。
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フェラガモのウィンドー は「希望」と文字。 読み方として「きぼう」 と平仮名で明記。 |
面白いのは「幸福」という漢字に「しあわせ」と平仮名表記。
カタカナを使っているショップもあった。
日本と中国の区別が全く出来ていない状態。 結構、笑ってしまった。
そしてショップに入ると「ニーハオ」、出て行くときには「シェーシェー」だ。
俺は日本人だと言ったが「シェーシェー」しか返ってこなかった。
毎年この時期の日本国内はバレンタインデー一色。
日本の百貨店はどこを向いてビジネスをしているのか。
義理チョコやら本命チョコの販売で都心の一等地で生き残れるのか。
日本の百貨店はどこを向いてビジネスをしているのか。
マスコミもデパ地下のチョコレート戦争ばかりを取り上げるのはボチボチやめたらどうか。
ラスベガスは中国の富裕層の正月休みにターゲットを絞って取り込みを図っている。
日本国内で春慶節をメインに新たな客の取り込みをしているところはない。
帰り便で「大丸と松坂屋の提携」の記事をみた。
チョコレートの売上で百貨店が成り立つ訳がない。
もっと百貨店が潰れないと気がつかないのか?
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| 1983年(昭58)12月にオープン 大阪府吹田市江坂 07年9月30日に閉店のお知らせがあった。 |
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| 85年か86年の誰かの 誕生日だった・・・ |
90年12月11日 ボーナスが 支給されたからか・・・・ |
07年8月17日 子供たちと孫たちと |
《渋滞 環状まで55分》
盆の里帰りに伊丹空港を利用して戻ってきた長女の一家を迎えに行っての帰路。
高速入口の電光案内表示をみて決心した。
自宅まで2時間強を要することになり2歳、4歳の孫たちの夕食時間が
損なわれる。
この近辺で食事にして・・・と考えたが久方ぶりで空港周辺の食事処が
浮かばない。
エ〜と、エ〜と、エ〜と、・・・・そうだ。 江坂の『カーニバルプラザ』だ。
吹田市江坂にあった事務所に通勤していたころ、地下鉄駅前に「太陽の塔」
の顔に似たマークをデカデカと貼り付けたマイクロバスが止まっており、送迎
するという。
事務所の仕事仲間を誘って昼食に行ったのが『カーニバルプラザ』だった。
ジンギスカンバーベキューだが質量と値段も当時としては満足のできるものだ
ったし、ディナータイムにはデキシーランドジャズバンドが生演奏。
当日、誕生日の客にはかわいい花火付のデザートがプレゼントされ、バンドの
メンバーが花火を点火したテーブルに出向いてきてハッピーバースデーを
演奏する。
店舗内の全員で手拍子、合唱・・・・と子供たちには最高の夜となる。
小生も一度は連れて行かねばと85年か86年だったかに初めて家族全員で
ハレの日を祝った。
それ以後はここに行くことが子供たちの楽しみとなっていたようだ。
転勤に伴い、大阪・吹田の地を去ったこと、そして小生が仕事の忙しさにかま
けて子供たちとの時間を削るようになってからは『カーニバルプラザ』と縁が
無くなってしまった。
この『カーニバルプラザ』に07年8月17日に行ったのだ。
妻・子供とそして孫たちと。
少々道に迷ったが店はあった。
店内は少々の改装をしているが、雨の降る港や吊橋、そしてあの懐かしい
バーベキューホール。
子供や妻は、当時はどの位置のテープルにどう座ったかまで覚えていた。
各テーブルを廻って記念写真を撮るサービスがあり、子供たちはその写真
を見ては次のハレの日を指折り待っていたらしい。
子供と妻の会話を聞きながら、遠くなったことや、仕事の忙しさを理由にして
今度は・・・今度は・・・と避けてしまったことを悔いた。
滅入る気持ちを奮い立たせ失くした時間を少しでも取り返そうと皆の前で精一
杯座を盛り上げた。
「また、皆でここに来よう」と約束して帰宅した。
自宅で大切に保管されている当時の写真を見せられた。
十数年の時間が経って写真はセピア色に変色し、少々ピンボケしているが
子供たちや妻には鮮明に残っている思い出のようだ。
今こそ、約束通りに近々に『カーバルプラザ』行こうと営業情報を確認するため
にH/Pをみて愕然とした。
「閉店のお知らせ」になっている。
「24年間の営業で施設の老朽化を理由に9月30日で閉店した」との情報。
やはり失くした時間は取り戻せないのだ。
「閉店の情報」は当分の間、妻・子供にはもちろん孫にも話さないでおこう。
ぎっちょ?
