どっちの夢
つるべ落としと謂われるがこの頃の夕暮れ時の早いこと早いこと。
夕方の帰り道、ちょっと寄り道でコンビニに入り、直に外に出たつもりでも陽は沈み暗い。
自宅前で喪服姿の知り合いに出会った。
暗い中での喪服姿なので見過ごしても失礼ではなかったが 「お通夜帰り? 何宅の?」と何気ない挨拶。
返ってきた答えにびっくり。
ご近所もご近所、数軒の前隣だ。
しかも小生より一歳若い幼馴染の名前。
母、妻に尋ねると全く情報がなく、通夜が終わったことも知らない。
現役時代は自宅を離れての生活が長かったので今でもご近所付き合いは母の役割としている。
暗い中でのほんの一瞬の出会いでの挨拶代わりの会話で知りえたことだったのだが
何かの縁で・・・と思うと、居た溜まれず「俺が今から通夜に行く」と家を飛び出した。
確かに喪中の黒幕。
通夜と告別式の場所と時間が書かれた張り紙。
そして懐かしいアイツの名前が。
時間は過ぎていたが通夜の場所へ。
ここも懐かしい。
何時も一緒に遊んだご近所のお寺だ。
残っていた知り合いに詳細を尋ねたら昨年4月に胃がん摘出、そして先般急に体調を崩しそのまま・・・。
大学卒業後、長くこの地を離れ今は京都で住居を構えているのだが、長男であるので本宅のあるこの地の
寺で葬儀をすることになったとのこと。
葬儀写真を見て「あれ〜、去年一度会っているのに・・」
50年近く前の幼馴染みと終日一緒にいたのに気が付かなかったのだ。
「清坊(キヨボー)」と呼んだ。
木造三階建ての巨大な屋敷。
その離れに「信夫(ノブオ)」が住んでいた。
もう一人背高のっぽの「中出(ナカデ)」がいた。
同年齢で小学校当時は一日中一緒にいた。
その中に一歳年下の「清坊」が入った。
彼は昆虫博士で夏休みの宿題時だけでなく四六時中いろんな昆虫採集をし
標本作りをしていた。
あの当時、今のような標本作りの便利な道具は揃ってはいない。
全て手作りであったが見事に昆虫の生き姿を再現し、標本を作っていた。
それに蛇の収集も時々やっていた。
蛇が活動する夏場は、彼のズポンのポケットにはいつも蛇が入っていた。
標本はもちろん脱皮した皮もいろいろあった。
小生も当時は蛇を捕まえて尻尾を持ってくるくる回して放り投げることもしていた。
(今はとてもじゃないができないが)
「清坊」は蛇博士でもあった。
それに切手収集も凄かった。
当時、絶対に手に入らない憧れの「月に鴈」「見返り美人」「写楽」をもっていた。
旧家だったのでいろんな郵便物があり、知識と実物をみせられて溜息をついた。
ある日、我等の遊び場所である長山に登り、小枝から飛び降りた時に足元に竹の切り株があって
足を突き抜いた。
大怪我である。
これが「清坊」だったか「ノブオ」だったかが思い出せない。
みんなで担ぎながら山を下りた。
小生も大声で泣きながら友を支えて歩いた。
みんな大声で泣きながら歩いた。
長かった、大量の血が怖かったのか。
目が覚めた。
久方ぶりに夢を見た。
しかも7歳くらいから12歳くらいの間の過去の夢だ。
起き上がったベットの上で、今までに見た夢の中にこの当時の夢を見たことがあったかなあと思案した。
確かに最近、夢をみることがなくなった。
畑仕事をしていると夕食を食べ終える頃に眠気が来る。
横になると同時に熟睡状態になるので夢うつつの時がなくなったからか。
歳か?
今までみた夢は今日から先のことが多かったように思う。
楽しみやら期待やらちょっと不安やら・・・・全てこれから起こる、或いは起こって欲しいことが夢に現れたと思う。
「これから先のこと」自分の将来に対する希望か。
今回のような幼い頃の夢はみた覚えがないのだ。
特に7歳くらいから13歳くらいのことは全くといっていいくらい思い出したこともなかった。
夢をみることが少なくなってきたことと、これからどっちの夢が多くなってくるのか・・・
夜明けまで考えてしまった。
翌日、告別式に行った。
長くこの地を離れていたのと急死で連絡が行き届かなかったのか参列者の少ない寂しい葬儀だった。
この寺も「清坊」と遊んだ場所だったなあ。
墓地で夏の夜に肝試しもしたなあ。
ここまでにしておこう。
もう少しの間はどっちかというと過去の夢より、明日の夢をみたい。
自宅での居場所はやはり自分のデスク前になる。
1970年に衝動買いした超大型の木製両袖デスク。
購入した時点で既に中古物だったが天板が畳一帖(90cm×180p)の広さで、引き出しも丁寧な手作り。
雨が近づくと引き出しの木部が湿気を感じて膨れ上がり引き出すときに重くなる。
木地を生かした透明ラッカー仕上げの重厚なこのデスクを模様替えしたのは15年ほど前だった。
4人がかりで重いデスクを庭に運び出し黒色のペンキを塗った。
引き手金具はピカピカのブロンズだったが黒色にあわないので白色のプラスティック製に付け替えた。
かなりがんばってDIYをやった。
38年間、付き合ってくれた机なのだが最近、この机の角に膝をぶつけたり、自分自身の物忘れが原因なのだが
確かここに置いていたのに・・・イライラと探しものをしたり、・・・とお恥ずかしいことが連続した。
机には何の罪もないのだが何だか急にこの机の大きさや、好んでペイントしたブラックのカラー等々が凄く嫌に
なり出した。
還暦を迎えたし、リタイアもした。
「エ〜ィ、この際気分一新、デスクはもちろん書棚も全て新調しよう」

ブラックからホワイトにカラー変更、書棚は現在の半分の小型にし、過去のいろんなしがらみのある書類や
パンフ等全て廃棄した。
懐かしい、想い出のあるものが大半であったが残り少ない寿命から勘案して、思い切って捨てた。
今日現在、新しいデスクと書棚に大分慣れてはきたが、今になって思い切って捨てたものの中に必要なものが
あったような気がし、捨て去ったことを悔やむことが度々ある。
思い切りの悪い自分だと自虐。
書棚の「物」を少々捨てただけなのにこの有様だ。
これからもっともっと捨て去らなければならないものが一杯あるのに・・・・・
情けないことだ。
「命」を捨て去る時がどんどん近づいているのに。
追伸 古い机は友人が引き取ってくれて作業台として活躍中

休養期間中の畑
今年の7月は今までに経験のない天候だったと近隣の農家が言う。
確かに朝は7時過ぎから30度を超し、夕方5時過ぎまで続く。
さらに11時過ぎから3時位までは35度を超える。
そして40日間も一滴の雨も降らず・・・・大変な夏だった。
この異常気象は農作物に様々な影響を与えた。
先ずは高温度のために病害虫の発生が少なく大豊作になったとのこと。
それは良かったですねとは言えないのだ。
大豊作は市場価格の大暴落となり収入減に。
更に結実の時期が例年よりも2週間ほど早くなり、旬と呼ばれる時期に作物が収穫できなかった。
早い時期にキュウリやナス、スイカが大量に収穫されて店先にタブつき、大安売り合戦。
そして盆の時期には収穫するものが何もない状態。
小生の畑では幸いにも井戸水が枯れることがなく、2基のポンプを使って朝晩に充分な水分を補給させることが
出来たので例年通りの収穫時期を維持できた。
しかも暑さのお陰でトマト、スイカは糖度が上がり、上々の味となった。
プロの農家が早々と旬物を収穫し終えた後に収穫が出来たので思わぬ値段で引き取られた。
運と偶然が重なった。
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| スイカは糖度12度以上だ! 美味い |
ハイブッシュ種の大粒 ブルーベリー 今年初めて結実 |
アイボリーの大輪花が見事! オクラの花は本当に美しい |
120本の苗が3カ月間 甘い実をつけた |
久しぶりに幼・小・中・高とずっと一緒に過ごした友人と話した。
来月開催される同窓会への出欠について迷っているのだ。
(小生は既に欠席の返答をしている)
話題が当時の教師のその後に移ったとき、突然、国語の名物先生のことを思い出した
既に他界されたとのことだが、独特の語り口で「徒然草」の原文を読み上げ、独自(当時の
文部省の指導要領通りだったのかも?)の解釈で解りやすく説明をされた。
小生は「名物教師」の語る「徒然草」にかなりの影響を受けた。
多分、団塊の世代は「徒然草」の序文を暗記しているのではないだろうか。
あの『つれづれなるままに、日ぐらし、硯に向かひて・・・・・・・・』だ。
還暦を迎えると同時に、高血圧と原因のはっきりしない目まい。
少々の迷いがあったが「徒然草」で吹っ切れた。
当時、名物教師の授業で感動した「徒然草」の一文。
少々危なげないが未だに暗記している自分に驚いた。
『あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、
いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。
命長ければ辱多し。
長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、
夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る
心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。』
名物教師はこれを解釈し最後に「・・・・と言った兼好法師は68歳まで生きた」と笑いをとった。
またまた休日早朝4時。
ぐるぐる回り出した。
枕元においた冷水で血圧降下剤を飲む。
血圧計を取り出し計測。
びっくりである。
「130の84」
医者の目指している(小生は関心がない)標準値になっている。
しかし目まいが・・・・
一体どうなっているのか。
定期診断時に今回の状況を伝え、小生が懸念している薬の副作用説を問うたが、答えは
「高血圧が原因で目まいがおこるのではない。
何か原因があって目まいが起こり、
その結果として高血圧になっている。
薬の副作用等ではない、以前から言っている通りだ」
高血圧に関する書籍はもちろん、ネットで大量の情報を入手をし、近隣の素人医師たちのご意見も賜った。
何とかジュースやら多少の食養生もした。
担当医の処方箋に基づいた大量のくすりも朝昼晩と服用した。
確かに血圧は標準値になった。
しかし目まいは起こる。
休養期間中に行政から「メタボ診断」受診の案内がきた。
指定の医療機関で4種類の検査を受けた。
検査料金3700円を支払った。
検査の結果「メタボ該当者」になった。
体脂肪や腹部周りが大幅に標準値を上回っているからだ。
行政から万歩計を貸し出すのでそれを帯同して毎日計測するように促される。
「解ってる。急に腹が出たのではない。ずっと昔からこの体型だ。
これで生きてきたんだ。これが俺の標準値だ」
怒鳴ってしまった。
長い休養【その2】
隣町に「グランソール奈良」という人間ドック専門の病院がある。(http://www.grandsoul.co.jp)
リゾートホテルをおもわせるような・・・・等々話題の建物なのだが、近隣に居ながら覗いたこともなかった。
確かに商業施設ではないので「ちょっと」と気楽に立ち寄る場所ではない.