「ぎっちょ」とは左利きのこと。 左利きを意味する俗語『左ぎっちょ』が略されたのもの。
不祥事の連続でNHKの受信料不払いが増加。
その対策してNHKは各エリアで「みなさまのご意見を・・・・」と格好だけ(?)の
タウンミーティングを実施。
ご指名を受けましたので出席しましたが、局長、製作部長、技術部長等々お歴々と
カメラ、録音付の大層なものでびっくり。
これならお車代は相当もらえるかとな期待したが、帰りがけに渡されたのは番組案内
パンフレットと薄っぺらなメモ帳。
これでNHKの面々が出張手当やら山間割り増し料金を貰っていたりしたら・・・・・
カネのかけ方のバランスが悪いで・・・NHKさん
<発言内容>
○「公共、公共」と何度も使われるが「公共」の定義を!
局長のお話の中で何度も出てくる「公共」の中身が明確でない。
何度も「皆様の受信料で成り立っている」というフレーズが出てきたがNHKの季語か
枕詞のようでこのフレーズが「公共」なのか?
小生の考える「公共」と、また出席されている他のアドバイザーたちの「公共」の
捕らえ方にもいろいろとあった。
「公共」という抽象的な単語ではなくもっと具体的に。
具体化がカタカナ単語がたくさん使ったものにならないように。
◎NHKへの要望
★「ぎっちょ」で食事するタレントは使わないように!
日本の標準を遵守すること
右手で箸、左手で茶碗が日本のスタンダード。
席上でそんな差別はできませんと答えられたがそんな簡単に「差別」と
言う言葉を使わないように。
この場合は「区別」という。
「差別」と「区別」とは大きな違いがある。(この論議はまた別途に)
とにかく、食に関する番組で箸をつかう場面では「ぎっちょ」のタレントは
その料理を作った人、素材を冒涜するに等しい。
例えば
刺身の造り方、盛り付け方全てが箸は右手、茶碗は左手を前提としている。
この前提を元に調理人は修行を積んでいる。
もちろん器から配膳まで当然のことだ。
これを「ぎっちょ」で箸をつけることは全てを台無しにする。
仕方がない、その人の自由等と理屈をつけるがそれでは『躾』とは何ぞやとなる。
右手で箸を使うことは日本人としての一番最初に覚えなければならない『躾』だ。
恨むなら親を恨め。恨まれるのが嫌ならしっかり『躾』ることだ。
タレント(広辞苑によると才能・技量のある人)と呼ばれるなら演技で「ぎっちょ」も
カバーできるはずだ。
BRICS(ブリックス)と呼ばれるB=ブラジル、R=ロシア、I=インド、C=・・・は日本の
これからの重要なビジネス相手となる。
特にインドは中国を凌ぐ国となるが食事の際に右手と左手の使い方を誤ると大変な
ことになる。
日本人と文化のルーツは同じだ。
右手は食事(箸と同じ)をするもの、左手は食事を始末するもの。
右手と左手の『躾』をきっちりとしておく。
NHKこそが規範を示す番組を創るべきだ。
一億総白痴化した今、その元凶となったテレビこそが日本人のアイデンティティーを
取り戻す役割を負わなければならない。
これが「公共」ではないか。
○地方局の技術力アップを
地方局のニュース番組でスタジオ内のカメラワークや照明技術に大きなバラつきある。
仕事の関係で全国を回った上で判断すると、当県内のNHKの照明技術はイマイチ。
技術部長から「地方局には予算が少ないので・・・・」との弁解が第一声だった。
なんと恐ろしい回答か!
これでは技術部長の肩書きが泣く
カネさえかければもっと良くなるとの発想 これでは受信料は払えない。
技術はどこにあるのか?
スタジオの設備を覗いた事がないので明言できないが、充分な設備があるように
思える。
ライティングの技術がないだけだ。
或いは技術を持った人材はいるのに力が発揮できない環境にあるのかだ。
設備の不足を言い訳にするな。
手持ちの設備で技術力を見せることができないのか!