今回の高血圧の原因調査を機会として「グランソール奈良」へ。
「脳」に限っての検査だけでよかったのだが、前々からどのようなものか興味があったので人間ドックの
コースを選択した。
正直なところ建物、検査機器は堂々と並んでいるが、運営や受診者とのコミュニケーション等は一般の病院
での検査と全く大差はない。
ソファーの少々値のはるものがゆったり配置されていたり、順番取りや無料駐車券発行機や支払い窓口の
雑踏がないくらいが小差か。
予約時の電話の応対や検査当日の受付〜各部屋への案内、部屋の備品のセンス、検査室の待機場所や椅子、
検査服への着替え場所のロッカーや貴重品管理、検査技師の受診者とのコミュニケーションのレベル、食事の
内容、支払い窓口の応対、送り出し、検査結果連絡は10日程後に佐川急便で・・・・どこをとっても合格点に至る
ものがない。
所謂、「ソフト」がないのだ。
くすぐるものがない。
確かにパンフレットやホームページには『おもわせるような』と表示されている。
リゾートホテルとは言い切っていない。
あくまで『おもわせるような』なのだ。
具体例
宿泊用の部屋に配置されたタオルは「ハナエ・モリ」と刺繍されたド派手なものだ。
検査技師はあくまで検査技師であって検査機器のオペレーションが主業務
詳細説明を受けなかった我が尊敬する津崎兄イはMRI検査の最中に自ら緊急停止をさせた。
閉所恐怖症が持病と伝える機会がなかったと言う。
ということでリピーターにはならないであろう。
肝心の「脳」の検査は他の検査結果と共に10日に自宅に送付されてきた。
《異常なし》
MDCT従来のCTでは、検出器が一列なのに対して、MDCTは四列で検出するので、 より広い範囲を短時間で撮影することができる。最小スライス厚1.25mmまで 再構成することが可能で、より細かい病変まで発見できる。 |
MRI放射線を使わず、体の水素原子の共鳴を利用して画像を作る。身体のどの 部位でも撮影ができ、造影剤を使用せずに、血管を撮影することが可能で、 動脈瘤、血管狭窄、脳梗塞などの診断に優れている。 |
RI(核医学検査)少量の放射性医薬品を注射し(被爆量は少なく胸部X線写真1〜2枚程度)、 ガンマカメラで投薬後の体内分布の様子を画像にします。特に臓器の血流と 、機能についての情報が得られ、脳血流・心筋の血流・代謝やがんの移転、 骨の異常などの診断に使用されます。 |
長い休養【その1】
昨年の8月23日、信号待ちで停車しているところに、”アホなオッサン”運転のクルマがぶつかってきた。
俗に言う「オカマをほられた」OR「オカマされた」のだ。
ただこの ”アホなオッサン”が数あるクルマの中からわざわざ小生のクルマを選んで追突してくれた。
そのお陰で高血圧の症状を発見できた。
損害保険会社から一応の検査を受けて欲しいということで、事故現場から近くの総合病院へ直行。
午後3時過ぎであったが偶然にも整形外科の医師が在席し、ムチ打ちを中心にレントゲン検査。
特に異常はなし。
ただ、予備的に実施した血圧検査で、「異常に血圧が高いが専門分野ではないので後日内科の診断を
受けたほうがよい」とのアドバイス。
翌日から内科で定期診断。
そして160〜210の間を上下する血圧。
小生自身は全く大したこともないのでこのままでも・・・・と思っていたのだが、担当の内科医が130を目標に
薬と自己管理で血圧を正常値にしましょうと病人扱いを始める。
今年4月、突然の強烈な目まいがあり、初体験のことだったので、対処方法が解らず救急車のお世話になったが
その後の定期検査で特に異常はないとのことで日常生活に戻った。
今年の7月の天候は雨が全く降らず連日気温35度を超える猛暑の日々となった。
毎朝5時過ぎに起床し、約2時間、畑で水遣り。
水遣りを終える頃には既に太陽があがり気温も30度を超える。
夕方は5時過ぎに水遣りを開始するが、焼けた地面への水遣りで、地面からムッとする蒸気が上がる。
息苦しいのだ。
そして先般、2回目の強烈な目まい。
前回同様、休日の早朝の出来事。
医療体制最悪県である奈良県に住まいする現在、こんな時間帯に異常事態が発生すると対応ができないので
家族がパニくるのだ。
今回は血圧降下剤を服用し少々の我慢を一時間くらいしていると平常に戻った。
前回の初体験の学習効果がでた。
しかし原因が解らない。
内科医は「血圧が高いのが原因ではなく、何か原因があって血圧が高い」と言い、その何かを特定するために
耳鼻科と脳の検査を勧める。
耳鼻科の検査は結構面白いもので「クイズ・タイムショック」のように椅子に座った状態で回転やら逆周りをする。
耳から水を入れたり鼻からエアを吹き込んだり・・・・・・次から次から面白い検査が続いたが圧巻は「歩行」検査。
1分間、目を閉じて同一場所で足踏みをする。
1分後、目を開けると最初の立ち位置と全く異なる場所にいる自分にびっくりする。
「異常の原因はこれか!」と思いきや
「全く正常です」と医者。
目をつぶって一定場所で足踏みをすると必ず他場所へ移動するのが正常の状態。
耳鼻科では「特に異常なし」となる。
いよいよ原因は「脳」か?
花盛り
畑に黄色が目立ちだした。
スイカもトマトも黄色の花盛りとなったのだ。
花は実をつける。
たくさんの花はたくさんの実となる。
畑の黄色は豊作の前ぶれ。
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| 露地栽培のトマトは今が 花盛り。楽しみ、楽しみ! |
何の花? にんじんの花 | これは栗の花 | ブロコッリーの葉には青虫が 花盛り? 困ったことだ。 |
早朝に目が覚める。
嘗てはこの時間帯にはNHK−BSが大リーグ中継をやっていた。(過去形)
やっていたのだが1昨年あたりから平日午前中の時間帯に録画放送することが多くなり
遂に松坂の病み上がりの出場試合も午前9時からの録画放送となった。
なぜライブで放送しないのか?
衛星放送の役割を全く果たしていない。
早朝の視聴率を気にしているか?
視聴率は民放のCM料金設定のためあるので番組の良し悪しではない。
リアルタイムに大リーグの中継することが衛星放送の役割であって、既に試合結果が
解っている試合を録画放送しても視聴率アップに繋がることはない。
松坂の復帰試合結果は民放の早朝番組で放送されている。
ニュースを伝えるのはNHKだけではない。
現状の使い方を継続するなら衛星放送の電波枠を早急に国に返還するべきだ。
今のままでは宝の持ち腐れの状態で、この電波枠を活用する能力はNHKにない。
衛星放送と地上波放送の使い分けを明確にする必要がある。
また録画放送で安易に間延びした時間枠を消化することはやめるべき。
先日から目が離せないのがTBSの「UEFA EURO2008」の早朝の中継だ。
リアルタイムだ。
毎朝4時前後に起き出して眠気眼で試合を観始めるが直に興奮状態になる。
あれはサッカーとは呼ばないと思う。
「日本とバーレーン」のサッカー中継を楽しみにしたが「EURO2008」を毎朝見続ける中での
この試合は全く別の球技のように思えた。
雨中の試合であったがチンタラとした緩慢な動きや、吉本バリの大袈裟な照れ隠しのジェスチャー。
中継が始まった前半の途中で視聴をやめた。
サッカーとフットボールの違いか?
北京五輪の放送も同様になりそうだ。
派遣選手の選考基準をグローバル基準にすべき。
「差」を知るべきだし、知らせるべきだ。
大切な税金を使うのだ。
日本人全てがリアルタイムにまだまだ発展途上ということを認識する授業料だ
箱物行政の最終処理方法が指定管理者制度。
わが街にも立ち行かなくなった物件が多数あり、特に赤字の目立つもので本来なら
閉鎖するか取り壊すべきなのだが、どちらも費用が発生しマイナスが増加するとして
最終的に民間に運営委譲をして赤字減を図る制度。
公募をして公平性を前面に出してはいるが、最終決定の明確な基準とそれにいたる過程が
公開されておらず肝心のところで少々胡散臭さが残る制度でもある。
わが街の物件でやはり納得の行かない制度運用が散見されるので、いづれ公開質問をしようと
思っている。
今回はここまで!!
身長167pで体重は現在75kg、そしてウエストが84p。
メタボの典型状態だ。
自分のため、そして同じ体形の方のために菜食をと思い立ち、毎日毎食時に
手軽に食せるサラダの素材として「ベビーリーフ」の栽培を始めた。
この時期は葉菜類の成長が早く、播種してから朝晩の水遣りをきっちりすれば約4日で発芽。
10センチ位に成長したものを刈り取り食する。 約3週間から4週間で収穫できるのだ。
現在15種類を栽培。
常時8〜10種類を混ぜてサラダとなるように成育速度を合わせるのがちょっとしたコツ。
小生は播種をトレーで行い、発芽してある程度成長したものを定植している。
少々手間なのだが収穫に伴なって発生する空きスペースに直播をして発芽〜成長を
待つよりも、トレーである程度成長したものを定植する方が次の収穫までの時間短縮ができる。
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| トレーに播種 | 1週間位で発芽 | 畝の空きスペースに定植 | 3週間で収穫可能 |
一週間に一度、1kgを袋詰めにして2件のレストランに配送。
55g前後を単位に袋詰めして地元の直売所で100円で販売しているが、好評。
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| 朝採りしたものを袋詰め |
ちなみに今直売所に出荷しているのは
新タマネギの赤と白の2種類
糖度が9度近い甘いミニトマト
早朝に収穫する朝露の付いた超新鮮レタス
7月になれば
新ジャガイモ(キタアカリ⇒黄色。軟らかいのに煮崩れしないし甘味があり人気)
イタリアン・トマト(2種類。生食用と加工用)
中玉トマト(キトサンを利用した有機栽培で全量をキトサン栽培の専門店に出荷)
ピーマン
オクラ
が出番を待っている。
本格的に農業を始めて5年目となるがやっと自分のスケジュールと作物の成長が上手く合うように
なってきた。
おもしろくなってきた。
今年はトマトの畝の間にバジルやイタリアンパセリ等のハーブ類の畝を作り播種した。
トマトの成長と共にハーブ類が成長。
おいしいトマトが実れば実るほどそれを狙ってたくさんの虫が寄り集まる。
このトマトに寄り集まる虫たちがどうもバジルの葉の匂いに弱いらしく、バジルの匂いのする
トマトには寄り付かなくなる。
反対にバジルに集まる虫たちはトマトの匂いが嫌い。
ということで共に成長させてみてはどうかとの話を聞いた次第で、書物を読んで「共栄作物」という
言葉を知った。
共栄作物 カタカナでは「コンパニオン・プランツ」
このコンパニオン・プランツを集めてみようととりあえずハーブの種を手配した。
今日現在で21種類。
直ぐに播種する。
畑にたくさんのコンパニオン(?)がいれば毎日が楽しい。
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| ハーブの畝と両側にトマト | 集めたハーブの種 |
どの程度の効果があるのか未知数だが、農業関係の書物にはいろんなコンパニオン・プランツが紹介されている。
「病害虫が減り、土がよくなる」と記されている。
こんなありがたい話は滅多にない。
先般、救急車のお世話になる際に、自宅周辺ではサイレン、ライトを停止して欲しいとお願いし、来る時も
小生を運び出す時もそのようにしていただいた。
早朝でもあるのでご近所への配慮と共に、恥ずかしさがあったためだ。
しかし、年寄りの多いこの田舎街では早起き人口が多いのだ。
いつの間にか「救急車が当方自宅前に来た」ということよりも、「誰が救急車に乗せられたのか?」が
話題になっていたようだ。
(あれほど気を使ってサイレン・ライトを停止してもらったのに・・・・)
しばらくは84歳になる小生の母親・・・ということで落ち着いていたようなのだが。