このミーティング後に時々ニュース番組を観たが相変わらずキャスターはノッペラボンの
顔に変化なく、原稿のモニター位置も変更されず、顔はカメラ、目はモニター向き。
もっと仕事してよ! 部長さん
久方ぶりの東京(その1)
★JR有楽町から銀座へ
あの闇市みたいな店々がどんな条件でどこへ移動したのかは
跡地にオープンした『イトシア』を見れば解るが、ガード下も含めて
もう数軒でJR有楽町駅前は戦後を脱する。
久方ぶりにガード下の「吉野家」に入ったが昼時だったので大変な混雑。
いつもながら客捌きが見事だ。
昼時は牛丼が食べられるので懐かしくなり「並、味噌汁、卵、漬物」とした。
しかし牛丼の味と舌触りが以前と異なるような気がした。
偽装ではないか。 牛肉の部位が違うではないか。
各々方はどう思われますか?
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ロスかニューヨークの吉野家のほうが以前の味と舌触りを保っているのではないか。
『イトシア』地下の「クリスピー・クリーム」にはびっくりした。
この店舗が新宿にオープンした時の状況は聞いていたが、この有楽町も同様の状況が
未だに継続している。新宿の店舗も同様とのこと。
ドーナツを購入するのに最低1時間半を要することと、ビル地下街に張られたロープに
沿って、おとなしく整然と並んでいなくてはならないこと。
しかも、お一人様2ケースのみ。 お前らアホか!
周りの闇市のような店舗は無くなったが、戦後の配給制か、北朝鮮か。
甘ったるい、揚げ油を大量に含んだドーナッツがクリスピークリームのドーナツ。
こんな不健康なドーナツに何故?
<完全に血圧が220まで行ったような気がしたので慌ててアムロジンを一錠飲む>
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米国でドーナツ屋は日本の立ち食い蕎麦屋かうどん屋のようなもの。
早朝の出発時にはクリスピークリームのドライブスルーでドーナツを購入して目的地に
走るが、小生は待ち時間に渡される試食のドーナツを2個ほど食べればもう充分。
購入した一ダース入りのドーナツは手付かずでゴミ箱行き。
何しろクリスピークリームではドーナツ4個の値段で1ダース分となる。
これに牛乳パック大のカップのコーヒーを飲めばもう昼飯もいらない。
さらにクリスピー・クリームは今や屋台からスーパーのレジ横にも山積みされている。
空港内を歩けば「スタバとクリスピーにあたる」
いつまで1時間半待ちが続くのか。 健康のために足早に去る。
★マロニエ通り
プランタン銀座の対面に三菱地所の「マロニエゲート」がオープンしている。
嘗てはプランタン銀座の延長のような小奇麗なカフェレストランだったが東急ハンズ
がキーテナントとなった高層ビルに生まれ変わった。
そして「ゲート」でもないのに「ゲート」と呼び、しかもこの通りを『マロニエ通り』と
呼ばせる。
実に腹の立つ横暴だ。
なぜ銀座の若旦那衆はクレームをつけないのか。
三菱地所だからなのか。
銀座にカタカナは要らない。
♪♪♪〜「みゆき通り」「すずらん通り」なにも言わずときめく胸の〜♪♪♪
平仮名の通り名にすべきだ。
なぜカタカナを重宝がるのか。
この通りには怪ったいなビルが多い。
「成金通り」とでもしてはどうか。(少々趣がないか)
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久方ぶりの東京(その2)
★東急ハンズ
雑貨の百貨店だったがマロニエゲートのハンズは大きな割り切りをした。
五十貨店か六十貨店位か。
ちょっと苦しいかな
例えば、ステーショナリーは目の前に伊東屋がある。
ハンズの売場はセルフ主体で、高額文具(万年筆・バッグ・デスクトップなど)の一部に
側面販売的な従業員はいるが呼び止めるには少々の勇気がいる。
伊東屋はセルフ・側面・対面と商品ごとに区分けされている。
買い易い。
弱点は多層階。
高齢化に伴い現状の階段を利用しての買い回りはちょっとキツイし、何時まで待っても
乗れないマッチ箱エレベーターも。
品揃えの攻め方だけでなく行動科学的な観点も含めて更なる割り切りを。

箸の売場は面白い。
先般から中国製の割箸の値上げ要求とその割箸の安全性について疑問を持つ友人から
相談を受けていたのでじっくり観た。
一万円を超える箸はともかくとして、やはり本来の箸の品揃えに加えて、もっとエコと安全
性を主張した箸と持ち歩きのツールの品揃えを拡大してはどうか。
最近コンビニの弁当やラーメン等々の購入時に「お箸は要りますか?」「お箸は何本要りま
すか?」と必ず尋ねられる。
箸のコスト高防止だそうだが、友人の問題視しているのは安全性だ。
一本一本包装されているので衛生面には問題がないよう見えるが、箸そのものに大きな
問題がある。
一度、使い終わった割箸をお湯の中に入れて、一時間くらい浸けて置く。
また数本をまとめて燃やしてみる。
結果はどうか?