結局はどこからか小生が高血圧で倒れたことがバレてしまった。
救急車のお世話になったその翌日から普段通りの生活をしていたので全く問題のない状態だったのだが
数日後には日頃はご挨拶程度の方から、通院先の病院名を聞かれ「高血圧なら○○病院が良い」との
アドバイスをいただいた。
この日を切っ掛けに多数の方々から同様の質問とアドバイスをもらう日々が続いた。
各病院の医師の名前まで知らされた。
その医師の出身大学やら経歴まで精通している方もおられた。
そして最近では疲れた日の楽しみでもある「あきのの湯(大宇陀温泉)」の露天風呂。
ここでもいつの間にか常連さんとの会話が高血圧に関する話題に集中し始めた。
さらに畑まで乗り込んできて症状を細かく質問する方が多くなってきたのと高血圧対策の話を
延々とした後に、ご自身手作りの高血圧に効くという健康飲料や市販の飲料を持参。
果ては秘伝の漢方の処方箋を手書きで。(わが街は薬草の街としても知られている。徳川家康の直轄の
薬草園が存在し、藤沢薬品(現アステラス製薬)の発祥の地でもある。
生家は「薬の館」として往年の薬問屋の保存がなされている)
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| 薬の館 | 毎食後に飲む大量の薬 |
お越しいただいた方々の血圧に関する知識の豊富さ深さには本当に感心する日々だ。
血液に関する分析項目、項目毎の正常数値、血圧降下剤のメーカー別品名、血圧に関する優秀な(?)医師と
病院名、高血圧に効く独自の健康飲料等々。
しかし、小生が毎月1回の定期検査に行くこと以外は、全く今までと同じ生活を続け、彼らが毎度のように
知りたがる小生の日々の血圧の変化とか月一回の検査時での血液検査の数値結果等々全く記憶も記録も
持っていないことで、話題が繋がらずがっかりさせる状態が続いている。
オムロンの血圧計を勧められて枕元に置いているが計測することもない。
朝食代わりにもなる量の薬と頂き物の各種健康飲料も、眺める程度になってきて在庫過多。
来月くらいからは定期検診も止めようと思っている。
イチゴが命取り
昨年の11月初旬に定植したイチゴが成熟の時期となった。
畑に近づくとイチゴの甘〜い香りが漂ってくる。
この匂いにつられて鳥が集まりだした。
特にヒヨドリの大胆さに腹立たしくなりイチゴの畝全体を覆う防鳥ネットを設置した。
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このネットの効果は絶大で殆どの鳥たちはイチゴを食することを断念したようである。
小生が朝夕にこのネットの中に入って熟した真っ赤なイチゴを収穫し始めると周辺の
木々や電線にたくさんの鳥がとまって、おこぼれに預かろうと待つ。
不出来なイチゴをネットの外に投げ出すと我先にと飛び降りてくる。
ところがこのヒヨドリだけは許せない。
少し目を離すと この5cm角のネットを突き抜けてネット内に入り込み、半年も要して
成熟したイチゴの一番熟したものを食いちぎって行く。
5cm角の空間を羽を体につけて嘴を中心にして突き抜ける。
小生が追いかけると少しホバーリングして勢いをつけてネットから外に逃げる。
命懸けでイチゴを食べに来るというより、かなりの知恵をもっているようで
防鳥ネットはヒヨドリには全く役に立たない。
と思っていたが昨日の昼、畑からギャーギャーと鋭い鳴き声。
防鳥ネットにヒヨドリが引っかかっている。
周りでは安否を気遣う仲間のヒヨドリがギャーギャー。
この鳴き声、聞きようによっては子供を虐待しているかのようにも聞こえるので
これは大変と、なんとかネットから救い出そうとするがヒヨドリが鋭い嘴で攻撃してくるので
ネットから取り出すことができない。
徐々に体力を失くすヒヨドリ。
助け出すのを止めた。
何でこんな危険なことをしてまで・・・・と思うが、12月のケーキ用としてハウス栽培が主流になった
イチゴ。
露地で栽培する農家がなくなり、この時期に露地でイチゴを作っているのは近隣では小生のみだ。
しかし露地栽培のイチゴのこの香り、この甘さを一度知ってしまったら忘れられない。
ヒヨドリが命懸けで食べに来るのは納得できる。
ひよどりの こぼし去りぬる 実の赤き 蕪村
ギター手元に
還暦の祝金で念願のギターを手に入れた。
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| ボケ始めの小生 | 還暦の印に赤いリボン |
学生時代、キャンパスや京都・御所の木陰でたくさんのグループ゚が
ギターを抱えてPPMやらブラフォーのコピーをやっていた。
小生もその一人だった。
就職してからはギターとは縁遠くなっていたが、社内で、学生時代に憧れだったギターを
数本持って、今までに接した事のない楽曲を弾きこなす人物に出会った。
いずれ小生もあのギターを持ちたい・・・・・と思い、小金ができる度に楽器店を
覗いてみたが、踏ん切りがつかなかった。
古いYAMAHAを引っ張り出して手入れして何とか自分を誤魔化してきたが、妻や子供たちの
勧めもあり、やっと決断した。
かび臭く、変色した楽譜を開いて青春時代の想い出の曲を弾き歌う。
殆どの曲のコードが譜面を見ることなく思い出され、イントロの旋律まで弾ける曲もあった。
歌詞はもちろん全て覚えていた。
恐ろしいことだ。
ボケの始まりは「最近のことは直ぐに忘れるが、昔のことはヨ〜ク覚えている」とのことで
小生も少々ボケ始めている様だ。
初めての救急車
夜中の三時ごろだった。(草木も眠る丑三つ時・・)
のどの渇きで目が覚めた。
今までに無い事だった。
ベットから起き出してとりあえずキッチンに行き冷蔵庫のドアを開けたときだった。
冷蔵庫が突然, 左側に傾き出した。
あの時のことが一瞬思い出された。
平成7年1月17日の深夜、仮眠のためにハーバーランドの店舗の2階階段の踊り場に
ダンボールを並べて横になろうとした時、大きな余震があり咄嗟に階段手すりにつかまった。
恐怖心があった。 今も忘れない。
ところが今回は冷蔵庫ではなく自分自身が傾いていることに気づいた。
目をつむってみると頭の中身がグラグラと回っている(気)。
何事が起こっているのか全く解らない状態が続いたが、とにかく地震ではないことだけは解った。
大声で叫んで家人を起こすことも考えたが、とにかくベットへは戻ろうと動き出したが目に入るもの
全てが左側に回って行くのでそれに逆らおうとする力が働いて、前に向かって進めない。
これではベットに戻ることはできないので、四つん這いになって進んで近くのソファーに横になり
一体どうなっているのか考えてみたが全く答えが出ない。
30分間我慢してみたが通常に戻らない。
意を決して再び四つん這いになってベットに戻り、妻を起こした。
「今までに経験したことのない状態なので病院に行きたい」と言い、救急センターに連絡して病院を
探してもらったが見つからない。
もし見つかったとしても、今の状態ではクルマを運転して病院へ行くことが出来ない。
情けないことだが「救急車に来て貰おう」
待つこと20分(自分では1時間位に思うくらい長い時間だったが妻は直ぐに来てくれたと言う
搬送先が未決定だということで少々待ったが自宅から15分くらいの病院で受け入れOKとのことで
いよいよ救急車に乗り込む。
手を借りてベットから起き上がろうとすると先程よりも強い目まい。
救急隊員が持ち込んだベットに乗り移ることもできず全てを彼らに委ねた。
情けないことだった。
乗り移ったベットの背中にあたる部分が何か冷たい金属か木材のようで寒さに震えた。
毛布を掛け、ころび止めのベルトを締められベットから待機中の救急車へ。
救急車内は天井しか覚えていない。
両サイドに蛍光灯、センターには500Wくらいの大きな白熱灯が設置されていた。
小生が寝ているベットの左側に2名の救急隊員が座り、右人差し指先に何か解らないが
クリップをはさみ、左の腕では血圧測定。
無線で救急センターに連絡。
小生の氏名や生年月日、現在の症状、今測定した血圧・・・ただいまより出発」
同じく長い時間に思ったが、 約15分ほどで救急病院に到着。
「血圧上が220、下が160」
血圧降下剤の投与で30分で目まいがなくなった。
初めての救急車であったが本当にお世話になった。
この75キロの重量物を手運びし、クルマの中での診断、励ましの言葉、
ありがたいことだった。
救急車のお世話になることのないように健康管理をしよう。
次にお世話になるのは霊柩車になると思うがこちらの方はどんなにお世話になろうと
車内の状況や乗り心地などお知らせすることもお世話になったお礼の言いようがない。
新作が楽しみ
遂にあの「インディージョーンズ」の続編が公開される。
Holllywoodの映画館に大きな看板が吊り下げられた。
ハリソンフォードも60才の後半になっているが、どの程度のアクションがあるのか
日本での公開が待ち遠しい。
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| May.22になっている | 「A NEW RIDE COMING 2008] |
ユニバーサルスタジオの3Dアトラクション「Back to the future」も取り壊しがほぼ終わり
新アトラクションの「THE SIMPSONS」となる。
どのようなアトラクションなのかこの秋には初体験しようと思っている。
ドジャース
幼少の頃から野球は好きだった。
というよりも、あの頃は庭球のフニャフニャのボールと竹棒があれば暗くなるまで遊べたのだ。
5時を過ぎると仕事を終えた近所の大人たちが小学校の校庭に来てボールを高々と打ち上げてくれて
子供たちはそれを追って走り回った。
何時の頃からか解らないが「夕焼け小焼け」のチャイムが5時に鳴り出し帰宅を促したが、大人も子供も
日没がその日の終了だった。
商店街の夏の大売出しはガラポン券付。
特賞は甲子園までバスで送迎する「阪神・巨人戦」
母からもらったガラポン券を持って一目散に抽選会場へ。
祈る気持ちでガラガラとハンドルを回す。
ポトンと落ちる。
当選のカラー玉が出たときのあの感激は忘れられない。
西岸良平 「三丁目の夕日」の世界だ。
今でもビッグコミックの特集を読むと涙が滲むことがある。
85年のバース・掛布・岡田の3連続ホームランからスタートしたあの時の阪神タイガースの強さは
凄かった。
野球は実に単純なのだ。
投げて、打って、走る。
空白の一日やら10人目の野手やら訳の解らない手法で野球をするチームが勝つ状況になり
プロ野球の面白みが無くなると同時に、阪神タイガースの長期低迷時代に入り、プロ野球への興味を失った。
そんな中、BS放送で大リーグの中継が始まり、ライブで観れることになった。
嵌まってしまった。
野茂やイチローは日本ではゲテモノのように扱われていたがBS放送を通じて彼らの活躍を知り
やっぱり野球というのは実に単純なゲームなのだと確信した。
今回もロスで入国するなりレンタカーでドジャース球場へ。
明日からのパドレス戦のチケットを購入し、その後久方ぶりに最上階の座席で
グランドの整備作業風景を眺めていたら、老人が隣に座り「日本人か?」と問われた。
彼は野茂の活躍した頃を年代に沿って話してくれた。
黒田はどの程度の投手だったのか?彼の知りたかったことのようだが充分な知識と語学力が
ないので伝えられなかった。
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| 昼下がりのドジャーズ球場 | 黒田のTシャツ山積み | 50周年記念のヘルメット型 ラジオをもらった |
観戦中の小生 |
翌日からの三連戦は夜7時45分試合開始。
黒田は打ち込まれ、斉藤も守りきれなかった。
その翌日、同じく途中で逆転されたままの負け試合となった。
ヤンキースからドジャースへ移ったトーリ監督の采配が見ものだったがヤンキースの
ような強烈な打撃力がない。
今は地区で一位の成績だがこの打撃力では最終はどうなるか?