漂白剤が滲み出てはいませんか。
煙に薬剤の酸っぱい匂いはありませんか。
中学・高校時代にクラブ仲間だった同級生の実家が夏場は割箸、冬場は和紙作りをやって
いたのを思い出し尋ねてみたが、廃業していた。
林業については完全に国策の失敗で、割箸の素材となる杉の端材がない。
端材がでる前の段階である杉の木の伐採や手入れのための間伐が全く行われていない。
割箸を製造する機械類はそれなりの手入れをすれば稼動するが、中国製の価格に対抗す
るための端材がない状態。
今「吉野杉の割箸」は割箸を作るための杉の木を伐採している。
端材ではないので大変な高コスト。
当然のことで高級な食事処でしかお目にかかれない。
(我が街の一軒のラーメン店と隣街の一軒のうどん屋はその割箸を使っている。
店内には「吉野杉の割箸です」と表示されているし、客の中には使用した
自分の箸を持ち帰る人もいる。香りと箸の手にあたる感触がいいのだ。)
食品の安全性に目が集中しているが賞味期限の一日二日オーバーに目を光らすことも
確かに大事だが、国が決めたこの期限が必ず正しいとは言えない。
。
新鮮な野菜は生が美味いの当たり前。
肉の「熟成」というのは「腐る寸前」の意味だ。
食べ物は採りたてと腐る間際が一番美味い。
納豆も腐っているから美味いのだ。
要は自分の目で確かめ、自分で調理して、自分で食べてみて、それぞれの食品素材の
賞味時(どき)というものを体得することが必要だ。
しかし、箸のように中国のどこの山の何と言う木材か、その木材はなぜこれほどの漂白剤
を使わなければならないのか、なぜ白色の化粧までさせるのか。
これは個人の目で確かめようがない。
国としてしっかりした規定を作り適応しないと、大変な薬害になる。
★中央通りへ
箸のことをブツブツ言っているうちにマロニエ通りは銀座中央通りに交差する。
正面に三年前、東京を去るときに工事中だった松屋が完成している。
そして周りを見渡せばヨーロッパのブランドショップがズラリ。
どの百貨店も一階がブランドのショップ。街角の一等地もプランドショップ。
銀座通りが乗っ取られたのではないか?
もうちょっと出店規制ができないのか。
そのショップから凡そ似会わない女の子がブランド名入りの大きな紙袋を大事に抱えて
出てくる。
ボーナスを注ぎこんだのか、貯金を叩いたのか、
寂しいよ〜、それはそれは寂しすぎる。
ということでカルティエのショップ前には昔から設置されていた宝くじ売場が生き延びていた。
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四丁目の交差点を横切るとあのユニクロがあった。
当初はこの場所に出店することに銀座の若旦那衆が反対したとの話でメルサビルの
五階だったか(?)に密かにオープンした。
私も度々利用させてもらったが、今や銀座の中央通りにブルックスブラザーズと並んで
いるのだ。
数年前、ロンドンで無印良品とユニクロの店舗に遭遇した時と同じ感動があった。
★ソニービルへ
中央通りのアップルストアは当時から超人気スポット。
日曜日には自転車で出かけてここを中心に過ごしたこともあった。
当時、中央通りは終日クルマの往来を遮断、来街者は大きな広場化した道路のあちこち
で繰り広げられる大道芸人のパフォーマンスを楽しんだ。
今回はアップルの新製品を手にして楽しませてもらった。
若者と外人さんが重なるようになってitouchを触りまわっている。
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| itouch 触りだしたらやめられない |
ソニービル ショールームだったのが販売 も始めたようだ。売場があった。 |
しかしitouchは本当に面白い。
来年4月にはこれに携帯電話機能がプラスされたiPhoneをソフトバンクが販売代理店と
なって販売開始予定とのこと。
(更にソフトバンクは同時期にディズニーケイタイも販売開始する。)
小生もこのiPhoneを購入することに決めた。
来年4月は既存の国内携帯電話メーカーの最後の生死を決める戦いが始まる。
既に勝敗は見えているが・・・
●ソニーはウォークマンをあきらめよ
アップルストアで最新のiPod、itouchを体験し、ソニービルでウォークマンを触った。
もうウォークマンは止めたほうが良い。
ネットとの係わり合いはもちろんだがその操作性やデザイン等々あらゆる分野で
圧倒的にiPod,itouchの勝ちだ。
ウォークマンの1号機からスタートし、MDウォークマンまでずっと愛用してきたが
最新のウォークマンに何も先進性がなく物まね大賞候補だ。情けない。
”昔の名前で出ています〜”だ。
いつまでも恥を晒してはいけない。
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| 小生の1号機からMD機まで いろんなタイプを持った |
昭和54年予約販売で購入 ちょっと自慢だった |
オーボエ
小生の弟の長女(姪?)が大学のクラブ活動でオーケストラのオーボエを選んだ。
この楽器は一般的に馴染みの薄い木管楽器なので奏者が少なく、YAMAHAの資料に
よれば全国で200人位と推測されている。
クラリネットやサックス等の馴染みのある木管楽器と大きく異なる構造があることと、
パートの部分で一音が長〜い曲が多くあり、特殊な奏法を習得する必要があるからだ。
構造の違いとは音を出すリードの部分が二枚リードとなっていること。
幅薄のリードを二枚重ねて湿気をもたせて吹く。
乾燥するとリードが振るわないので、ピーピー音が演奏を台無しにする。
インスタントラーメンの「明星チャルメラ」。
この商品の包装に描かれているのが屋台を引っ張りながらチャルメラを吹くラーメン屋の
オヤジ。
このチャルメラも二枚リードである。
クラリネットやサックスは広幅のリード一枚。
今回の演奏会でチューニングを彼女のオーボエがとった。
この時にオーボエの特殊な奏法である循環式呼吸奏法を使う。
吹き続けることで、息が続かなくなると鼻で呼吸してさらに吹き続け、音を切らない。
この奏法を要求されるのがオーボエだ。
第2部にも彼女のオーボエが一番に音を出し、次々とその他の楽器が音を重ねる。
チューニングが終わると静寂。
そしてコンダクターの登場となる。
オーボエはCの楽器。
金管楽器はB♭の楽器が多い。
日本ではド・レ・ミ・ファ〜と基本を教わるがこれが誤りで、世界標準のC、D,E,F,〜
を基本にする教育に切り替えるべきだ。
Cを基準にチューニングをする。
奏者の少ない楽器なので、手に入れるには先輩のものを譲り受けるか
オークションで購入するか、新品を望むならほぼ言い値で購入することになる。
大学4年の最後のコンサートでもあるので、弟は大奮発して乗用車一台買ったつもりで
今春、清水寺の舞台から飛び降りたのだ。
姪はそのオーボエを持って春と夏に帰郷した。
春に小生がピアノで伴奏をし「Fly me to the moon」を吹かせたが、苦しかった。
夏に再度チャレンジしたが驚くほどの格段の伸びがあった。
特にブレスの仕方はもちろんだがオーボエの音色が春とは全く違っていた。
繊細な少々寂しげな音色が出ていたのだ。
(この音色が艶歌やポップスのサビのパートでよく使われる)
その時に彼女の定期演奏会に行くことを約束したのだ。
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| たくさんの部員が必要だ。! 新入生の確保に全力を |
清水の舞台から飛び降りたのに 無傷の弟。プライバシー保護の ため写真カット |
11月 山中に建立されたあるコンサートホールにて
モデスト・ムソルグスキー
交響詩「はげ山の一夜」(NIght On The Bare Mountain)
彼女は第2楽章で16章節ぐらいだと思うがソロをとった。
スピードの要求される部分でしかも高音域でオーボエには
辛いパートだったが上手く乗り切った。
「清水寺から・・・」が生きた。
このコンサートで懐かしいテレビ番組に出会った。
ドミトリー・ショスタコーヴィチ
交響曲第5番 ニ短調 作品47(Symphony No.5
d-moll Op.47)
第4楽章
是非、お聞き願いたい。
当時、毎週土曜日の夜7:30から僅か30分でありとあらゆる事件を
解決した番組。
タイトル曲に使われていたのだ。
アンコールも含めて約2時間。
久方ぶりにクラシックに接したが眠らなかった。
久方ぶりの東京(その3)
ソニービルを出て、晴海通りを横切りみゆき通りへ。
懐かしさがこみ上げて来る。
昼食時に利用した店がほとんど残っており店前を通ると、一緒に食事に行った仲間の
顔が浮かぶ。
今どうしているのか?