50周年を迎えたドジャースは連日54000人を超えるファンが入場し、大いに盛り上がっている。
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| 早々と入場として | 練習風景を観る |
21世紀に入ってから阪神タイガースの戦い方が大きく変わって、面白さが戻ってきた。
投げて、打って、走る
誰が見ても解る単純なゲーム。
今年は阪神タイガースの戦いぶりと大リーグの混戦状態で楽しみが増えた。
還暦
4月4日 誕生日。
遂に満60歳・還暦
世間ではいろいろと祝いをするようだが、当家では常々、小生の誕生日に特別な
ことはしないように言っているのでこの日も平常通りとした。
その昔、子供たちが小遣いを持ち寄って購入したポーチを誕生日プレゼントとして差し出した。
その時に子供たちに言った。
「このポーチはお父さんの趣味に全く合わない。
だからこのポーチは捨てる。
余計なことでお金を使うな。
気持ちだけで良い」
骨身に滲みたのだろうか、それ以後は全くプレゼントはなくなった。
夕食に母が赤飯を炊いた。
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| ずっしり入った祝い袋 | 還暦祝いの文字 |
そして妻が二つの包み物を差し出した。
一つは子供たちと妻、
もう一つは妻の実家である長崎の母や兄弟姉妹。
「前々から欲しがっていたギターを手に入れて下さい」の一言。
泣けた。
山中湖へ
車検を終えたクルマの調子を確認するのに何時もの事だが遠出をする。
今回は富士山麓の山中湖畔に引越しをした友人宅を訪問することにした。
朝5時に自宅を出発、天候は時々ミゾレとなる氷雨が降りしきる。
西名阪道路を過ぎる頃から曇り空に、伊勢湾道通過時は強風、東名に入ると
小春日和で時々小雨、浜名湖周辺から桜が鮮やかとなり静岡に入って茶畑の緑が。
残念ながら富士山は厚い雲に覆われて見えない。
御殿場ICを出て山中湖への高速道に。
そして少々長めのトンネルを抜けるとアッと驚く猛吹雪の山中湖半に午前10時に到着。
道程5時間程の間の急激な天候変化に対してクルマは全く問題なく快調な走り。
伊勢湾道では強風の中で150`/時速を軽く出してしまうほどだった。
友人・佐藤氏が待っていてくれた。
積雪10センチはあった。
約4年間、与論島で短パン姿で過ごした環境から、この厳寒の富士山の裾野に
引っ越してきたのだが、僅か4ヶ月ほどでこの天候に適応しているようだ。
与論島の自宅に伺ったときは地中海風の真っ白なデザインの家で庭先が砂浜、
サンゴ礁に囲まれた海の色は時間ごとに変化。
朝らしき時間に起き出して海に潜り、モズクを刈り取って持ち帰る。
適当に皿に盛り付け、この地方独特のモズク用ドレッシングをぶっかけて食する。
彼は早速冷たいビールをグイグイ。
小生は彼の秘蔵のCDを流し聞く。
・・・・悠久の時を過ごせた。
この山中湖半の自宅は白樺や唐松に囲まれた三階建てで、大きなガラス窓から
富士山が望め、裏庭を通り過ぎれば彼の趣味であるテニスクラブ、表通りを少々歩けば
同じく趣味のクルージングが可能な山中湖だ。
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| やはり良い音が鳴り響く | 家具職人手作りのギターケース | 3階吹抜けから2階を見る | 炎は見るだけで暖かい |
2階リビング中央に配された薪ストーブが全体を暖める。
薪ストーブの炎は視覚的にも暖かさをプラスする。
リビングには垂涎のギター数本が湿度管理のできる別注のケースに眠っている。
ギターを次々取り出し、引き比べをさせてもらった。
それぞれのギターの謂れやここに至る曰くを聞いたが、それを抜きにしてやはり
数十万円のものと数百万円のものの違いは明解だ。
2〜3階への吹き抜けが音響を深くしている。
いい館(やかた)を手に入れたものだ。
昼食に蕎麦を所望したら雪が深いので現地に行けるかどうかわからないがとのことだったが
我がクルマで難なく到着できた。
蕎麦の種蒔きから刈り取り、蕎麦打ちまでやり出して3年がたったが、やはり旅する先々に思いもかけない
食べ方や味付けがあり、この山中湖畔の「天祥庵」もなかなかのもので蕎麦文化の深さを知らされた。
先般、都内のラーメン屋で一杯のラーメンとワインで3時間を過ごしたという佐藤氏だが、小生が至って下戸
であり、話題不足のためにこれほどの場所でこの蕎麦文化を語れない。
一時間少々がやっとのこと。
もっと勉強せねばと思い知らされる時間と場所だった。
しかし途中にもっと考えさせられることがあった。
富士通のファナックの本社・工場のことだ。
日本の技術力・製造力を支えるロボット技術を持った本社・工場のその異様さだ。
日本人の心のふるさと、富士山。
その富士の裾野の東にファナックのサティアン、裏にはオーム真理教のサティアンがあることだ。
この富士山を世界遺産にと申請を繰り返す方々にはっきり言おう。
このファナックのサティアンがある限りそれは許されないことだと思う。
今回、富士の裾野に広がる大自然の中に全く染まらない異様な色使いの工場群が広がる「ファナック通り」
と呼ばれる異次元の世界を走った。
一企業の悪趣味がこれほどの罪をばら撒いているのに何の措置も執らない山梨県。
大自然を視覚的破壊をすることを許すのか、少々の事業税・固定資産税を得ることのどちらをとるのか。
富士山は山梨県に存在するが本件は一県の問題ではなく国の問題でもある。
このサティアンに対する姿勢が、富士山の世界遺産認定への最低条件だ。
問題とされるゴミ処理なんかと比較できない大罪だ。
夕方の5時。
一泊していけば・・・京の茶漬けかな?・・・・の佐藤氏の誘いを辞退した。
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| 「ぶっかけ」甘味の焼き味噌と 辛味大根が食を進める |
「天祥庵」の古家入り口で | ファナックのサティアン群 | ♪♪富士は日本一の山♪♪ |
クルマに乗ると同時に突然、付近の雲が流され雄大な富士山が全容を現した。
約5分間くらいだったか。
再び富士はその頂を雲の中に隠した。
10月8日 御神輿(我が地元では「太鼓台」と呼んでいる)巡行。
この一週間は秋祭りの手伝いであっという間に過ぎ去った。
その最終日に大型と小型の2台の御神輿を街中引き回す。
小生が幼少の頃はこの大きな御神輿を屈強の男たちが担ぎ上げて練り歩いたが
15年くらい前からこの御神輿に台車をつけてゴロゴロと引き回すものになった。
理由は簡単。。
他所の例に違わずこの街も若者の転出が続き、小生が若者と呼ばれる立場だ。
3万人近い活気のある街だったが、今や8千人余りの老人中心の街となったのだ。
御神輿を辞めてしまった街も多くあると聞くが我が街は何とか今年も御神輿を出せたと
皆が喜んでいた。 微力だが小生も多少役に立ったようだ。
御神輿の組み立て等々準備段階から、太鼓を敲く。この敲き方(リズム)に特徴がある。
小生は幼少の頃から聞いているので今でも直ぐに敲けたが、初めての子供たちや他所
からの転入者にはなかなかこのリズムが体得できない。
祭りの当日、朝からこの太鼓の音が聞こえてくるとウキウキした。
懐かしい想い出だが、今、この歳になっても変わらない。
巡行を終えて御神輿の片付けの最中に、平成9年9月 「杉良太郎」の舞台公演
「平手酒造・大利根囃子」を思い出した。
杉良太郎さんについてはTV番組や流行歌は知っていたが舞台は初めて。
凄い!の一言だった。
江戸・神田お玉が池の千葉道場で千葉周作の高弟が杉さん演じる平手酒造。
周作の妹(?)と恋仲となり、末は道場の跡取りとも言われて絶好〜調〜。
二人が語らいながら歩くお玉が池淵に聞こえてくる祭囃子。
それはそれは楽しく、ウキウキするその祭囃子。
平手酒造は時折、変な咳を繰り返す。
そして千葉周作はこの咳が労咳と察し、平手酒造に修行を止めて休養すること
を勧める。
この勧めを素直に受けられない平手酒造。
千葉周作への逆恨みとなり療養するどころか酒に溺れて行く。
坂道を転がり落ちて人生のどん底で悶える平手酒造の前に、騙され騙されて同じくどん底
人生を歩く女と巡りあう。(葉山葉子さんが演じていた)
二人がやっと癒しあえる時間を持てるようになり、励ましながら今一度坂道を登ろうと
決した日、女はまたまた騙されて平手酒造をおいて去る。
最後の支えを失った平手酒造。
更に酒に溺れて笹川繁蔵一家に転がり込む。
そして浪曲・講談でお馴染みの天保水滸伝「利根川べりの大喧嘩」に。
一宿一飯の恩義から笹川一家の用心棒となって飯岡介五郎一家の手下をバッタバッタと
切り倒すが労咳の悪化と深酒で万全でない平手酒造。
物陰に隠れた三下の繰り出した竹槍で下腹を刺されて致命傷に。
何時しか喧嘩は収まり舞台には平手酒造が倒れている。
舞台中央に一本の枯れ木が立っている。
平手酒造が最後の力を振り絞ってこの枯れ木に這い進む。
舞台上の距離で僅か3メートル位だが杉さんの演技力の真骨頂長。
じっくりじっくり這い進みこの枯れ木に上半身を委ねる。
この這い進む時間、観客のほうが息苦しくなる。
劇場内1500人の観客がいるとは思えない静寂。
遠くからかすかに祭囃子が流れてくる。
あの江戸・お玉が池淵で人生の頂点にいた時に聞いたあの陽気な祭囃子だ。
全てを失い、そして今、命さえも失いかけている平手酒造。
同じ旋律だが何とも悲しく寂しく響くことか。
観劇している小生はもちろん殆どの観客が涙ぐんでいる。
この祭囃子をしばらく聞き流していた平手酒造。
最後に搾り出すセリフが
「祭囃子って寂しいものだなあ〜」
スポットライトが絞り込まれる速度に併せて緞帳が降りる。
いい芝居だった。
来年のこの時期 流れてくる祭囃子に、幼少の頃と同じく
ワクワク・ウキウキとなる自分でありたい。
フラッシュメモリー
東京・単身赴任中の辻田氏よりフラッシュメモリーが郵送されてきた。
中身は辻田氏がこの大宇陀の地に訪れたときのスナップ写真だ。
40枚余りの写真をスライド形式で流し見していて「ハッ」と思った
ものがあったのでご紹介しておきたい。
辻田氏のデジカメは一世代前のもので液晶画面も画素子も低いが
これほどの写真が撮れるなら一眼レフのちょっと上級クラスのものを
使ってみてはどうかと勧めている。
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| 又兵衛桜 一般的な構図だが桃の花のピンクと老齢の枝垂れ桜のピンク、そして僅か70数年しか生存しない人間の並びが良い |
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| トリミングすれば・・・面白い素材 | 人工物の直線と自然の曲線の対比が良いと思う |
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又兵衛桜の朝もや 朝もやの中でシャッターチャンスを待つひとたち やはり一眼レフの上級機 が欲しい。フィルターを活用すると朝もや自体を画像に使えたのに・・・。 |
又兵衛桜は被写体として面白いがその周辺に存在するものとの対比が良い。
時間帯別の又兵衛桜の姿、天候別の姿、開花から落下への時系列別の姿等々、
三百歳を超えるこの枝垂桜のたくさんの写真愛好家の作品を見るが、辻田氏の
捕らえ方も良い。
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| 朝もやを巧く表現できないか |
この他には織田信長の次男・織田信雄の居城であった秋山城に行った様で、
水墨画的な絵作りに興味がある。
いろんな捕らえ方、またテクニック等自身の経験の集大成としてカメラを通して
表現できる素材がいたるところに在るこの街。
次回のフラッシュメモリーが待ち遠しい。
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| バカチョンカメラで・・・! すごい!! | 城山の対極にある西山の月 |
ハローウィン
もう10数年前になると思う。
「フリーズ!」と言われたが、意味が解らず、動き出した途端に銃で射殺された事件を
覚えているだろうか。
米国に語学留学していた日本人男子学生が、ハローウィンパーティーに招待された友人
宅を間違えてこの惨事になった。
パーティー好きのあの国でちょっと理解できないのがハローウィンパーティーだ。
10月のウィークエンドにディズニーランドに行くと18時前に退場させられる。
入れ替わってナントも表現のしようのない衣装を纏った子供たちや親たちが
入場してくる。
恒例のハローウィンパーティーが開催されるのだ。
スーパーマーケットではハローウィン用の大きなカボチャが山積みされる。
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| 一個が100円位 | どこでも山積みだ |
拙宅も毎年この時期には女房が玄関先からハローウィンのグッズを飾る。
自作のものもあれば旅先で購入したものもあるが、毎年毎年何かが増えている。
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今年はあのカボチャを作ってみようと種から苗を育てたが、植え替えのタイミングを
失して枯らしてしまった。
来年は大量に植えて庭先でハローウィンカボチャのディスプレイをしてみるつもりだ。
いろんな顔のデザイン集や張り刻む道具類は手配済み。
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目、口、鼻等々カボチャを刳り抜くのが 簡単にできる道具類やいろんな顔の デザイン集が販売されている パーティー用の子供の衣装はレースや スパンコールを使ったヒラヒラ・ハデハデ のものが$20〜$30位 |
来年こそはハローウィンカボチャを育てる。
カボチャを使ったディスプレイの参考事例を多数保存していたが、見つからない。
この数日、イライラしているのだ。
こんなことが多くて自分自身に腹が立つ。
先般、何気なしに血圧計で測ってみると上220、下160で脈拍51と出てビックリした。
最近、どこの公共施設の休憩所に置かれている自動血圧計だったので、故障でも
しているのだろうとは思ったが念のため2,3箇所の自動血圧計で試してみたが
ほぼ同様の数値がでた。
「フリーズ!」した。
『瓢箪から駒』ならぬ『カボチャから血圧』となった。
続く・・・・・・血圧騒動へ
ハクサイ完売
8月21日火曜日 酷暑
朝8時 既に30度近い気温になっていた。
この地域のハクサイ定植時期としては一ヶ月早い今日、素人量産農家をスタート。
準備したのは超早生の苗で播種後約65日で収穫できるというものを1800苗。
JAから1苗約10円で購入。
シルバー人材センターから2名のベテランを派遣してもらって3人で2時間少々で定植完了。
この時気温は30度を超えていた。
「こんな天気の中で定植して大丈夫か?」と何度も中止を勧められたが作業続行。
そして、定植完了した苗を見ると、あの生き生きとしていた苗が、全て脱水状態で
半ミイラ化して真っ白になっている。
その日の夕方、約2時間を要して全ての苗に散水したが、焼け石に水とはこのことか。
散水開始した箇所はもう全く水気のない状態となっている。
再度、夕暮れの中で散水実施。
全滅を覚悟したが翌朝、約2割弱の立ち枯れで止まった事で「よ〜し!」
何かがムラムラムラっと動き出したのだ。
翌日も既に30度を越えている。
雨は全く期待できない。
津崎兄イに久方ぶりに相談、良きアドバイス得た。
しっかりと『水を遣る』ことだ。
昨夕の散水は正しく『水を撒き散らかした』だけだった。
二回目も『水で濡らした』だけだったのだ。
異常な状況の中で定植したのであれば普段のことを踏襲するだけではダメだ。
何でも一緒だ! 目に見えることだけではだめ。
水をかけるだけではダメ。水で濡らすだけではダメ。
ハクサイは口がない。文句は言わん。
しっかり『水を遣る』をやったかどうかはハクサイが答えを出す。

出荷を始めて10日目の昨日、120ケース(720個)をJAに、約650個を奈良・南大阪の
スーパーに納品した。
今年の長期の異常気候で地元はもちろん、この時期に出荷する産地からの出荷がなく
近年稀に見る高値で引き取られたと聞いた。
しっかり『水遣り』ができたこと。おかげで8割近い成育。そして思いがけずの高値。
う・・・ 満足じゃ!
枝雀
相変わらず朝5時前後に目が覚める。
朝起きに関して目覚まし時計は全く不要だ。
春先は4時前に起床し、朝ぼらけの中でレタスの収穫と出荷作業をした。
朝7時に出荷して朝食をとる。
充実した一日のスタートだった。
この時期は特に畑作業はない。
起き出してゴソゴソと動き回っては妻に迷惑を掛けると思い、彼女が起き出すまで
低ボリュームでテレビを観ながら出来るだけ寝床で我慢する。
この土曜日も同様で朝5時過ぎからテレビのスィッチオン。
ところが平日とは違い,定番の番組がないのでチャンネルサーフィン。
NHKの「関西思い出シアター」で久方ぶりに枝雀を観た。
5:15〜5:50の番組だが、枝雀をやるなら「つぼ算」よりもやはり「代書屋」をやって
欲しかった。
ボケと突っ込み、所作とシャベクリが絶妙で枝雀落語の真骨頂だと思っている。
しかし、この芸をもってしても師匠である米朝はんに追いつけない、追い越せない。
偉大な師匠の芸の域に何を持って追いつくのか?
たどり着いたところが、あの枝雀の芸だったと思う。
顔相を百面相の如くに変化させ、立ち上がったり、ひっくり返ったりと大袈裟な所作。
シャベクリに独自の振り付け。
枝雀の芸ができたのだ。
が、本人はこれを邪道だと思っていたのではないか
枝雀が小米の時代に朝日放送ラジオ「ポップ対歌謡曲」の水曜日担当だった。
小生は水曜日が仕事休みの時が多く、昼過ぎの30分間のこのクイズ番組が楽しみだった。
桂春蝶、吾妻ひなことの三人の掛け合いはオープニングから熱いもので、一問のクイズ出題
もないままで時間切れとなることなど始終。
そこには百面相もなければ、大袈裟な所作もない。
ラジオだから姿形は全く関係なしで笑いがとれた。
生き生きだったが、枝雀を襲名してから何かおかしくなってきた。
マクラもだんだんヒステリックなもの、ストイックなものだった。
「人間はなぜ立っていることができるのか?
呼吸をしているからだ。
前の方に倒れそうになると息を吐き出してその抵抗で元に戻る。
後ろに倒れそうになると息を吸い込んで元に戻る。
それが証拠に、息を止めたらドテッと倒れる」
と実演をして見せるのだ。
息を止めると顔面が赤くなりダウン。
その倒れ方は異常だった。
藤本義一が直木賞を得た「鬼の詩」を思い出す。
主人公は桂○○(思い出せない)。 人気の出ない落語家。
突飛性で何とか芸を繕う日々。 そして天然痘を患う。
残ったのは顔一面に出来た天然痘の後遺症である膿んだ箇所の凸凹のケロイド。
突飛性の追求の果てがこの凸凹にいろんなものを差し込んでブラブラさせて笑いを取る。
挙句は口の中に電球を入れて頬の痘痕から洩れる明かりをみせたり・・・。
30歳そこそこで逝く。
枝雀にこの「鬼の詩」が重なった。
追伸
米朝はんの弟子でなかったら死を選ぶことはなかったと思う
「鬼の詩」を読み直そうと倉庫の中を探し回ったが見つからない。
いらいらしてきたので血圧を測ってみると180、144で脈拍53、
どうも早起きは体に悪い。
火入れ
我が街、大宇陀(おおうだ)は海抜380m、四方を標高1248mの高見山をはじめとする山に
囲まれている。
寒暖の差が大きく四季の変化、昼夜の変化が際立っている。
真夏でも昼は30度以上、夜半には20度前後となり過ごしやすい。
”関西の軽井沢”と呼ばれもしている街だ。
長く続いた温暖な気候も11月の半ばを過ぎるとそれなりの気温となり、今朝は突然の初霜と
なった。
野外に放置している農業用の軽トラの前面ガラスが凍て付いた。
いよいよ冬の始まりだ。
この冬はクリスマスイルミネーションを全て中止し、この畑小屋でゆっくりと来年の作付けを
計画したり、最近疎遠になっている活字との付き合いを再開することにした。
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| ベーコンをベースにした野菜スープ いい香りが部屋中に充満した。 |
畑小屋の周りには一冬分の薪を積んだ |
快適に過ごせるように、この初霜が降りた今日、「火入れ」と称して今冬初めて薪ストーブの
使用を開始した。
薪ストーブのガラス越しに炎をみるだけでも暖かさを感じるが、点火してから約半時間位で
ストーブ全体、そして煙突から発散する輻射熱が体を包む。
薪ストーブの上には「ル・クレーゼ」の鉄鍋、中身はこの畑で収穫したジュガイモ、キャベツ、
ブロッコリー、タマネギ等々をスープ煮。
やっと「スローライフ、スローフーズ」の入り口に立った。
「・・・だった」?
全国紙の一社の記事に対して、皇太子殿下よりご指摘があったとの記事。
新聞記事の中に『「勤労感謝の日」は「新嘗祭」であった』とされているが、宮中をはじめ
日本各地で「新嘗祭」は年間行事として執り行われているとのご指摘である。
その通りだ。
小生も先般この「新嘗祭」に地区の代表として参拝した。
「五穀豊穣に感謝し来年もまたよろしく頼みまっせ」と神主の詔があり、全員が神の祠に
二礼二拍一礼をして、玉ぐしを奉納、御下がりの白濁の酒をお神酒として全員で回し飲み。
約2時間ほどの行事であったが「新嘗祭」は厳かに執り行われた。
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「だった・・・」ではない。
同日の記事の中に大豆の自給率が大きく取り上げられていた。
僅か5%だ。
大豆を原料とする食品は日本人の骨格を形成する基礎食材だ。
他国に行くと最初に感じる香りがあるが、この国の香りは納豆の香りだ。
それほどの重要な大豆を一部の利権商社による輸入に頼りきっている。
スーパーの豆腐売場、納豆売場でそれぞれのラベルの表示を見て貰いたい。
「不二家」「吉兆」「マクド」等々の偽装などは目くそ鼻くそのレベルだ。
何が「国産100%」の大豆使用だ。
味噌はどうだ。醤油はどうだ。
しかも輸入大豆の他に現地で製品化されたもののなかに、遺伝子組み換えによる発がん性
物質を大量に含んだ醤油が流通している。
今年も年末が近い。
年越し蕎麦。 残念ながらこれも自給率5%だ
蕎麦打ちをしようと3年連続で蕎麦作りをしたが、11月末に脱穀のために製粉会社に持ち込む
と、大型海上輸送コンテナが横付けされている。
中国やカナダの表示が大半だが、製粉化された工場内の製品袋には日本国内の有名蕎麦
チェーン名と国産蕎麦100%の表示をした袋が山済みだ。
脱穀機を通って粉になると国産になる。
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| 刈り取った蕎麦を乾燥中。まもなく製粉工場に持ち込み粉にする。 たくさんの方々に国産100%の蕎麦を食していただきたい。 差し上げます。 |
今や日本人の主食となった小麦。
同じく100%に近い輸入物。
しかしほとんどの製品は国産小麦使用を大きく表示している。
これらこそ完全な偽装だ。
新嘗祭を過去の行事とするのではなく、この日を新たな「新嘗祭」として自給率アップを
国策として図らなければ「油断」が「食断」となってしまう。
「勤労感謝の日」・・・・アホか! 働くのは当たり前だ。
この日は「新嘗祭」であって、かつては「勤労感謝の日」だったとしたい。
老兵去る
久方ぶりに東京へ旅した。
毎年数回、海外への旅は継続しているが、東京は3年ぶり。
近鉄上六駅から空港リムジンバスで伊丹の大阪空港へ。
毎週末に繰り返した行程だ。
そしてJALカウンターにて搭乗券発行時に10列か20列の座席を希望する。
当日に、この列の空席があるとは思ってはいなかったが口癖になっていた。
ところが20Aなら空いていると。
ウ・・・・ンと一呼吸。これは幸先良い。
(20列のCかDだったら最高だったのだが)
20列Aの搭乗券ゲット。
一番後から搭乗して、一番先に降りる。
当時、東チョン族の間でゴールデンシートと呼んでいた。
それが10列か20列のC席かD席。
ジャンボには550席前後の座席があるが乗降は左舷の前方二箇所のドアのみ。
後方の窓側の座席だったら降りるのに20分以上要する。
乗り継ぎのバスや電車には確実に一便遅れとなってしまう。
航空機は左舷から乗降する。
各空港のフィンガースポットは左舷にセットできるように配置されている。
これは船の接岸の国際ルールが左舷とされているものを踏襲したからだ。
JAL機に乗り込んで最初の一歩で小生の大きな誤解に気がついた。
乗り慣れたあのボーイング747(ジャンボ)ではない。
2本のフィンガースポットの後方を利用すると2階席への上り口が正面にあるのに
目の前にないのだ。
さらに乗り込んだ付近の座席は乗り慣れたグレーの3列席ではなく、アイボリーの
広幅の2列席なのだ。
やっと気がついた。
毎週金曜日の夜、日曜日の夜に東京・大阪を利用した約12年間、それは前方の機体が
2階建てになったボーイング747=通称ジャンボだった。
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| 小生が現役の頃にお世話になったジャンボ。 この数年で殆どが引退していた。 |
JALの主流機となったボーイング777 通称「トリプルセブン」という |
今乗り込んだのは、ボーイング777(トリプルセブン)だった。
双発のエンジンで胴太の機体がジャンボとほぼ同数の乗客をこなす。
トイレ位置とか、ビデオ画面の配置、ギャレー位置等に少々不満があるが
座席の座り心地は良いし、どでかいエンジンは安心感がある。
それより何より、機体はもちろん座席に至るまでその薄さだ。
これなら中途半端な壊れ方はなく、確実に完全に破壊されて瞬時にあの世行きが
できる。
この3年間でジャンボ機の殆どが引退し、今はトリプルセブンが東京・大阪を飛んでいる。
国際線のジャンボもほんの数機が運行しているだけで、これも近い時間に引退となる
とのこと。
寂しい限りだ。
小生が現役を去ってから、同様にジャンボ機も現役を去った。
俺たちの時代は終わった。
老兵は去るのみ。
イルミネーション
十数年前、実弟が駐在先のロサンゼルスから持ち帰ったクリスマス・イルミネーション。
2mを超えるツリー、等身大のスノーマン、万華鏡のようなライト類。
魅せられた。
弟から譲り受けたイルミネーションをベースにそれからは毎年10月末前後に
米国に買い付けに行くことになった。
情報源はインターネットとロスの「茜茶屋」オーナーの木村さん。
ご自宅周辺のスーパーや専門店にクリスマス用品が陳列されたら即Eメールで
写真・解説付で情報をいただいた。
インターネットではイルミの時期の世界の街角に目を凝らした。
この情報を元に買い付けるものを決めて旅立ち。
一週間位の滞在でバンタイプのレンタカーに詰め込めるだけ積み込んで空港に戻り
JALカウンターへ。
大変な荷物の量だったがラストロの大型コンテナボックス2〜3個に押し込む。
幸いにも小生JALグローバルメンバーだったので特典にプラスして無理に無理を言って
規定重量として乗せこむ。
当時はJALの米国内から関空への直行便があり、女房が関空までパジェロの後部座席を
取り外して迎えに。 荷物は全てパジェロに収まる。
(今はJALは関空と米国との直行便を廃止したため、成田経由で伊丹か関空となる。
荷物は全て成田で受け取り、この全ての荷物をあの狭い成田空港のロビーを横切って
一番隅っこの国内線乗り継ぎカウンターまで行く。
成田のカートは本当に使い辛い。
エスカレータに乗せられるように変な小細工をしてあり、本来の荷物を乗せる部分が
少ない。
米国では山積みすれば2台のカートで移動できたが、成田なら4〜5台のカートがいる。
これを一人で移動させ、そして再度伊丹行きの便に乗せこむ。
本当に大変な面倒なことをさせられている。 関空への直行便の復活を!!)