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| 1週間に一度パスタを食べた | 坦坦麺も時々 少々高い | 月一回の懐かしのpopsライブ |
事務所のあったビル前に立った。
ビルのオーナーが替わったと聞いていた。
事実なのだろう。
この界隈で各階の窓にエアコンの室外機を無造作に置きまくっていた見栄えの悪いビル
だったが、今は全ての窓際の室外機は取り払われ、屋上に大型の空調機器が新設されて
いる。
これだったら新幹線の窓から見てもスッキリしたオフィスビルに見えるだろう。
ビル内を見たくなったが当時と違って目の前に大きな敷居があるように見えた。
入館するのは止めた。
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| スッキリとした懐かしのビル | 関さんと泣いて別れた喫茶店 | この程度の味で並んで待つか? |
ビル前のJRの高架下、どの店も替わっていない。
全ての店を昼か夜の食事に利用した。
思い出深いのは「プロンプト」と「美登里」。
あの日、Sさんとばったり「プロンプト」前で会った。
病に倒れ、半年のリハビリで歩行できるまで回復。
そして今日、迎えに来た奥さんと日本での最後の食事を「美登里」で・・と話す。
ロス、ホノルルと海外駐在期間が長く、その間に家族でグリーンカードを取得。
残りの人生をホノルルで過ごすために今日の夕方の便で現地へ・・。
寂しい会話となったがゴルフができるようになったら必ず呼び出してくださいと約束した。
あの日と同じように「美登里」の店前には順番待ちの行列ができている。
角のスターバックスはかなり早い時期のオープンだったので、感性豊かな若い連中が
この店の持ち帰り用カップでコーヒーを持っての出勤。
三基あったエレベーターはどれもスターバックスのコーヒーの香りが残っていた。
高架下を日比谷側にくぐり抜けると帝国ホテル。
久方ぶりにロビーに立つ。
このホテルの5階までのパブリックスペースなら今でも全て記憶している。
いつも空いていてゆったり利用できるトイレ。
VIPのみが利用できるラウンジ等々。
予定が度々変わるので、確約できない状況の中で何時も融通をきかせてくれたK課長。
呼び出して挨拶だけでもと思ったが思い止まった。
そして直ぐにロビーを走って出た。
そう、今の小生には全く縁のないホテルなのだ。
目の前に「シアタークリエ」が・・・新築だ。
一月に森光子の「放浪記」・・・・・また、でんぐり返しをするのか、大変なお歳なのに大丈夫か。
宝塚劇場前の歩道は朝晩の楽屋入り、出のスター待ちファンが両脇に並ぶ。
昼過ぎのこの時間は気兼ねなしに車道も歩ける。
そして「ペニンシュラ」。ザ・ペニンシュラ東京というらしい。
何かどこか薄っぺらいなあというのが第一印象。
積み上げてあるというより重厚さらしきものを貼り付けてあるという感じ。
帝国ホテルに佇んできたからかも知れない。
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| いつも助けてくれた帝国ホテル | 当日は中国人が多かった |
あるいは小生、ビバリーヒルズのペニンシュラと比較してしまうためか。
「プリティーウーマン」の舞台にもなり、多くの映画の舞台になったホテルだ。
ペニンシュラの客室に備え付けられた靴べらとかスリッパ等などバッグに入るグッズは全て「ちょっと失敬」
させてもらって想い出の品として保存している。
残念なのは雨の降らないロスなのに立派な傘があったのだが、友人に先取りされてしまったことだ。
ビバリーヒルズ・ペニンシュラのロゴがサラリと入ったすばらしい傘だった。 重ねて残念だった。
日比谷通りに突き当たる。
久方ぶりに皇居を拝す。
大変な人だかりと大型バスの列。
帝国劇場だ。
嘗て「レ・ミゼ・・・」を観た。(途中、熟睡、いびきが出たらしく周辺の方々の冷たい目)
今はジャニーズのカタカナミュージカルが連続して上演されている。
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| ジャニーズ劇場? | 日比谷⇔丸の内無料 便利だ | ここに15分間隔でバスが来る |
歩道に案内表示あり。
シャトルバスのバスストップ。
丸の内の三菱地所ご自慢のビルへ約10分で運んでくれる。もちろん無料。