飾りつけは11月に入って好天気の日には朝から暗くなるまでやる。
点灯は毎年12月1日の夕方5時過ぎ。消灯は9時にしていたがこの2,3年は10時か11時位
まで延ばしたというか、延ばさざるをえなくなった。
そして2004年から自宅のイルミにプラスして公共の公園内でイルミを取り付ける依頼を
受け、2006年まで3年間、どうにか遣り抜いた。
昨年はマスコミの力を思い知らされることとなった。
毎年、ちっちゃな記事では紹介されていたがこの2年は特集記事の中に取り上げられた。
その結果、毎晩交通渋滞となり、ご近所からのクレームに対する対応で、想定外の気遣いと
出費も重なり、家族に大変な苦痛となった。
ーーーーーー今年はイルミは全て中止とした。ーーーーーーーー
毎年12月1日に点灯していたので、常連さん(?)から「どうなったのか」との問いかけを
連日受けているが「今年は中止」の一言で門を閉ざしている。
この3年間、10月の買い付けスタートから翌年1月末の片付け完了までの4ヶ月間、肉体的
な疲労にプラスして多大な心労が重なったが、今年は開放された。
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毎日増えている。 玄関やピアノの上、書棚 昨夜からは階段に。 何時の間にこれだけ・・・ 『光子コレクション』だ |
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今年からはイルミは皆様方にお任せして、当方は「アウトドアからインドア」と称して家の中
での飾りつけにシフトした。
いままで女房が手作りしたものや行く先々で手に入れたものを部屋のあちこちに飾り付けた。
インドアは夢空間となっている。 孫たちの里帰りが待ち遠しい。
10月から「スローライフ」に戻りつつあります。
寒暖の差
この時期になってやっと海抜380mの場所の気候になってきた。
朝5時過ぎに起き出すが1〜3度位。
多分今週中にも0度となるのは確実だ。
野外に駐車している畑用の軽トラのガラス面は真っ白に凍りついている。
10時頃から気温が上がり始め12時前後から14時過ぎは15度〜18度。
15時過ぎから少し気温が下がり始めて、17時には陽は暮れ、気温は5度〜
3度位まで急激に下がる。
我が畑はナイター設備をしているのでゆっくり片づけをしていると18時過ぎに
軽トラの前面ガラスは今朝と同様に真っ白に凍りつく。
この時期にダイコンの収穫をすると1週間毎に甘さが増してくることが実感できる。
殆どが水分のダイコンは、この冷え込みに反応して糖度を上げて凍らないように
自己防衛を始めるのだ。
ダイコンが辛いと感じるのは暖かい時期、地域で収穫されたもの。
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| 甘〜いダイコン | 薬味用の辛味ダイコン | 脱穀機 |
寒暖の差が大きい時期、地域で収穫されたものは甘い。
短冊に切ってスティックでポリポリと食する。
これは実に美味い。
皮むき器を使ってダイコンを縦にスライスする。
一本のダイコンを大胆に皮むき器でスライスすると大きな皿に真っ白な山盛となる。
これを豚シャブ用の肉を出汁にした鍋に手づかみで投げ入れる。
出汁の中に入ったダイコンは一瞬に透明になり、箸で一掴み位になる。
ポン酢や味噌タレで食する。
これが『ダイコン鍋』だ。
ダイコン1本の山盛スライスは一瞬になくなる。
いたって簡単な調理だがこの時期のダイコンの美味さを満喫できる。
是非、試してみてもらいたい『ダイコン鍋』
注意点としては山盛りのダイコンを食べて満腹になるが、何しろ消化が良いので
夜中に空腹になること。
ジャスターゼの効能を実感する。
今日から乾燥させていた蕎麦の脱穀を始めた。
昔ながらの脱穀機をお借りしたが、蔵の中に保管されていたもので3〜4十年は
経っている。
脱穀した蕎麦には未だ葉や茎、ごみなどが相当混じっているので、「唐箕」を
使って選別する。 「唐箕」・・・ナント読みますか?
これもご近所の蔵に眠っているものを借りることにしている。
今年は石臼を手に入れたので自宅の年越し蕎麦はこの石臼で製粉する。
既に薬味用の辛味ダイコンは寒暖の差で年末を悟り、良い塩梅に育っている。
ビニールハウス
2年前に友人たちの応援をえて、幅6m×長さ16m×高さ5mのビニール張りハウスを建てた。
今夏は昨年に続いてミニトマトと中玉トマト、イタリアントマトの三種類を栽培した。
トマト栽培を専業にしているプロ農家のビニールハウスが近くにあるので、昨年、今年と度々覗きに
行ってプロ技を真似ることで今夏は多くの収穫を得た。
ただ、プロと小生の違いが明確になったことは定植の時期が全く異なること。
小生もご近所の家庭菜園も全て、ホームセンターがトマト苗を売り出すとそれを購入して定植する。
ぼちぼち食べごろという時期に家庭菜園のトマトは梅雨の雨にさらされて殆どがチ〜ン。
(枯れる)
梅雨の雨を避ける工夫した家庭菜園と小生のようなハウス作りのトマトは夏の盛りに完熟したトマトを
収穫することが出来る。
今夏の小生のトマトは糖度13〜14度と果物と同等の糖度を得た。
夏のハウスの中は早朝か夕刻でないと暑くて作業できない。
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ところがプロは暑い時期にはトマト作りをしない。
小生や家庭菜園の素人が収穫できる時期は、誰でもどこででも収穫できるので市場価格が安すぎるのだ。
プロは7月末ごろに播種、8月には土作り、その間に苗が育って50〜60pになっている。
しかし、水は遣らない、肥料も遣らない。
ヒョロヒョロとやせ細ってかわいそうなくらいの苗。
プロは「トマト苗はいじめ抜いたものが良い」と言う。
「いじめ抜く」とは大変なこと。
「いじめ」は人間社会ではたいへんな問題になっているが、トマトの世界では問題にならないのか。
とにかく「いじめ抜かれたトマト苗」はそれはそれは哀れな姿だ。
そして、素人のトマトがあちこちで枯れ始めた9月頃から、プロは一挙にこの苗を土作りの終わったハウスに
定植する。
「いじめ抜かれたトマト苗」は水を得た魚のようにグググ〜ンと成長を始め、3週間位で実をつける。
涼しくなった時期に終日ハウス内でトマトを収穫。
この時期には素人のトマトは市場から姿を消し、プロの独占する世界になる。
出荷価格を明示すると問題があるので控えるが、この2ヶ月の出荷時期の差は5倍〜10倍の価格差になる。
来夏はこのハウスを生かしてプロの出荷時期に合わせられるようにノウハウを身につけたい。
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ということで今冬はハウス内でホウレンソウとチンゲンサイを栽培中で、このパターンで2回転、その後に
トマトを・・・と計画、実行中だ。
余談だが、ハウス内はホウレンソウとチンゲンサイが光合成で発する湿気と酸素が充満している。
しかもハウス内は暖かい。
出来立ての酸素と湿度が風邪を寄せ付けない。
適度な湿度は体に良いことを確信した。
手は荒れないし、唇のひび割れもない。
今冬はハンドクリームもリップクリームもいらない。
家の中に加湿器を備えることをお勧めする。
薬代や病院通いの余分時間や治療費のことを勘案すれば加湿器の一台くらいは安いものだ。
旧暦11/17未明
『東(ひむがし)の野に かぎろひの立つ見えて
かえりみすれば月かたぶきぬ』
万葉歌人の第一人者と言われる柿本人麻呂が、持統6年(692年)の冬、軽皇子(後の文武天皇)
のお供で阿騎野の里へ狩りにやって来た際に詠んだ歌だとされ、これが旧暦の11月17日の未明と
推測されている。
一昨年は2005年12月18日未明、去年は2007年1月5日未明、
そして今年は2007年12月26日未明が旧暦の11月17日未明となった。
この日に催されるのが「かぎろひを観る会」だ。
今年で36回目ということからなかなか歴史のある催しだが、肝心のかぎろひを観ることができたのは
数回だということ。
小生も地元にいながら全く縁がなかったがこの2年は連続して厳寒の早朝に「かぎろひ・・・会」に参加した。
場所は小生の畑横の小高い丘で「かぎろひ公園」
無料でふるまわれる甘酒、イモ汁、葛湯で暖をとりながらその瞬間を待ったがかぎろひという
現象を観る事はできなかった。
母に言わせれば毎冬、度々見ているということと、いろんな写真雑誌や地元の写真家・吉田春秋氏、
写真家・上田安彦氏(氏の写真集「炎と雲海」には初秋の雲海と厳冬のかぎろひがみごとに撮られて
いる--撮影データが公開されているがミノルタ9xi,レンズはAF24o、絞りは15.6,モードは約5分)の
写真から推測すると、旧暦の11月17日に限らずに毎朝空を見上げることで近々には遭遇できると
思っている。
インターネットにはかぎろひに関する多数のサイトがあるが、「ゆ〜でぃあ」というサイトには催しの写真や
かぎろいが掲載されていると同時に、かぎろいの設定日に関する異論が記述されている。
http://www.geocities.jp/udatiiki/kagiroi1.html
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| 小生の畑裏の丘がかぎろひ公園 | かぎろひ公園 ここで夜明けを待つ | 上田安彦写真集 光村推古書院発行 |
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旧暦との付き合いが少なくなっているが農業には旧暦の方が役立つことを知った。
先般の皇太子のご指摘があった「新嘗祭」等、旧暦を見直すことも必要ではないか。
先日、福田首相が訪中した際に、胡錦濤国家主席への第一声が「年末のお忙しい時期にこれほどの・・・」
と言っている。
情けない。
中国は旧暦。正月は春慶節で2月だ。
西暦と旧暦を並列に利用することによって、新規のビジネス枠が増える。
別項にある「2月のラスベガス」に記したがラスベガスの2月は中国人に制覇される。
同じことはこの国でも可能だ。
年末・年始
東京に単身赴任中の辻田氏より、蕎麦打ち用にと作努衣が届けられた。
ありがたいことだ。
早速、この作努衣を着用して新蕎麦を打った。
約三時間をかけて30人分。
『薬草の里・大宇陀産 長生き蕎麦』
のラベルを貼って、友人・知人宅に届けた。
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結果的には「海老で鯛を釣った」と母に言われることになってしまった。
日頃しないことをしてしまって、自分では予想もしない返礼が来てしまったのだ。
大晦日は地元の氏神である八坂神社の篝火を担当する役割となり、火のお守りで神社境内で年越しとなった。
祖父・父がこの八坂神社の神事に深くかかわったことは母からはもちろんのこと地域の方々もよく聞かされる。
小生の代になって一切の係わりを断ってきたが、輪番制ということで参画せざるを得ない状況だ。
断りの口実に母も口を揃えて「祖父、父が小生の分も含めてやってくれたので・・・」と言うことで通してきたが。
年越しの参拝客が途絶えた1月1日午前2時、開放されて自宅へ。
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1月1日 午前7時起床
久方ぶりにこんな時間まで寝た。
庭を見るとうっすらと雪化粧。
昨日の朝から断続的に降り始めた雪。
積もることはないと思っていたが昨夜は篝火の側にいたので気がつかなかったが、相当な冷え込みだったようだ。
やっと冬が来たと感じだ。
今日は午前中に一族全員で地元の温泉「「あきのの湯」へ行く予定。
60歳の年の始まりだ。 スローライフ・スローフードのスタートだ。
位置づけ
豚の格好をした犬というか、犬のような豚というか、とにかく我が家の「ルナ」は超肥満体になった。
彼女は1997年(平成9年秋)、中秋の名月の日に生後3ヶ月位で我が家に来た。
名前は「月=ルナ」とした。
当時では大変珍しいコーギー種で胴長、短足、尻尾無し(生後直ぐに尻尾を輪ゴムで縛って壊死
させると聞いた)。
非常に賢い(と言うか要領が良いと言うか)犬だ。
小生も母も女房も子供たちもおり総勢6人家族とルナの生活だったが、冷静に見てルナの家族内の
位置づけは下から三番目だったと思う。
そして長女が去り、長男が去り、次男が去り、小生が二回目の東京単身赴任で去った。
下から三番目だったルナは何時しか我が家でトップの位置にいることになったのだ。
この頃から急に体形が変化し始めた。
週末に自宅に戻ったとき、この要領のいいルナは、小生に対して絶対的な服従を腹を上向きにして
寝転がる形で表現した。
食事の時も小生が躾をした通りにダイニングのドアの外で我々の食事の終了を待ち、ドアを開けて
「よし」の声を出すまで絶対に動かない。
時々、側に呼んで「オスワリ」をさせ、「オアヅケ」と声を出してルナの鼻の上に好物のミカンを一切れ置く。
この状態を数分続けるとルナの口から涎がタラタラ。
母や女房からは「そんなかわいそうなことをして・・・・」と早く「よし」をと懇願される。
急な用件で夕食時間に遅れることがあり、二人が先に食事を始めているときにダイニングに入った。
ルナは二人の足元を行き来し床に落とされた食べ物を漁っていた。
急激な体形の変化の原因が解った。
小生不在の食事の時間は母と女房の足元に鎮座し、二人が競争して食べ物を床に落とす。
そして床に落ちたものがなくなったら、鼻で、或いは前足で二人の脚を突付いて催促するまでに
なっていた。
小生がリタイア後は家にいる時が増えてルナは下から三番目の位置だが、上からはナンバー2。
小生不在のときはナンバー1の位置を確保したが小生を絶えず意識した振る舞いとなった。
長女が出産し、盆と正月、それに時々突然の里帰りをするようになった。
そして長女と孫が滞在中はルナの位置づけが今までに経験のない位置づけとなり、場合によっては
完全に無視される位置づけにもなった。
女房は孫の世話に没頭し、長女と孫を最優先する生活が始まる。
起床時間から就寝時間まで、もちろん三度の食事時間も孫を中心として回る。
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| 耳を引っ張られても耐える | 無理やり好き好きされても |
ルナは経験のない位置づけに遂にノイローゼとなり、吐き気と下痢となる。
長女と孫が去ると今までの静寂が戻り、ルナは小生だけをマークするだけの気ままな生活に戻る。
途端にノイローゼは治るのだ。
そして最近、この孫が歩き回り、走り出し、テレビの幼児番組を見始め、DVDでディズニーアニメを
見始めた。
小生の部屋に入り込み(ルナは絶対に入れない場所だ)、小生のテリトリーを乱す。
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| 朝起きてキキララ | 昼でもキキララ | そしてキキララ |
「泣く子と地頭には勝てぬ」
遂に小生もルナと同じ位置づけになった。
ルナとの違いは小生には最悪の場合の避難場所(畑の小屋)があるのが救いだが、少々の胃痛と
睡眠不足を経験した。
正月が過ぎ、長女・孫が去り、今までの生活が戻った。
途端にルナと共に元気が戻ったが、もう二ヶ月足らずで春休みか・・・・
もう13年か?
前日は深夜まで飲み会とカラオケ。
こんな翌日は誰よりも早く出社する。
この日も同じだった。
5時起床。
熱いシャワーを浴び、時計替りのテレビスイッチON。
BSで「深田久弥の百名山」再放送が流れている。
そして地震情報が流れる。
何かを感じた。
地下鉄駅に走る。
6時50分、会社の11階のオフィスに着いた。
普段、この時間なら小生が点灯するのだが当日は既にフロアが明るい。
シーンとした一画で大ボスとボスがホワイトボードを前に何か書き込み始めていた。
小生を加えて6名となった。
ボスより「フロア中のホワイトボードをここに集めろ!」
たたみ一枚分のスペースがあるホワイトボードをいくら運び込んでもすぐに文字で埋め尽くされる。
緊急連絡用の携帯・自宅に次々と電話をする。
繋がればボスに取り次ぐ。
その間にホワイトボードを探し回って持ち込む。
30分位一人でてんてこ舞いだったが7時半には多くのスタッフが出社し、手隙となった。
並んだホワイトボードにびっしりと書き込まれた阪神エリアの地震情報。
東京・浜松町で情報集めをしているだけでいいのか! 大ボスの声
二機のヘリコプターをチャーターして現地入り決定し有明のヘリポートへ。
8人が指名され神戸に飛び立った。
今朝と同じく大変寒い朝だった。
搭乗した全員が足からの冷えのために尿意をもよおしたが、パイロットから紀伊長島のスパーガーデンで
給油のために着陸することになったのでそれまで我慢をするように言われた。その時間の長かったこと長かったこと。
単身赴任先から持ち帰ったものは殆ど開封せずに畑の小屋の倉庫に詰め込んでいる。
今日は薪ストーブの前で1箱開けてみた。
当日、出社時に着て行ったのは「エドワーズ」のウール100%のチャコール。
シューズは「ロックポート」、コートは見当たらない。
この格好で現地入りした。
寒かった神戸。
現地でずっと着込んでいたのはハーバーランドのスポーツ用品
売り場でちょっと失敬した「アディダス」のベンチコート。
このコートに包まってダンボールを敷布団にして寝た。
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<現在のアディダスのロゴマークとは異なる懐かしいもの>
震災からひと月が過ぎ、一区切りとして記念の品として配布されたネクタイピン。
たくさんの想い出が出てくる引越し専用の段ボール箱。
残された時間が少ないのだ。
早く処分しなければ・・・。
テレビでは13年前を語り継がねば・・・と繰り返している。
ヘリで現地入りした8人とあの時以来、話すこともなければ、会うこともない。
語り伝えることがないのだ。
何かに攻め立てられあの混乱の中で淡々と職務を遂行しただけだった。
苦い思い出だ。
暦の通り
旧暦について今までは気にもしなかったが近隣の農家の方々との会話に
しばしば旧暦の何々・・・・と出る。
この一月は旧暦に基づいてたくさんの行事があった。
「七草かゆ」を食する。
「どんど」の火をもらって帰り、それで小豆かゆを食する。
その小豆かゆを柿の木に食べさせる・・・覚えているか?と母に聞かれた。
そう言えば幼少の頃、父に連れられ柿の木畑に行き、父がナタを振りかざし
「なるか、ならんか」と柿の木に怒鳴り、ナタを振り落とす。
木の表皮が少々切り込まれたところに、小豆かゆを注ぎ込む。
未だに何の呪いだったか解らないままだが、 久方ぶりに父との思い出に出会った。
もう何十年も放置したままで手入れを怠った柿畑は朽ちたものが多く、残っていても巨木となって
柿の実があっても簡単に収穫できる高さではない。
鳥のデザートになっているようだ。
そして「大寒」。
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| お馴染みの畑の雪景色 2008年度版です |
自宅庭の紅梅 あと一月位で 芽を出す |
自宅玄関屋根の積雪 |
朝、おもてに出てびっくり。
約10cmの積雪。
当分、農作業はできない。
ゆったりと骨休みにして、父の想い出にしたってみよう。
スローライフ、スローライフ、
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常夏の与論島から昨年晩秋に山中湖半に移った友人が
送ってきた大寒の日の富士山
高値安定?
昨年の8月23日の昼前、この日も大変暑かった。
赤信号で停止中の小生の愛車後部に軽トラックがドス〜ン。
俗に言う「オカマ」をされた。
低速度の追突だったので小生の体調には何の変化もなかったが事故立会いの警察官から
一応病院で検査を受けた方が良いとのアドバイスがあった。
近隣の病院は殆どが午前中で診察を終了していたが、唯一、S病院で「鞭打ち」の検査をする
整形外科医が30分以内で来れるなら待つと言っている・・・・と警察官。
親切な警察官だった。(名札がなく胸元に「J-0000」の数字、広島弁、身長180p位、体格良い)
早速、S病院に駆け込み、診察、レントゲン撮影と触診で特に問題なしの結果となった。
ただ、最高血圧220mmHg,最低血圧129mmHg,脈拍46bpmで、血圧が超異常。
事故の直後につき興奮していると思うので30分くらいここで横になって安静の後、もう一度測ろうと
いうことに。そして再計測したら202,129、46と殆ど変化なし。
「血圧の件については再度、内科医に診察を受けるように。この血圧は危険な状態ですよ」」と整形
外科医から話があった。
帰宅後、早速インターネットにて血圧に関する情報収集。
確かに、脳血栓(=死亡)の危険性を指摘する情報が多い。
●ラッキー、ラッキー●
どうせあの世へ行くなら「P.P.K」(=Pin,Pin,Korori)でと思っていたので最適の症状になった
ことに喜んでいたら、「ピン、ピン、コロリ」の確率よりも「ピン、ピン、ヨイ、ヨイ」の方が多いらしいの
情報もあり、内科医の診断を受けることに決めた。
9月8日に内科で初診
やはり204,129、48で事故後2週間を経ても超高値安定。
内科医から120、85位に落とさないと危険との指摘があり、ここぞとばかりに「P.P.K」であの世行き
の可能性を確認すると、残念ながら小生の年齢、体格から見て「ピン、ピン、ヨイ、ヨイ」の半身不随とか
寝たきりとかの可能性が大との回答。
治療としては薬の服用ということで
10月19日より一日一錠 アムロジン錠⇒血管を拡げて血圧を下げる⇒服用開始
オムロンの血圧計を購入して自宅で計測
約一ケ月間の平均184、120、49で推移
11月13日より一日一錠 アムロジン錠の継続服用
新規に一日一錠 ディオバン錠⇒高血圧症を治療する⇒服用開始
約一ヶ月間の平均173、105、50で推移
12月14日より一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
約一ヶ月の平均158、102、49で推移
1月10日より 一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
新規に一日十粒 エパデールS600⇒血栓ができるのを抑える⇒服用開始
約一ヶ月の平均156、102、50で推移
依然として高値安定している状態だ。
2月7日より 一日一錠 アムロジン錠の継続服用
一日二錠 ディオバン錠の継続服用
一日十粒 エバデールs600の継続服用
新規に一日二錠 ぺザトールSR錠⇒中性脂肪を下げる⇒服用開始
スーパーバッグの中サイズに一杯詰められた一か月分の薬
支払額7,940円也
今、その袋を見ながらどうするか考えているところだ。
次回の検診で更に薬が増えると朝食代わりの量になる。
このまま継続するのか、全て止めて今まで通りに過ごすか。
もう一度220までもどして「P・P・K」の確率に賭けるか。
思案六歩だ。
一日おきに雪が降る。
テレビの天気予報はほぼ100%近く当っている。
畑の雪が根雪の状態。
全く農作業が出来ず、作業計画が大幅に狂っている。
計画では今頃耕運を終わって堆肥を入れる作業が完了していることになっている。
昨年末にまたまたトラクターを譲り受けたので早く試乗してみたい。
このトラクターは10年位前のもので、現在使っているトラクターは30年前のもの。
小生にとっては最新式のトラクターとなる。
確かに便利な機能が一杯ついている。
マイコン作動方式で、耕運の深さや水平を保つモンロー(?)等々その機能を早く試したい。
「スローライフ」「スローライフ」と言い聞かせるが、スケジュール通りにこなせていない事で
いつの間にかイライラ虫が騒ぎ出す。
テレビの天気予報を真剣に視るようになった。
いつもは「予報は予報」と参考程度で聞き流すことが多かったが、今年になって天気予報番組を
チャンネルサーフィン(?)することが増えた。
気づいたことだが、その昔、気象庁が一手に天気予報をやっていたころはネクタイ姿の
公務員スタイルおっさんが、姿・形・しゃべり方に権威を持たせて、確率の悪い予報を如何にも
確率の良いが如くに見せかける、詐欺師的なものだった。
昨今の天気予報の民間開放で天気予報番組は実におもしろい。
特に我が街の山の一角に気象観測用の装置が設置され、ここから発信されるデータに基づき
予報される番組が増えたので、身近な予報番組となった。
ネクタイ族の天気予報管が姿を消し、根本さんやら、半井さんらの女性予報士が主流となった。
ただ残念なのは相変わらず、計測数字最優先の予報が重視されていることだ。
米国に行く機会があれば是非、毎朝、テレビの天気予報番組を視てもらいたい。
終日、天気予報しかしないチャンネルもあるが、日本のようにモーニングショー的な番組のチャンネル
も多数ある。
これらのチャンネルはそれぞれ本当に工夫を凝らしているが、どのチャンネルもデータに基づく数値と
各ポイントのスタジオ外のキャスターの体感を合わせて放送している。
体感温度と温度計の数値は一致することはない。
高層ビルの乱立するニューヨークでは”地上”の数値と体感を伝える。
日本でも高層のビルや高層マンションが増えた。
同じニーズがあると思う。
とにかく根本さんや半井さんらの予報なら大きく外れても許される。
我が街の予報を大きく「はずれ」にしてもらいたい。
名古屋にて
今年になって名古屋に月一で行くことが続いている。(1月、2月の2回だが)
この大宇陀の地から名古屋へは約二時間足らずの行程。
我が家からクルマで約10分で近鉄榛原駅。
榛原駅からは名古屋行きの近鉄特急を利用する。
東京単身赴任時代は時々利用させてもらったが新幹線に乗り継ぐ場合、ホームが両端にあるため
少々の距離がある。新幹線は殆ど定刻の運行をしているが、近鉄はいつも到着遅れ気味で乗り換えに構内を
駆け抜けたことが度々あった。
今年の2回もやはり遅れ気味だったが、名古屋どまりの急ぐ旅ではない。
イライラしない。イライラしない。
駅前の高島屋、東急ハンズは話題になったので何回か買い物にも立ち寄ったので、今回は同じく駅前の
新ビル「ミッドランドスクェア」をぶらぶらした。
12月に東京で立ち寄った「ミッドタウン」とどうしても比較してしまうが、トヨタショールームがあるかないか
くらいの違いか・・・・という評が名古屋人に一番喜んでもらえるのではないか?
とにかく、名古屋の東京化は形振り構わずの様だ。
(ミッドランドスクェアの方が東京よりも先にオープンしたのだが・・・)
バブル時代には駅前に「パルコ」があるか、「リクルートビル」があるか、最近では「スタバ」があるかが
「東京化=都市の象徴」という流れがあったが、そのトップが名古屋。
しかしちょっと方向が違うような気がしてならない。
広大な平野面積をもち、恵まれた港湾があり、天候には年中恵まれる。
日本国の真ん中に近い位置にあり、日本の歴史を変えた人物が多く出た。
ミニ東京化ではない新たな都市がつくれないものか?
名古屋が持っているあらゆる環境が全く無駄な方向に使われているようで残念だ。
地下鉄の乗降案内が5ヶ国語で行われているのにも驚いた。
ゴーゴーと鳴り響く車内で流れる英語、スペイン語、韓国語、中国語、日本語のアナウンス。
先般の名古屋万博の名残だと思うが、これが国際都市化か。
どこか違うことが気にかかる。
「改善(カイゼン)」
地元トヨタの手法が持て囃されるているがカイゼンは所詮カイゼンだ。
元があってのカイゼン。
コロッケの五木ひろしは面白い。
しかし五木ひろしがあっての面白さだ。
新たなコンセプトではない。
所詮物まねの域だ。
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ミッドランドクスェアと同棟のトヨタビルのエレベーターには本当に笑ってしまった。
二階建てエレベーターだ。
二階部分の箱は永遠に最下位フロアには着かない。
「カイゼン」とはこのレベルに過ぎない。
世の中、効率だけでは成り立たないのだ。
やはりこのままでは通過都市名古屋に変わりはない。
品格?
今回のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故後の両関係者の対応態度を
テレビ報道でみていると、今流行の「品格」とはどのようなものかというのが良く理解できる。
潮焼けをした70歳を超える漁労長が海の上で鍛え上げた声量と、自分の言葉である千葉弁で応対をする。
片や1400億円の最新鋭艦の艦長と海軍の幕僚長、背広組みトップの三人。
この三人の応対の映像と音声はそれはそれは貧相なものだった。
水の中で屁をこいたような(関西ではこのような例えをする)御詫びの声と、凡そ礼になっていない礼が
貧相の源だ。
海の上でどれほどの声を出してきたのか、軍人としてどれほどの訓練をしてきたのか。
この三人の応対に基本的な疑問を感じた。
小生も学生時代に海に憧れてディンギーを操ることを覚えたが、教えてくれた友人とのヨット上での会話は
その距離僅か1メートル位だが怒鳴り合いに近いものだった。
風を動力とするヨットでさえ水上を渡る風音、艇がきる水音が声量を必要とする。
それと水面から乱反射する太陽光の照り返しは強烈で、陸上での日焼けとは全く異なる肌焼けとなる。
大声量と潮焼けは海の男の証であるが、この三人に全く無い。
そして一番肝心の「礼」の姿勢が全く出来ていない。
「馬子にも衣装」とはよく言ったものだが、金ピカの制服と金ピカの帽子被ってクルマから降りて歩く姿は
絵になっていたが、「清徳丸」の船長宅での家族への謝罪、そして漁労長への御詫びで馬脚を露わした。
きっとあの焼酎焼けは官官接待の結果であり、猫背に近い「礼」の姿勢は艦長昇格試験の受験勉強のためか
ゴマすりの手もみ姿勢が長かったのかと映像を見ながら想像した。
「品格」を考えさせる好材料だ。
作業服姿と方言の漁労長と、金ぴかの三人組みをどうぞじっくり観察してもらいたい。
板底一枚で地獄を生き抜いてきた漁師が仲間のナビのデータを基に、良く通る声量でしかも味のある
千葉弁で理路整然と事故の状況を語る。
金ピカの連中はまともな礼も出来ず、海の男と思えない肌色で、ダサいメガネをかけて(温度差の激しい海上
ではメガネは不適、最悪でもレイバンのサングラスなら許されるか)、2分前やら10分前やら緑や赤の灯りを見た
やら・・etc。
水の中で屁をこいた声で何を語っているのか。
挙句の果てには泣きだ。
情けないことだ。
なぜ衝突時に飛び込んで救助しなかったのか?
二次災害を防ぐためだったというが、国民の命を守るために起こる事態に身を賭するのが仕事では
ないのか?
こんな言い訳が通るなら消防隊員が身を賭して救助に行くのは何なのか。
地位や金ピカや肩書きなどは「品格」に全く関係ないことがよ〜く解る。
日本海軍の軍人の品格とはどういうものか?
まもなく始まる大河ドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎)で答えをみつけよ。
追伸
数十年前になる。
東急ハンズの井谷さんと西宮ヨットハーバーから淡路島へのクルージングをやった時のこと。
午前中の艤装に時間がかかり出航が遅れた。
更に当日は運悪くベタナギの状態でわれわれのクルーザーは全く動かない。
そして海のラッシュアワーが始まった。
九州行きの大型フェリーが猛スピードで通過する。
次々とタンカーがすり抜ける。
こんな状況の中で彼らは上手く我々のクルーザーを避けて航行してくれた。
夜9時過ぎに淡路島に無事到着した時は九死に一生を得たという言葉がぴったりの心境だった。
警告と怒りの警笛を何度も何度も聞いたが、ベタナギで全く動けない我々を上手く避ける大型船の船長に
感謝をした。
ラッシュアワーに自動運転とは考えられないことだ。
金ピカの三人が今後も海に生きるならディンギーから出直してはどうか。
土作りスタート
永い冬だった。
今冬の降雪の回数と量は、記憶にあるのは小生の小学生の頃の思い出にしかない。
幼少の頃、この大宇陀の地にもスキー場なるものがあった。
親が買ってくれたものだったか縁者からの借り物だったか思い出せないが、スキー板やスキー靴を
もって張り切って家を出たが、スキー場にたどり着くまでの雪道で体力を使い果たした苦い経験がある。
近所の先輩に連れて行ったもらったので弱音を吐くことも出来ず、寒空の中で我慢をして帰りを待った。
当時、出回りはじめた日清のチキンラーメンをそのままバリバリと頬張り、雪を食べて胃に送り込み
胃袋の中でラーメンにして空腹を満たした。
この悪経験が未だにスキーが好きになれない原因だ。
「お水取りが終わると春」の言葉通りに突然という位のスピードで雪がなくなった。
今年ももらいもののトラクターが一台増え、試運転のつもりで連日、土お越しにつかっている。
10年くらい前のクボタのトラクターだがこの畑では最新のものになった。
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天地替えといって畑の土をひっくり返す。
表層と中層の土を反対にするのだ。
地中にあった土を表面に出して日光消毒をする。
そして良い野菜をつくるためにモミガラ、米ぬか、乾燥鶏糞を混ぜ込んで堆肥とする。
この秋からは更に枯葉を醗酵させた堆肥を加える。
去年は牛糞を2トンも混ぜ込んだ。
近所の農家の方々からも「良い土になった」と言ってくれる状態になった。
「良い土壌に良い野菜が育つ」
今年はより生食に近い調理で食べる色々なサラダ菜やトマト類を中心に作ることにしている。
時々、出荷可能な作物の生育状況をお知らせしますのでご入用の節はメールにてご連絡下さい。
重要書類が来た
(差出人)社会保険庁 社会保険業務センター
封筒には
@年金の手続きをされるみなさまへ 折りたたみ式の6ページ
A全国社会保険事務所所在地一覧 同じく折りたたみ式の6ページ
B年金請求書 印鑑押印箇所が8もある15ページ
C老齢更生・退職共済年金受給権者支給停止事由該当届 ペラ一枚
の4部が入っている。
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それぞれの用紙の文字のフォントやポイントは全く統一性がなく特に斜体・太字・突然のフォント変更等、
実に読み辛い。
パソコンのワープロ機能を覚えたての時のように、知っている機能を全て試した文章作りになっている。
所謂マスターベーション型文書という典型もの。
倒壊に至った会社であったが社員の教育には熱心な会社であった。
文書についても新入社員のときから厳しく仕込まれた。
今回手にしたこの重要文書なら即座に書き直しを命ぜられたことは間違いない。
社内ではなく社外に出てゆく文書だ。
しかも数十年に渡って預かった金についての案内文書だ。
誰がチェックし、この文書の発送を許可したのか?
こんなチンドン屋みたいなチラシ文書を公文書とする管理体制では、今回の5000万件の問題が発生するのは
当たり前だ。
全ての仕組みを見直すことが必要だが、体質的に無理な気がする。
別組織への早急な切り替えの時だ。
とにかく冒頭に記したように小生も年金生活者の一人となる。
60歳支給の損得やいろんなアドバイスを掲載しているNIKKEI BPの記事が参考になった。
いろんなジャンルに分かれているがセカンドステージのコーナーがこの種の件では役立つ。
毎日、新しい情報がメール配信されるので皆さんも一度覗いてみては・・・
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/
白梅紅梅
温暖化だとか異常気象だとかナンダカンダと言っていても当家の白梅紅梅は例年通りに開花した。
ここ数年は植木職人にお願いして勢いを回復させる手当てをしてもらった。
やっと結果が出てきたようで花の数が多いようだ。
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| 樹齢は100年以上の紅梅 | 勢いが回復しない白梅 | このコケをどうするか? |
植木屋さんから、日頃の手入れは幹についたコケを取ることといわれているが
ワイヤーブラシで擦る作業は結構な力仕事。
今年は未だ一度もやっていない。
庭先には早くも写真や写生する人が来ている。
手入れが悪いとかこのコケが良い等と話す声が聞こえる。
この時期には庭に出ないことにしている
最後の言い訳!
《言い訳は止めよう! 狼おじさん!それ何回目!》
昨年末くらいから滅茶苦茶言われっ放しだ。
ホームページもブログも全くメンテナンスせずに既に一年半が過ぎ去った。
本当に何と言われようと申し開きは出来ない
この間に、たくさんの方が何度も覗きにきてくれたのは解かっていた。
解かっちゃいるけど出来なかったのだ。
「またまた!言い訳は止めよう!」と罵声をあびせられるのは承知の上で言わせて
もらいたい。
これからリタイアする多くの方々の為にも今一度言わせてもらいたい。
最後の叫びとして吠えさせてもらいたい。
諸君はスケジュール表をお持ちか?
小生は現役の30数年間、手放すことはなかった。
リタイアして一年目は「晴耕雨読」を貫くぞ!と強い意志を持って新人性をスタートした。
もちろんホームページのメンテナンスも事ある毎にやった。
現役の時に計画していたことを行動に移したのだ。
やりたいことをやりたい時にやった。
スケジュール表など必要なかったのだ。
全て現役のときに考えた計画通りだ。
満足感はあった。
一年はあっという間に過ぎ去った。
そして満足の跡にあの虚しさも残った。
祭りの後に来る「あの虚しさ」と同じようなものだ。
そして二年目の正月に新しく届いたスケジュールノートを手にした時から
突然今までと同じ人生に戻った。
スケジュール表の空きの日々を埋めていくことを始めてしまったのだ。
余計な仕事を引き受けたり、無理矢理作業を入れ込んだりしてスケジュール表が
埋まっていく。
空白の日々が少なくなる毎に充実感を覚えた。
スケジュールを消化する毎に満足感があった。
一日が終わったことを実感できた。
それはそれはとんでもない忙しさだった。
新人生の三年があっという間に過ぎ去った。
そして
「現役の時よりも今の方が忙しいのではないか?
スローフード、スローライフはどこへ?」
と皆に言われるようになった。
気がつかなかったのだ。
「虚しさ」「空しさ」(=寂しさ)を忙しさで紛らわしていたのだ。
決められた時間の中での生き方、共通の単語が通じる仲間と群れる生き方、
30数年繰り返した起床から就寝までの生活習慣の繰り返しの生き方・・・・
楽な生き方に戻っていたのだ。
リタイアするということは生き方を変えることなのだ。
決して今までの延長ではない。
今までの生き方を踏襲することは残された時間からの単純な引き算人生だ。
最後に残された自分自身の時間。
これじゃあまりにも侘し過ぎる。
残された時間をどう生きていくのか。
社会に出て行った時のあの感動=足し算人生を再びスタートするのだ。
やっと気がついた。
リタイア後の新人生とはバイブルのように持ち続けたスケジュール表を捨て去ることなのだ。
垣内丸(かいとまる)とは?
最近、グッと一杯やるようになった。
今までは、奈良漬で深酔いするほどの下戸であったが「アサヒスーパード